hiyamizu's blog

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岡本かの子『河明り』を読む

2022年08月19日 | 読書2

 

岡本かの子著『河明り』(昭和14年6月22日創元社発行)を読んだ。

 

この本もまた、棚の奥深くから出て来た昭和14年の初版本で、「河明り」は青空文庫で全文、ルビ付きで読めるのに、わざわざ所々シミがある薄黄色い紙の本で読んだのである。ただし、この本には「河明り」(154p)のほか、小品の「或る日の幻想」(12p)と、「雛妓(すうぎ)」(85p)が載っている。

 

「河明り」

語り手である小説家の「私」が仕事に行き詰まり、気分を変えるために仕事場を日本橋亀島河岸で水運業を営む堺屋の一室に移す。堺屋の娘は素晴らしい美人で、健康に問題ある父親に代わって若い者への指図などもこなしていた。たまたま訪れてきた舞妓から娘には木下という婚約者がいるが、彼の態度がはっきりしなく悩んでいるのだと聞く。

具合が悪いという娘の部屋に「私」が行くと、3年前に揃えたという嫁入りに持って行く豪華な衣装などを見せられた。「私」は堺屋の一人娘の相談相手にされ、結局、新嘉坡(シンガポール)まで娘とともに婚約者である船員の木下に会いに行くことになる。木下の懸念していることは……。

 

「或る日の幻想」

都留子と都留子の分身による演劇の脚本。

 

「雛妓(すうぎ/おしゃく)」青空文庫で全文読める

歌人のかの子は画家の逸作と一人息子の一郎と暮らしている(モデル:岡本かの子、一平、太郎)。父親の死を見届けて帰宅したかの子は落ち込んで、くたびれ切っていた。逸作が見かねて不忍池の中ノ島にある料亭・蓮中庵に二人で出かける。そこで「かの子」と呼ばれる雛妓(=まだ一人前でない芸妓、半玉)が居ることをしって、座敷に呼んだ。まだ16歳と若く、一見無邪気に見える雛妓の「かの子」に慰められた。帰宅する二人は、「奥さまのかの子さーん」、「お雛妓のかの子さーん」と呼び合った。

 

かの子は葬儀を終えても塞ぎがちだったが、「雛妓のかの子」が近くの園遊会の帰りに訪ねてきて、かの子の気も少し晴れた。さらにかの子の方から逸作を誘って蓮中庵へ行き……

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

 

女性味たっぷりなかの子の表現は、特に料理や着物の詳しい記述、豊かな表現にはなるほどと思わされた。

 

豪商の娘としての誇りと苦労、茶屋遊びの様子など良くも悪くも時代を感じた。

 

実際のかの子は、夫の一平の放蕩にさんざ悩まされたが、やがて一平は改心したという。この小説では、放蕩の過去にも記述があり、そして今は思いやり深くかの子を支えている一平(逸作)がいる。こののち、世間を騒がせた男2+女の3人同居の生活などは感じられない。

一人息子の一郎として登場する岡本太郎がなかなかの孝行息子として出てくるのが、母親からの偏った目を思わせて可笑しい。今頃銀座でピカソの議論でもしているのだろうとの父親(逸作)の話も出てくる。

 

なんとなくは読めるのだが、いくつかの漢字が旧字で書かれていて読みにくい。「靉靆」(あいたい=陰気なさま)など目がチカチカする。昔の知識人はすごい!

「雛妓」も辞書には(すうぎ=まだ一人前にならぬ芸妓。半玉)と出ているのだが、青空文庫では「雛妓」(おしゃく)とルビが付いている。

また、見慣れない漢字で植物や動物の名前が書かれていて、いちいち調べる気になれない。新嘉坡(シンガポール)、馬来半島(マーレ―半島)など土地の名前にも苦労する。

 

 

岡本かの子

1889年~1939年。大正、昭和の歌人、仏教研究家、小説家。

漫画家の岡本一平と結婚し、芸術家・岡本太郎を産んだ。

耽美妖艶の作風を特徴とする。かの子は夫の一平の放蕩に悩むが、やがて、夫婦と、かの子の崇拝者である学生と3人による同居生活するなど奔放な生活を送った。

 

 

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