hiyamizu's blog

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白川優子『紛争地の看護師』を読む

2018年11月23日 | 読書2

 

白川優子著『紛争地の看護師』(2018年7月11日小学館発行)を読んだ。

 

「国境なき医師団(MSF)」は、独立・中立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の鉱区再団体。1971年設立。活動資金はほとんどを民間からの寄付でまかなっている。白川優子さんは、MSFの看護師。


この本には紛争地での医療活動がいかに危険で、困難な環境にあるかが、多く語られている。この点については、是非この本を読んでいただきたい。以下では目次のみ書き記す。

章「イスラム国」の現場から ─モスル&ラッカ編─

第二章 看護師になる ─日本&オーストラリア編─


第三章 病院は戦場だった ─シリア前編─

第四章 医療では戦争を止められない ─シリア後編─

第五章15万人が難民となった瞬間 ─南スーダン編─

第六章 現場復帰と失恋と ─イエメン編─

第七章 世界一巨大な監獄で考えたこと ─パレスチナ&イスラエル編─

「広大な農場も水道のシステムを破壊されたために荒廃している。工場も同様だ。電気の供給が機能せず、ガザでは電気をイスラエルから買わなくてはならないという屈辱的な仕組みが出来上がってしまった。……
屈辱感、従属感を与え続けるのもイスラエルの政策なのだろう」

最終章 戦争に生きる子供たち

 

口絵に小さいながらカラー写真が30枚掲載されていて、本文を読んだ後で見ると、実状が分かりやすい。しかし、悲惨な状況でなく、スタッフや現地の人の笑顔の写真が多いのでほっとする。

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき)(最大は五つ星)

 

あらためて、戦争ほどばかげたものはないと思った。とくに内戦は無意味だ。いかにシリアの現政権が独裁的で無慈悲であっても、内戦はより酷い状況に国民を陥れる。じっと耐えて時を待つ方が良いと思ってしまう。

 

帰国時のテルアビブの空港の出国審査は残酷だった。パレスチナ支援関係者への嫌がらせだった。真っ裸にされ、渡航した国での接触した人の詳細、連絡先をしつこく質問された。部屋の外には荷物が散乱し、家族へのお土産の包装紙は破られ、財布内のレシート1枚まで取り出されていた。
しかし、白川さんは書いている。

「私が受けた嫌がらせと屈辱は、パレスチナ人がうけているものの比にならない。だけどこの時は、ここまでしなくてはならないほど追い込まれてしまったユダヤ人にたいする同情の涙も混じっていた。」
ただただイスラエルの暴虐に怒るだけの私に比べ、白川さんのやさしさにはあきれ果てるしかない。過酷な紛争地へ飛び込む勇敢な心と、敵を思いやる優しい心は同居できるのだ。

 

 

白川優子(しらかわ・ゆうこ)

1973年、埼玉県出身。坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校卒。Australian Catholic Unibersity(看護科)卒。

日本とオーストラリアで看護師経験を積み、2010年「国境なき医師団」に参加。

シリア、イエメン、イラク、南スーダン、パレスチナなど、紛争地に派遣。

2018年6月、17回目の派遣先イラク・モスルに出発。

 

 

以下メモ

 

第1章「イスラム国」の現場から ─モスル&ラッカ編─

2016年10月モスル奪還作戦開始直後にイラク第二の都市モスルに入った。クルド人自治政府内に巨大なテント病院を設置。

 

ISは残酷だ。指の匂いを嗅がれ、タバコの匂いがすると、その場で指を切り落とされる。携帯電話所持はスパイ容疑で斬首されたという。

 

地雷で右足を切断した女性は、痛さでなく恐怖でいつも叫んでいた。傷は治せても、心理療法士、義肢装具士、理学療法士、そして帰る家がない。

 

外気温は50度、冷房がない。私の辛さには帰国という終りがあるが、もっとつらいシリア人には終りがない。

 

第二章 看護師になる ─日本&オーストラリア編─

 

オーストラリアで看護師の資格を得て、就職し、収入も安定し、永住権も取得した。しかし、すべてを捨てて帰国し、37歳で目的だったMSFへ参加登録した。


第三章 病院は戦場だった ─シリア前編─

デモから始まったシリアの騒乱は、政権側がデモを起こす市民に銃を向けたことで内戦になった。ケガした市民は病院に運ばれるが、政権側は病院でデモ参加者を逮捕し、やがて医師たちも逮捕されるようになった。政権側がMSFなどの病院を爆撃することがあるのはこのためだ。秘密にしていたMSFの拠点をネットニュースに報じられてしまい、翌日空爆された。

第四章 医療では戦争を止められない ─シリア後編─

MSFの現場では輸血用血液不足は深刻な問題だった。しかし、シリアの現場では一般市民の自発的献血で十分確保できた。

第五章15万人が難民となった瞬間 ─南スーダン編─

紛争地の活動でよく言われる言葉。
「怖いと思うものは帰国した方がよい。ただし怖さに麻痺してしまった者は一番に帰国させなくてはならない」

第六章 現場復帰と失恋と ─イエメン編─

第七章 世界一巨大な監獄で考えたこと ─パレスチナ&イスラエル編─

「2014年、激しい空爆が51日間続いた。現在一ヶ月に1、2回の頻度で起こる単発の空爆は」話題にもあがらない。

「広大な農場も水道のシステムを破壊されたために荒廃している。工場も同様だ。電気の供給が機能せず、ガザでは電気をイスラエルから買わなくてはならないという屈辱的な仕組みが出来上がってしまった。……
屈辱感、従属感を与え続けるのもイスラエルの政策なのだろう」

国際連合パレスチナ難民救済事業機関が無料で小中学校教育を提供し、教育レベルは高い。ガザには大学だけでも8つあるが、卒業したとたんに行き場がなくなってしまう。


最終章 戦争に生きる子供たち

 

 

誤植
国連墓地→国連基地 p164の 2行目 初版

コメント
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