hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

吉田修一「日曜日たち」を読む

2009年12月14日 | 読書2

吉田修一著「日曜日たち」2003年8月、講談社発行を読んだ。

東京で暮らす若者たちの不安感や孤独感をさりげないタッチで描く吉田修一の5編の短編集。互いに無関係な5人の若者の憂鬱な日曜日の出来事。彼らをわずかにつなぐのは、リュックを背負ったわけありな小学生の兄弟だけ。

初出は「小説現代」2002年6月号から2003年6月号

日曜日のエレベーター
だんだんと落ちていく30歳を超えた無職の男が,日曜日ごとに部屋に来ていた医者の卵の恋人のことを思い出す。そんな彼も、お腹が減っていそうな兄弟にたこ焼きをおごる。

日曜日の被害者
日曜深夜,電話で泥棒に侵入されたという友人の話を聞いた独り暮らしの女性が、自分も恐怖を感じ始め恋人の家へ向かう。タクシーの中で、旅行中に間違えて自分たちの席に座っていた幼い兄弟とのトラブルを思い出す。

日曜日の新郎たち
東京で暮らす息子のもとに,日曜の親戚の結婚式に出席する父がやってくる。東京見物もそこそこに家に戻った父は、以前来た時に九州からやって来たらしい兄弟に鮨をおごったことを思い出す。

日曜日の運勢
女性たちについつい合わせてしまい、今は銀座のクラブのボーイの男。なんでも中途半端といわれて、「そうだ、あれだけ」はと、兄弟を引越し先まで送っていったことを思い出す。

日曜日たち
恋人の暴力に耐えかねて、自立支援センターに行く。一週間後、仮眠室から逃げ出そうとする兄弟を抱きしめ、ピアスを一つづつ渡す。10年後、名古屋へ帰るためアパートの鍵を返しにいく途中に見覚えのある顔に気づく。



私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)

東京の華やかな場所、派手な生活がまったく出てこない。東京に住む大多数の若者は、たまに繁華街に出ることはあっても、多くの時を、この本のように地味で寂しく過ごしているのだろう。

分かったような分からないような話

誰かを愛するということが、だんだんと誰かを好きになることではなくて、だんだんと誰かを嫌いになれなくなるということなのだと知ったのだ。



この本の最後の言葉がこれで、救われる。

15年暮らしたこの街をあとにする。嫌なことばかりだったわけではないと乃里子は思う。そう、嫌なことばかりだったわけではないと。
 
 
コメント
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