hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「年齢(よわい)は財産」を読む

2009年01月23日 | 読書2

日本ペンクラブ編「年齢(よわい)は財産」2008年11月、光文社発行を読んだ。

年をとることとは何かについて、日本ペンクラブの会員31名による全編書下ろしの随筆集。

収録されている多くの随筆が、年を取るよろこび、年齢を重ねることで見えてきたこと、気付いたこと、年取ってもまだまだやりたいことなどを述べている。しかし、必ずしもタイトルのように年取ることを良いこともあるとして肯定的にとらえた話だけではない。やはり衰えていくことへのぼやきもあるし、単に自分史を述べているものもある。
全体的に玉石混交で、書き下ろしのものをそのまま載せたようで、何らかの選定がされていないように感じる。

目次
言葉遊び(土居伸光、私の九十代・長命の哲学(伊藤桂一)、できなくなる、ばかりじゃない(角田光代)、衰えを知らない文学への熱情(梁石日)、骨を洗う(川浪春香)、三代目の弁(長部日出雄)、年齢と財産(瀬戸内寂聴)、悪魔と私(ドナルド・キーン)、長生きするのも芸のうち(有馬敲)、過去の多さは作家の財産(阿刀田高)、新しい獲得―わたしの中の小さな湖(落合恵子)、年上の友人と師に恵まれて(C・W・ニコル)、点の仲の年月(眉村卓)、老境になぜ道元か(倉橋羊村)、人に会う(夏樹静子)、人脈の話(佐高信)、年齢を想う(愛川欽也)、見えてきたもの(下重暁子)、それは、本当に財産なのか。(佐野洋)、辛い試練の向こう側(湯川れい子)、ダウト「年齢は財産」(五十嵐二葉)、複眼で生きる(三田誠広)、「姥捨駅」にて(野村正樹)、高齢化へのワープ(もえぎゆう)、役者の齢(松本幸四郎)、私の幸せ財産探しマニュアル(バーバラ寺岡)、「小さな物語」の向こうに(吉岡忍)、夢の最終便は華やかに(今田美奈子)、豊穣なる晩年(梅原猛)、野暮な婆さん(阿川佐和子)、楽隠居(浅田次郎)




角田光代さんは、27歳で精神的成長を止め、その後はとくに意識しないと自分を27歳と思ってしまう。具体的に年齢を意識させられて始めて、「ああ40歳なんだ」と思う。
若い頃読んだ本を30代半ばになってから再読し、気づかなかった魅力がわかる年齢になったと実感したと語る。
(これは共感できる。私も今66歳であることが信じられない。肉体的なことを除けば、意識は40代だ。内面が豊かになったとも思わないが、物事を多面的に見ることができるようにはなっているだろう。)

阿刀田高は、「50代、60代は10年まとめて考えられても、70代は前半と後半、80代は前、中、後と3つに分かれ、90代は多分毎年違う」と先輩に言われたと書く。
(確かに、離れて暮す母親に久しぶりに会うと、いつものようにいそいそと出迎えてくれるのだが、見ると急にがっくり年取ったなと思った。肉体的老いは年取るほど急激になる。しかし、逆に、頭の動きは、年取ると体内の時計がゆっくり進むようになるため、外界の動きが早く感じられる。)

40も半ば過ぎてから時代小説を書き始めた浅田次郎が書いている。武士の給与は個人に対するものでなく、家に対するものであり、原則として昇進も昇給もなかった。給料が家禄で昇進、昇給がないなら、さっさと倅にバトンタッチして悠々自適の隠居をしたくなる。寿命もほぼ50歳であるから、ほぼ40歳で隠居となる。



私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)


私は、今、身体も心も20代に戻れるとしても、御免こうむりたい。やらなかったことで後悔していることは確かにあるが、20代のほとんどの季節を、望むこととやれることのギャップにイライラし、不満だらけで過ごしたような気がする。ますます束縛多い管理社会へ進む中で苦しい20代、頑張った30代があったから、おだやかな今、60代があるのに、なんで若いころに戻りたいと思うだろう。
もっとも、気力も穏やかに(?)なった今だからそう考えるので、現在、身体も心も若ければ、もう一度やり直したいと思うのかもしれない。




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