hiyamizu's blog

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葉室麟『乾山晩愁』を読む

2013年07月31日 | 読書2

葉室麟『乾山晩愁』(角川文庫)を読んだ。

江戸時代の絵師、尾形乾山、狩野永徳、長谷川等伯、清原雪信と狩野探幽、英一蝶の人生の悲哀、苦悩、野心を、時の権力者、綿密な資料調べで描いた5編の短編集。

「乾山晩愁」
江戸中期を代表する画家尾形光琳の弟の尾形深省(陶工としての号は乾山)(1663-1743年)は、いかにも才能あふれ、生活も派手な兄と違い、地道で、自らの才能に自信がもてない。光琳亡き後、乾山の陶器に絵付けしてもらうこともできない。光琳のように江戸に出た乾山は、晩年に語る。
「結局は人の情や。人の情をしのぶのが物語や絵なんや」「兄さんにとって絵を描くことは苦行やった。この世の愁いと闘ったのや。そうしてできたのが、はなやかで厳しい光琳画や。わしは、愁いを忘れて脱け出ることにした。それが乾山の絵や」

「永徳翔天」
足利将軍、織田信長、木下藤吉郎など権力者に取り入ることを、土佐派の土佐光元、光茂などと争いながら、狩野源四郎(のちの永徳)(1543-1590年)は、その卓越した絵筆で、狩野派の御用絵師としての座を盤石のものにする。
永徳は、織田信長による天下城、安土城の1階から7階まで「天を飛翔する」一世一代の絵を描くが、城とともに焼失してしまう。
子は凡才であり、やがて長谷川等伯の名が高まっていく。

「等伯慕影」
日本画のトップ、巨匠だった狩野永徳に戦いを挑んだ長谷川等伯を描く。武田信玄の肖像画で名を知られ、派手嫌いの千利休に取り入り、狩野派の一角を破る。やがて靄に煙る黒一色の松林図で高名を得るが、長谷川派を託そうとした才能豊かな息子久蔵は若くして死ぬ。

「雪信花匂」
三家に分かれた狩野家の分家でありながら、狩野探幽は16歳で御用絵師となり、やがて天下一の絵師となる。その探幽の姪の娘で、狩野派随一の女流画家、清原雪信は若くして評判をとったが、恋に生きた。

「一蝶幻景」
絵師の多賀朝潮(ちょうこ)は俳諧師宝井其角の家を訪ねる途中で蝶の群れを見る。朝潮は伝統的狩野派の絵に飽き足らず、今の風俗画を描き、師の安信をしのぐ評判を得た。その結果、吉原通いを咎められて破門になった。
将軍綱吉の愛妾お伝の方は綱吉の生母桂昌院のお気に入りであることから大奥で勢力を強め、公家からの御台所正室信子夫人は京の官女を呼び寄せて対抗しようとしていた。いわば、大奥を舞台にした幕府の禁裏の争いに巻き込まれた朝潮は島流しとなる。11年後、赦免船で江戸に戻る途中、蝶を見たことから、英一蝶(はなぶさ・いっちょう1652-1724年)と名乗る。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

江戸時代の絵師に興味のある人には喜ばれるだろう。しかし、良く調べた歴史的事実を巧みに組み合わせて丁寧に描いているのだが、ただ、事実の羅列というか、潤いやユーモア、深みがない。一話の創作部分をもっと書き込んで、連作でなく、長編にした方がよかったと思う。

歴史の組合せ方も多少強引だ。例えば「一蝶幻景」では、英一蝶、狩野派内の争い、大奥、赤穂浪士討入り、日蓮宗の不受不施派を強引に絡み合わせている。



葉室麟さん(はむろ・りん)
1951年北九州市生まれ。西南学院大を卒業し地方新聞記者。
2005年「乾山晩愁」で歴史文学賞受賞しデビュー
2007年「銀漢の賦」で松本清張賞
2009年「いのちなりけり」と「秋月記」、2010年「花や散るらん」、2011年「恋しぐれ」で直木賞候補
2012年「蜩ノ記」で直木賞受賞 


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