hiyamizu's blog

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桐島洋子「淋しいアメリカ人」を読む

2007年08月17日 | 読書
1971年に出版され、72年に第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「淋しいアメリカ人」を読んだ。

時代を切り取るノンフィクションでありながら36年経った今でも新鮮で、「そうそう」とうなずく点が多い。もちろんアメリカも、より複雑化した社会になり、今では無くなった風俗や、現在には適合しない記述もある。しかし、激しく変化しているアメリカも、基本的社会構造、各層での考え方など変わっていない点も多いと、この本によって教えられた。

著者の、ある出来事や、人の言葉の表面でなく、その裏というより、その基となるところを把握する力には感心する。これは著者が、単に皮肉屋というだけでなく、自分というものをしっかり持って、軸がぶれないためでもあろう。


フリープレス広告で夫婦スワピングを行うごく普通の夫婦たちの話がある。本当かなと思うほど大胆な行動も多いが、ベトナムの戦場にもぐりこんだり、30年も前に未婚の母になったりしたこの人の行動力を思うと、信じられる。

以下、いくつかなるほどと思ったところを引用する(一部文章を短くしている)。

「無知な若者の火遊びによる招かれざる私生児が多い」「養子がかなり行われている。自分の子供はどんな子が生まれてくるかまったくわからないうちから親子の縁を結ぶのにくらべ、養子の場合は、性別はもちろん、ある程度の容姿も確認してから縁を結ぶのだからリスクは少ない」

「子から離れて淋しく暮らすアメリカの老人の姿を、個人主義の悲惨な結末といる感傷的な見方で評価する人が少なくないようだが、本当に逞しい個人主義を生きてきた人間なら、老年に達してそれが突然悲惨に変わったりはしないものである」「さすがに個人主義の国だ。筋金入りの個人主義者が多いと、私を安心させてくれるしっかりした老人達がそれぞれの城を守って生きているのがアメリカだった」

「チャーター機でヨーロッパ旅行する大金持ちがレストランの勘定書きの一つ一つを厳密にたしかめ、ちょっとでも間違いがあろうものなら徹底的に追求する」

「中流階級は浪費への憧れと節約の義務感とが、いつも彼等を慢性的な焦燥状態においている。・・・アメリカでセーブ・マネーとわめきたてるのは、銀行ではなく商店なのだ。今週は当店のセールでセーブ・マネーを! 買わないで節約のチャンスを放棄するのが堅実な市民として許さざる怠慢のようにさえ思われてくる。セーブ・マネー! この呪文がアメリカ市民の消費の免罪符なのだ。」

「私がかって取材のため(ベトナムの)非武装地帯に進攻した海兵隊と共にジャングルで野営していた数日間、これでもかこれでもかと空から降り注いだのは、敵の砲弾ではなくおびただしいアメリカ食品だった。  将校の個室には冷蔵庫が完備し、食堂に行けばカンサス牛のステーキと、アイオワのスウィート・コーンと、カリフォルニアのオレンジ・ジュースと、・・つまりアメリカ中の大衆食堂と全く同じメニュー、同じ味が用意されている」



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