陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール「ウィリアムとメアリー」その10.

2011-10-28 23:44:32 | 翻訳
その10.


「欲求不満になりそうだな」と私は言った。

「くだらない。欲求不満なんかになるわけがなかろう。欲求もないのに欲求不満になりようがないんだ。なにしろ君は欲求が起こらないのだから。とにかく肉体的な欲求はありえない」

「この世での生活を思い出すことはあるだろうし、そうなるとそこに戻りたくなるかもしれない」

「なんだって? この混乱しきったところにか! 心地よい容器の外に出て、こんな精神病院に戻りたいだって?」

「もうひとつ、聞きたい」私は言った。「君はそいつをどれくらい生かしておけるのかね?」

「脳のことか? そんなことわかるものか。たぶん、何年も何年もだ。コンディションは理想的だ。あらゆる劣化を引き起こす要因も存在しない。人工心臓のおかげでね。血圧はつねに一定に保たれているが、実生活ではそんなことは不可能だ。体温も一定。血液の化学組成も完璧だ。不純物もない、ウィルスもない、バクテリアもいない。もちろんこんな想像をするのはばかげているが、こんな環境下であるなら、脳はきっと二百年や三百年、生き続けるだろうよ。さて、これで失礼する」彼は言った。「明日も見舞いに来るよ」それだけ言うと、私を混乱の極みに残したまま(君にもそれは想像がつくだろう)、足早に去っていった。

 彼が立ち去ったあと、ただちに私の内に起こった反応は、計画全体に対する強い不快の念だった。なんというか、すべてにがまんならなかった。この私が、精神的な能力はそのまま、小さなぬるぬるした丸いかたまりとなって水たまりに浮かんでいるなんて。おぞましく、猥褻で、不道徳だ。もうひとつ、私をうんざりさせたのは、ひとたびランディの手で容器に入れられようものなら、否応なく陥るであろう無力感だった。もはや引き返すことはできない、抗議も、自分の気持ちを説明することもできないのだ。連中が私を生かし続けようと思う限り、そうするしかないのだ。たとえば、もし私が耐えられなくなったら? ひどく痛みを伴うとわかったとしたら? 理性を失ったら? 逃げ出そうにも足がない。悲鳴を上げようにも声もない。何もない。私はただ、二世紀の間、身をさらされるのだ。さらす身もないというのに。だが、この瞬間、奇妙な考えが浮かんできた。



(この項つづく)