陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

大人になってはみたものの

2010-05-08 22:16:38 | weblog
毎年「子供が将来就きたい職業」というアンケートの結果が発表されるが、あれを見るたびに不思議な気持ちになる。

ちなみにここの記事(2010年04月30日付け)

http://news.livedoor.com/article/detail/4747870/

によると、全国の幼児・児童(保育園・幼稚園児及び小学校1~6年生)を調べた結果(971票が有効回答とあるので、おそらく1000人を対象としてアンケートを取ったのだろう)男の子が

1位「野球選手」(16.3%)
2位「サッカー選手」(12.2%)
3位「食べ物屋さん」(5.5%)

女の子が

1位「食べ物屋さん」(20.0%)
2位「保育園・幼稚園の先生」(6.9%)
3位が「看護師さん」(これはパーセンテージが載っていなかった)

ということだ。

だが、これを見てわかるのは、「子供が知っている職業」「子供の身近な職業」というのがこの程度のものなのだろうなあ、ということだ。知らない仕事はイメージできない。毎日お父さんが行っている「会社」というものが、いったいどんな仕事をするところなのか、小学生であっても知っている子供の方が少ないだろう。

身の回りから「働いている大人」の姿が見えにくくなった結果、子供が「知っている職業」というと、テレビを通して見る人か、日常でふれあう限られた職業人、つまりは幼稚園や保育園や学校の先生の先生か、病院の看護師さんやお店屋さん、ということになったのだと思われる。

だが、こんなことを聞いて、いったい何の役に立つというのだろう。
記事には「野球選手が何年連続…」といったことが書いてあるけれど、逆にいうと、このアンケートから読みとれるのは、そんな意味のないことぐらいでしかない、という証明だ。こんなアンケートはいいかげん、やめてしまえばいい。

そもそも「大人になったら何になるの」という質問は、子供に将来の進路に関する希望をたずねるものではない。
まず、小さな子供に「じゅんちゃんは大きくなったら」と話しかけることによって、「じゅんちゃん」である自分もやがて大きくなる、お兄ちゃんお姉ちゃんのように、幼稚園や学校に行くようになり、やがてはお父さん、お母さんになるんだ、ということを知る。

つまり、「時の経過」ということを教えるための「質問」であり、「自分のいまの状態が未来永劫続くわけではない」ということを教えるための質問なのである。

それだけではない。この質問は、本来、おとなになるとは「何かになる」ことである、ということも教える。「ネコになる」と答えると、「じゅんちゃんは人間でしょ、人間はネコにはなれないのよ」と言われ、「正しい」範囲、「何か」の適切な範囲が示されるのだ。

したがって、「大人になったら何になるの」という質問の答えが、ネコやクマや「機関車トーマス」や「アンパンマン」などと逸脱さえしていなければ、その答えなどどうでもいいはずなのだ。

この問いは、質問の形式こそ取っているが、実のところ、質問でもなんでもない。こう問いかけることによって、あなたは大人になるんだよ、そうして「何か」にならなきゃいけなんだよ、さらに、それはいいことなんだよということを、繰りかえし刷りこんでいるに過ぎない。

だが、問う側はもはや子供ではない。この質問の意味ではなく、文字通りの「問い」として、問いかける側が問われているのかもしれない。

こう問うている自分は、はたして「大人」なのだろうか。
そもそも、大人とはいったい何なのか。
自分はその「何か」になっているのだろうか。現在就いている職業が、「何か」という自分の属性を語るものとなっているのだろうか。どうして「何か」にならなくてはいけないのだろう。あるいは、この「何か」を抜いた自分が、「ほんとうの自分」と言えるのだろうか……。

むしろ、この質問が問われるべきは、小さい頃そうやって「刷りこまれてきた」自分だろう。どうして「何か」にならなければならないのか。自分はその「何か」になっているといえるのか。「何か」にならなかったとしたら、どういう生き方がありうるのか。

この問いが真に「問い」となってくるのは、大人の側であるような気がする。