その4.
第二章 興味深くも重大な知らせ
八月五日
手紙の束が届く。一通はキャロラインから。もう一通は母から。それぞれ父宛にも。
あの子からの手紙のどれを読んでも、こうなることはわかっていた、それが現実となったのだ。婚約、というか、それに近いものがキャロラインとムッシュー・ド・ラ・フェストのあいだでかわされた。キャロラインはこの上ないほど幸せでいるし、お母さんもすっかり満足している。もちろんマーレット家もそうだ。マーレット家の人たちもお母さんも、その青年のことは何もかもご存じらしい。わたしにも、もう少し知らせてくれてもよさそうなものだ。わたしだってキャロラインの姉なのだから。父の気持ちもわからないではない。ひどく驚いているだけでなく、わたしにははっきりわかるのだけれど、かならずしも喜んでいるわけではないのだ。本決まりになる前に、ただの一度も相談がなかったのだから。良い人だから、はっきりそれを口に出すようなことはしないけれど。
わたしはなにも、わたしたちがとやかく言って、せっかくの良いご縁を滞らせるつもりはないのだ。もしほんとうに良いご縁なら、の話だけれど。でも、その知らせはあまりに急ではないのだろうか。
お母さんであれば、こうなることはもう少し前からはわかっていたのだし、キャロラインだって、“マーレット家の知り合い”であるとか、最近の手紙にあったように、名前さえ書かないようなことをするかわりに、もっとはっきりと、ムッシュー・ド・ラ・フェストが自分の恋人だと教えてくれればよかった。
父は、別にフランス人だからといって、はっきりと反対しているわけではないが、「義理の息子になるんだったら、イギリス人か、さもなければもう少し分別のある国の人間だったら良かったな」と言っている。それには、わたしはこう答えておいた。人種や国や宗教のちがいなど、きょうび、廃れつつあるし、愛国心などは一種の悪徳ともいわれていますよ、結局のところ、このような場合には、その人、その人の性質だけを、考えていれば良いのではないでしょうか、と。それにしても結婚式を挙げたあと、相手は引き続き、ヴェルサイユに住むつもりなのだろうか、それともイギリスに来ることになるのだろうか。
八月二日
追加の手紙がキャロラインから届く。わたしの不審な点を先回りして答えている。あの子は「シャルル」と書いているのだが、いまはヴェルサイユに自宅はあるけれど、そこでどうしても仕事を続けなければならないというのでもないらしい。思想や芸術や文化の中心からあまりに離れるのでなければ、あの子が望むところに住むつもりだという。
母も妹も、式は来年まで挙げるつもりはないらしい。シャルルさんは風景画や運河の絵を毎年展覧会に出品しているのだそうだ。おそらく彼は知名度も高く、ふたりが安楽に暮らしていけるほど、十分な収入もあるのだろう。もしそうではないのなら、きっと父があらかじめ考えていたのより、遺産をいくぶん増やしてやればいいのだし、そのぶん、わたしの遺産を削れば良いだけの話だ。まあ、わたしの方が先にそういう必要がでてくるはずだったのだが。
「愛嬌のある仕草、魅力的な容貌、人格者であること」というのが、わたしの質問――いったいどういうひとなの――に対するあの子の答えである。ずいぶん曖昧な説明で、わたしとしては、ひとつでもはっきりとしたもの、肌が白いか日に焼けているか、とか、声の感じとか、癖、考え方でもいい、そんなことが知りたかったのに。
けれど、あの子ときたら、まあそれも仕方がないのだろうけれど、個々の具体的な特質を見きわめるような目を持っていないのだ。あの子は、相手のありのままを見ることなどできはしない。まばゆいばかりのきらめきに照らされた相手の姿しか目に入らない。いままでも、これから先も、外国人であろうが、イギリス人であろうが、植民地生まれの人であろうが、もうどんな人にもそんな光は当たらないだろうけれど。
それにしても、わたしよりふたつ下、性格的には五つ下といってもいいほど子供っぽいキャロラインが、わたしより先に婚約するなんで。とはいえ、そんなことはわたしたちが知っている以上に、世間ではありがちなことなのだろう。
(この項つづく)
(※昨夜はルーターの不調でアップできませんでした。うまく接続しなおせたと思うので、たぶん今日の夜はつぎの日の日記をお届けできるかと思います。)
第二章 興味深くも重大な知らせ
八月五日
手紙の束が届く。一通はキャロラインから。もう一通は母から。それぞれ父宛にも。
あの子からの手紙のどれを読んでも、こうなることはわかっていた、それが現実となったのだ。婚約、というか、それに近いものがキャロラインとムッシュー・ド・ラ・フェストのあいだでかわされた。キャロラインはこの上ないほど幸せでいるし、お母さんもすっかり満足している。もちろんマーレット家もそうだ。マーレット家の人たちもお母さんも、その青年のことは何もかもご存じらしい。わたしにも、もう少し知らせてくれてもよさそうなものだ。わたしだってキャロラインの姉なのだから。父の気持ちもわからないではない。ひどく驚いているだけでなく、わたしにははっきりわかるのだけれど、かならずしも喜んでいるわけではないのだ。本決まりになる前に、ただの一度も相談がなかったのだから。良い人だから、はっきりそれを口に出すようなことはしないけれど。
わたしはなにも、わたしたちがとやかく言って、せっかくの良いご縁を滞らせるつもりはないのだ。もしほんとうに良いご縁なら、の話だけれど。でも、その知らせはあまりに急ではないのだろうか。
お母さんであれば、こうなることはもう少し前からはわかっていたのだし、キャロラインだって、“マーレット家の知り合い”であるとか、最近の手紙にあったように、名前さえ書かないようなことをするかわりに、もっとはっきりと、ムッシュー・ド・ラ・フェストが自分の恋人だと教えてくれればよかった。
父は、別にフランス人だからといって、はっきりと反対しているわけではないが、「義理の息子になるんだったら、イギリス人か、さもなければもう少し分別のある国の人間だったら良かったな」と言っている。それには、わたしはこう答えておいた。人種や国や宗教のちがいなど、きょうび、廃れつつあるし、愛国心などは一種の悪徳ともいわれていますよ、結局のところ、このような場合には、その人、その人の性質だけを、考えていれば良いのではないでしょうか、と。それにしても結婚式を挙げたあと、相手は引き続き、ヴェルサイユに住むつもりなのだろうか、それともイギリスに来ることになるのだろうか。
八月二日
追加の手紙がキャロラインから届く。わたしの不審な点を先回りして答えている。あの子は「シャルル」と書いているのだが、いまはヴェルサイユに自宅はあるけれど、そこでどうしても仕事を続けなければならないというのでもないらしい。思想や芸術や文化の中心からあまりに離れるのでなければ、あの子が望むところに住むつもりだという。
母も妹も、式は来年まで挙げるつもりはないらしい。シャルルさんは風景画や運河の絵を毎年展覧会に出品しているのだそうだ。おそらく彼は知名度も高く、ふたりが安楽に暮らしていけるほど、十分な収入もあるのだろう。もしそうではないのなら、きっと父があらかじめ考えていたのより、遺産をいくぶん増やしてやればいいのだし、そのぶん、わたしの遺産を削れば良いだけの話だ。まあ、わたしの方が先にそういう必要がでてくるはずだったのだが。
「愛嬌のある仕草、魅力的な容貌、人格者であること」というのが、わたしの質問――いったいどういうひとなの――に対するあの子の答えである。ずいぶん曖昧な説明で、わたしとしては、ひとつでもはっきりとしたもの、肌が白いか日に焼けているか、とか、声の感じとか、癖、考え方でもいい、そんなことが知りたかったのに。
けれど、あの子ときたら、まあそれも仕方がないのだろうけれど、個々の具体的な特質を見きわめるような目を持っていないのだ。あの子は、相手のありのままを見ることなどできはしない。まばゆいばかりのきらめきに照らされた相手の姿しか目に入らない。いままでも、これから先も、外国人であろうが、イギリス人であろうが、植民地生まれの人であろうが、もうどんな人にもそんな光は当たらないだろうけれど。
それにしても、わたしよりふたつ下、性格的には五つ下といってもいいほど子供っぽいキャロラインが、わたしより先に婚約するなんで。とはいえ、そんなことはわたしたちが知っている以上に、世間ではありがちなことなのだろう。
(この項つづく)
(※昨夜はルーターの不調でアップできませんでした。うまく接続しなおせたと思うので、たぶん今日の夜はつぎの日の日記をお届けできるかと思います。)