陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール「ウィリアムとメアリー」その3.

2011-10-10 08:25:28 | 翻訳
その3.

 壮年期にある私に、突如襲いかかった病気のあれやこれやについては、君もよくわかっているはずだ。そんなことで時間を無駄にする必要はないが、同時にこのことだけは認めておかなければなるまい。もっと早く医者のところにいかなかった私は、極めつきのばか者だった。現代の医薬品でも治療できない疾病はいくつか残っているが、ガンもそのひとつだ。あまりに拡がっていなければ、外科手術も可能だが、私の場合は手の施しようがなかっただけでなく、膵臓にまで転移しており、外科手術も、生存も等しく絶望的だった。

 そうしていま、残された命が六ヶ月、ことによれば一ヶ月となって、一時間が過ぎるごとに、どんどん憂鬱になっていった。そんなとき、不意にランディがやってきたのだ。

 六週間前の火曜日の朝早く、君が見舞いに来てくれるよりずっと早い時間だった。ランディが病室に姿を現した瞬間、風と一緒に狂気じみたものが入ってきたのを感じた。ちょうどほとんどの見舞客が、言うべき言葉も知らず、おどおどと決まり悪げに、足音を忍ばせて、つま先立ってこっそりと入って来るのとはまったくちがっていた。力強い足取りで、にこにこしながらやってきて、ツカツカとベッドまで歩いてくると、目をきらきらと輝かせて私を見下ろしながら言ったのだ。
「ウィリアム、完璧だよ。君こそ、ぼくが求めていた人物だ」

 ひょっとしたら私はここで君に説明しておいたほうが良いかもしれない。ジョン・ランディは一度も我が家にやってきたことはないし、君が会ったことがあるにしても、数えるほどのことだっただろうが、私と彼とは少なくともこの九年間はずいぶん親しくつきあってきたのだ。もちろん私は元来哲学の教師ではあるが、君も知ってのとおり、最近では心理学の領域にも、かなり深く関わるようになっていた。それゆえ、ランディの関心事と私のそれはいくぶん重なり合っていたのだ。彼は神経外科医としてはたいしたもので、一流の誉れも高い人物である。ここ数年、その彼が親切なことに、彼の研究成果を私にも勉強させてくれていたのだ。とりわけ、さまざまな型の精神病質者に対する前部前頭葉ロボトミーによるさまざまな影響についてである。そんなわけで、火曜日の朝、突然彼がやってきたときに、私たちが互いをよく知っていたことは、君にもわかってもらえたと思う。

「さて」彼はベッド脇の椅子を引き寄せながら言った。「二、三週間のうちに、君は死ぬ。そうだね?」

 ランディにかかると、こうした問いかけすら、さして心ないものには思えないのだ。こうした忌避されるべき話題をずばっと口にできるほど度胸のある人物の到来は、ある意味では気散じにもなるのだから。

「君がこの病室で呼吸停止したあとは、ここから運び出されて火葬に付されるのだね」

「埋葬してほしいものだな」と私は言った。

「それはもっといけないね。そんなことをしたらどうなる? 天国に行くなんてごたくを信じているのかね?」

「とんでもない」と私は言った。「まあ、そう考えれば慰めにはなるが」

「もしかしたら地獄かもしれないがな」

「いったいどうして私がそんなところに送られなきゃならないのか、皆目、見当がつかないね」

「そりゃ君にはわからないだろうさ、ウィリアム」

「いったい何の話をしているんだ」と私は尋ねた。

「まあ」と彼は口を開いたが、その目が私に注意深く注がれていることがはっきりとわかった。

「個人的な意見を言わせてもらえば、君が死んだ後になって、誰かが君の話をしているのを聞くなんてことは信じちゃいない――あることをしない限りはね……」そうして言葉を切ると、笑顔になって身を乗り出した。「……あること、というのは、だね、君が自分のことをぼくの手に委ねてくれる気持ちがあるかどうか、ってことなんだがね。君はこの提案を考えて見てはくれないだろうか」


(この項つづく)