hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

カフカ『万里の長城』を読む

2011年02月08日 | 読書2

カフカ著、池内紀訳『カフカ・コレクション ノート1 万里の長城』白水Uブックス、2006年9月、白水社発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。

カフカ・コレクションの「ノート」は、作者自身が書いたときの姿に限りなく近い形で再現されている。したがって作品の成立過程がはっきりと見てとれる。読者は小説家カフカの秘密、未知の面白さを発見することができる。「ノート1」は、手稿の前半部分から16篇を収録。



内容は、いつものように夢の中のような話が多く、55ページの「ある戦いの記録」をはじめ、ショートショートのような極短いものも多い。2ページほどで中断されている「屋根裏部屋で」や、「鉱山本部」、「雑種」、「隣人」、1ページちょっとの「橋」や、半ページほどの「小ねずみ」「だだっこ」「蛇」などだ。

池内さんの解説から引用する。

(万里の長城は、)全労働者が約二十名からなる班を組み、各班がほぼ五百メートルの城壁を担当する。べつの班が同じく五百メートルを受けもって、反対側から工事を進めてくる。担当分が完了したのち、各作業班はできあがった千メートルの城壁に引きつづいて次の工事に入るのではなく、全然別の地へと送られた。
・・・大工事はいつまでつづくかわからない。何か月、何年にもわたって石を積み続ける。・・・工区完成の高揚した気分のままに、別の地に移る。・・・
ここに語られていることは、実を言うと、そっくりそのまま長編『審判』の書かれた過程にあてはまる。・・・工区分割方式によって終わりが先に書かれていたが、にもかかわらず小説は「手つかず」の個所を残したまま放棄された。



カフカが生前発表した作品は短編集二冊分にすぎず、『アメリカ』、『城』、『審判』の3大長編、短編、厖大なメモなどが残されていた。親友のマックス・ブロートは困難を乗り越え、全集を無報酬で刊行した。
作家でもあったブロートは、自ら「書き間違い」として様々な訂正、修正を加えた。カフカの原著は、順番通りに書かれていないので、自分で章の順番を決定したり、日記の中のエピソードから短編を作ったりした。
そこで、近年、この本のように原著作に近い形での再構成がさまざまに行われている。



カフカ Franz Kafka
1883年―1924年。チェコのプラハ生れ。両親ともドイツ系ユダヤ人。
プラハ大学で法学を専攻。卒業後は労働者障害保険協会に勤めながら執筆に励む。
結核で41歳で死去。

代表作『変身』、『審判』、『城』、

その他、『絶望名人カフの人生論

池内紀(いけうち・おさむ)
1940年、姫路市生れ。ドイツ文学者、エッセイスト。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

訳者の池内さんが、最後に書いている。

仕事場にしたのはプラハ市中を流れるモルダウ川を渡った先、・・・およそ寒々しく、使い勝手が悪いので、借り手がいなかったしろものである。
勤めからかえると二時間ばかり仮眠をとり、夕食のあと、小さな包みをもって両親の家を出る。橋を渡り、何百もの石段を上がっていく、包みには、ちょっとした夜食と小型ノートが入っていた。夜ふけまで小説を書き、また翌日の出勤にそなえて市中の家にもどってくる。凍りつくようなプラハの冬に、どのような気持ちで執筆に励んでいたのか、感慨めいたことは一切述べていない。いずれにせよ、コッペパンに小さなノートの包みをぶら下げ、長い石段をのぼっていく姿は、二十世紀の文学的風景のなかで、もっとも美しい一つではなかろうか。



現代は純文学の危機と言われて久しい。危機とは何だ? 本が売れないことか? 純文学とは? 革命的、画期的文学がそうそう出現するものだろうか? 
膨大な数の似たような小説のクズ山のなかで、もしかしたら既にもう、人知れず密かに純文学は生まれて、そして埋もれたままになっているかもしれない。そんなことをカフカは思わせてくれる。
若い美男、美女が華やかにデビューするのでは、純文学ではない(?)。さて、私も、暖房を切った4畳半の裸電球の下にみかん箱を置いて、鉛筆なめなめ、白髪頭を掻きむしって読まれるあてもない原稿用紙を埋めていくとするか??



目次
「ある戦いの記録」/「村の教師」/「中年のひとり者ブルーム」/「屋根裏部屋で」/「墓守り」/「橋」/「狩人グラフス」/「小ネズミ」/「万里の長城」/「中庭の門をたたく」/「こうのとり」/「だだっ子」/「隣人」/「雑種」/「鉱山本部」/「舵」/『万里の長城』の読者のために


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする