岡野弘彦著「万葉の歌人たち」NHKライブラリー192、2005年2月発行を読んだ。
裏表紙にはこうある。
万葉人たちは、都でも地方でも、濃密な共同体の中に生き、共同の場での共同の感動を歌に歌った。額田王、柿本人麻呂、大伴旅人・家持父子、大伴坂上郎女ら代表的歌人だけでなく、名前も残らない東人、防人らの歌もとりあげて、今なお生命力を保ちつづける「万葉集」のしらべの美しさと言葉の持つ力強さを味わいながら、その時代と人々の暮らし、歌人たちの実像に迫る。
この本は、「NHKカルチャーアワー・東西傑物伝」で放送された「万葉の歌人たち」のガイドブックをもとに作成された。高校で古文をまじめに勉強しなかったので基礎知識のない私にもわかりやすかった。
代表的な万葉の歌人8人と、東人・防人の歌のうち、著者が好きな歌をいくつか取り上げ、言葉の解説、歌の現代語訳、そして著者がすばらしいと思う点を熱っぽく語っている。
また、各歌人の特長を具体的にわかりやすく解説している。
個別の歌の解説についても、なるほどと思うことが多かったし、私が始めて知るすばらしい歌もあったが、この場に引用するとあまりのも長くなるので、具体的歌は省略する。
以下、万葉集に惚れぬいた著者が特長としてあげる点をいくつか抜き出してみる。(文章は簡易化した)
歌は祝福、歌は祈り、歌は魂の鎮め。万葉人にとって、歌とは単にあるものをあるがままに描写するものではなく、現実はこうだから、それよりもっとすばらしくあれ、もっと清らかであれと思いを込めて、言葉の力により現実の世界を変えようと思って歌を歌った
万葉集は、必ず声に出して自分なりの好きなしらべで歌ってみるのが良い。言葉のしらべを大切にしたい。
中世あたりから、謡曲、流行歌、浪花節も七五調になってしまったので、万葉集の長歌などをよんでもついつい途中から七五調になるが、五七調で読むこと。
挽歌というのは、形式的なお悔やみの歌ではない。恨みをもって非業の死をとげた鎮まらざる魂、鎮まりえない魂を、言葉の力によって鎮めようとするものだ。
どうしても、防人の歌を二つだけご紹介したい。
「霰(あられ)ふり鹿島の神を祈りつつ すめら御軍(みくさ)にわらは来にしを」
(鹿島の神に祈りをささげて、天皇の軍隊の兵士として、私はやってきたことだ)
「筑波嶺(つくはね)のさ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも愛(かな)しけ妹ぞ 昼もかなしけ」
(筑波嶺の百合の花のように、夜の床の中でもあんなにいとしかったわが妻よ。こうして旅してしる昼間もいとしくてならぬ)
前の歌は戦争中、「日本の国を守るためにお前たちも潔く命を捧げてこい」と、学生たちが暗記させられた歌だ。
しかし、教えられなかったが、後の歌も、万葉集にある同じ作者の歌なのだ。
著者は言う。「勇ましいばかりではない、こまやかな愛情、いたましいほどに美しい心というものも持っている。それが人間の姿というものだ。その人間の本当の姿を忘れてしまうから、非常に極端な戦争に引きずりこまれていくことになってしまう」
著者の岡野弘彦は、1924年三重県生まれ。國學院大學文学部卒。1946~1953年折口信夫に師事。1991年まで國學院大學教授。歌会始詠進歌選者。日本芸術院会員。現代歌人協会賞等多数受賞。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
万葉集に興味のある方は是非読んでみることをお勧めする。万葉集の一般的解説書とも違う著者独自の視点も含まれているので、万葉集中級者の方も面白いのではないかと、初級者の私は思った。
私は万葉集が好きだ。古今和歌集、新古今和歌集に比べ、素朴でつたない歌もあるが、自然、生活と密着し、おおらかで雄大な歌が多い。詠み人も天皇から名も知らぬ民衆までさまざまな身分の人がいて、まさに国民歌謡集であるのも良い。
また、現代のように、生活とは別の次元で和歌を詠むのではなく、万葉の時代は、生活の中で実際の対話として歌を詠み、宴会では歌で盛り上げ、悲しみの心を歌にして悼んでいたことを知った。しかも、教養ある貴族だけでなく、一部だとしても民衆も歌を詠んでいる。1200年以上前であることを考えると、日本人の歌ごころはすばらしいと思う。
以下、和歌以外の形式についての蛇足。
長い長歌があってそのあとに反歌(和歌)がつづく形式もあるが、私は長歌は反歌のための説明ぐらいにしか考えていなかった。この本を読んで、いろいろな形式から和歌へ収斂していく過程がわかった。著者はそれを惜しんでいるのであるが。
また、旋頭歌(せどうか)という五七七 五七七の形の歌がある。
「みなとの葦の末葉を 誰か手折りし わが背子が振る手を見むと 我ぞ手折りし」
(あの河口の葦の葉先をあんなに手折ったのは誰だろう 私のいとしい人が別れの手を振るのをよく見ることができるように、私が折ったのよ)
こんな自問自答の形も実現でき、和歌だけでなく、さまざまな形式があると、より豊かな歌が作れると著者は言う。