陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール「ウィリアムとメアリー」その9.

2011-10-27 23:50:53 | 翻訳
その9.


「さて、ウェルトハイマーは脳波計によく似た装置を作成した。それも実際の脳波計よりはるかに感度はいいものをね。その彼が主張するには、ごく限られた範囲ではあるが、その装置は脳が現に考えていることを解析するのに役に立つというんだ。その装置は一種のグラフを出力するんだが、そのグラフは言葉や何を考えているかを解析したものなんだ。ウェルトハイマーに来てもらって、何か聞いておきたいことがあるかね?」

「いや、結構」と私は言った。ランディはもうすっかり私が自分の計画を受け入れたものと決め込んでいて、そんな彼の態度が私にはたまらなかった。「帰ってくれ。私をひとりにしてくれ」と私は言った。「私をその気にさせようとしても無理だ」

 ランディは即座に立ち上がり、ドアの方へ向かった。

「ひとつ教えてほしい」と私は言った。

 彼はドアノブに手を掛けたまま立ち止まった。「なんだい、ウィリアム」

「簡単なことだ。君自身、ほんとうのところ信じているのかね。私の脳が溶液のなかにあるのに、いまとまったく同じように私の精神が正確に機能し続けるなどということを。いまできているような考えたり、判断したりすることが、私に可能だとほんとうに信じているのか? そうして記憶力もそのまま残っていると?」

「信じないわけがなかろう」と彼は答えた。「同じ脳なんだぞ。しかも生きている。損傷もない。実際、完全に無傷なんだ。脳膜を開いてさえいないんだからな。もちろん、大きなちがいというのは、脳に通じる神経をすべて――視神経だけは別だが――切断することだが、それはつまり君の思考はもはや感覚器官の影響を受けないということでもある。君は並々ならぬほどに純粋で、孤立した世界に暮らすことになるだろう。何も君をわずらわせることはない。痛みさえもないのだ。君が苦痛を感じることができないのは、それを感じる神経がないからだ。ある意味、そいつは完璧な状態とは言えないだろうか。心配ごともない。恐怖もない。飢えも渇きもない。欲望さえ起こらない。あるのはただ君の記憶と、思考だけだ。それに眼の機能が残っていれば、君は本を読むことができる。ぼくからすれば、かなり楽しい生活じゃないかね?」

「そうかもしれないな」

「そうだ、ウィリアム。とりわけ、哲学博士にとってはね。これはたいした経験だよ。君は何ものにも左右されない、落ち着いた状態で世界を反省することができるのだ。そんな境地に到達した人間がこれまでにいたかね? それにその結果、一体何が起こるのだろうか。偉大な思想や解答が得られるかもしれないのだ。われわれの人生を根底からくつがえすような! 想像してみたまえ。どれほど集中できる状態に自分が置かれるか」



(この項つづく)