陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール「ウィリアムとメアリー」その7.

2011-10-24 23:49:00 | 翻訳
その7.



「おっしゃるとおりにいたしますよ、ウィリアム。さて、話の続きだが、前にも言ったように、小型電動のこぎりで慎重に君の頭蓋骨全体から頭蓋冠を完全に切り離す。これで脳の上半分、というより脳をおおっている外側の膜が剥きだしになった。君が知っているかどうかは知らないが、脳は三層の膜におおわれている。一番外側にあるのは脳硬膜、あるいは単に硬膜ともいう。真ん中はクモ膜、内側にあるのは軟膜だ。素人はたいてい、頭の中で脳はむきだしのまま、液体に浮かんでいるぐらいに思っている。だが、そうじゃないんだ。三層の膜にきちんとおおわれていて、脳脊髄液があるのは軟膜とクモ膜のあいだのクモ膜下腔という狭い溝を流れているんだ。さっきも言ったように、脳脊髄液は脳で作られて、浸透圧によって静脈組織に排出されていくんだ。

「ぼくの場合はこの三つの膜をすべて残しておくつもりだ――なにしろ素敵な名前だしね。硬膜、クモ膜、軟膜だなんて。手つかずのままにする。そうした方がいい理由ならいくらでもあるんだ。たとえば硬膜の中には、脳内から頸静脈に血液を排出する静脈が何本も走っている、なんてことは、決してささいな理由とは言えないだろう?

「さて」とランディは続けた。「君の頭蓋の上半分を外したところで、膜におおわれた脳のてっぺんが露出された。つぎの段階は慎重な対処を要する。すっぽりと持ち上げることができるように、脳全体を解放してやるんだ。ただし、そこから伸びている四本の供給のための動脈と二本の静脈は、人工心臓にふたたび繋げるように下に垂らしたままにしておく。これはおっそろしく時間のかかる、複雑な仕事で、あちこちの骨を取り除いてやったり、数多くの神経を切断したり、おびただしくある血管を切ったり結びあわせたりするという緻密な作業をしなければならない。うまくいく望みがあるとしたら、骨鉗子でもって残りの頭蓋骨を、オレンジの皮でも剥くように少しずつ削いでいって、脳を下まで剥きだしにする方法しかない。このことにまつわる問題の数々は非常に専門的なので、いちいち説明はしないが、この作業がうまくいくことには確かな手応えを感じているんだ。結局は単に外科的な技術と忍耐の問題になっていくのだから。おまけに忘れないでいてほしいんだが、時間ならこっちが必要なだけ、十分にかけてかまわない。なにしろ手術台の横で人工心臓が脳を生かしておくために、休みなく働いているのだからね。

「まあ想像してみてくれよ。ぼくが君の頭蓋をきれいにそぎおとして、脳の周りをぐるりと囲んでいるものをどかしたところを。そうなると、体とつながっているのは、脳の付け根につづく脊椎と、日本の大静脈、それから給血のための四本の動脈だけだ。では、お次は何だ?

「ぼくは第一頸椎のすぐ上で脊柱を切断する。そこを通っている二本の椎骨動脈を傷つけないよう、最大限の注意が必要だ。だが、そこでは硬膜や他の膜が、脊柱を受け入れるために開いている場所でもあることを忘れてはいけない。つまり、問題はない、ということなんだ。

「ここから移し替えのための最終の準備に入る。テーブルの一方に特殊なかたちの容器を置いておく。これはリンゲル液で満たされている。リンゲル液というのは特殊な液体で、神経外科では潅注法のために使われる。ぼくはまず脳を完全に自由にする。つまり動脈と静脈を切断するんだ。あとはもう自分の手で脳をすくいあげて容器に移すだけだ。血液の流れが止まるのは、前部の工程のなかでこのときだけだ。だが、ひとたび容器に入れてしまえば、すぐに動脈と静脈を人工心臓につなぐことができるんだ」


(※すいません。急用でちょっと間があいてしまいました。あとはもうがんばって最後までやっていきます。

※※このあたり医学用語が多いんですが、使い方や訳語の誤りに気づかれた方は、ぜひご指摘ください。)