hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

バンクーバーの向こうにワシントンハイツを見る

2007年08月28日 | 昔の話

今年6月はバンクーバー・ダウンタウンのガラス張りのコンドミニアムで過ごしたが、7月は郊外のRichmondの住宅街に滞在した。私の滞在した家は立派な住宅が並ぶ地域で、広い道路に面して芝生の前庭があり、花壇には花々が鮮やかで、自動で開く大きなガレージ、何部屋もある広々とした家が続く。一つとして同じ家はないのだが、全体としては統一された町並みになっている。映画やTVで見た、かってのあこがれの豊かなアメリカのようだった。

ふと、「デジャブ(既視感)かな?」と不思議な気持ちになった。目をつぶって静かにしていると、つかまっている針金のフェンスの向こう側に、一面の芝生に点々と建つ明るいペンキ塗りの建物が目に浮かぶ。子供のころ、もう50年ほど前、明治神宮の高いフェンスの向こう側の立ち入れない世界、まったくの別世界、東京の中の外国、米軍将校の住宅街、ワシントンハイツが見えた。

敗戦とともに、陸軍代々木練兵場がGHQ(連合軍総司令部)に接収され、東京駐留の米軍将校のための住宅団地としてワシントンハイツとなった。明治神宮に隣接する今の代々木公園あたりである。92万平米あり、約800世帯のアメリカ軍将校家族の宿舎と、将校クラブ、劇場、教会等があった。倉庫にでも使っていたのだろうか、波目の鉄板でできたカマボコ型の建物もいくつか見えた。
その後、1963年日本に返還され、1964年の東京オリンピックの選手村や、NHKの建物が建った。

子供のころ2駅ほど歩いて、よく明治神宮で遊んだ。参宮橋口から入ると、宝物殿前の芝生の広場には、仰向けに寝転がっている日本人女性の上にぴったり乗っかって、微動だにしないアメリカ兵の姿があった。横目でチラチラ見ながら、道をはずれ、林を抜けると、フェンスがある。フェンスにつかまって一面の芝生を見ていると、遠くにいかにも明るく楽しそうな親子が遊んでいたりして、いつでも腹ペコのこちら側とは別世界のアメリカがそこに見えた。

あのころのアメリカ、といっても日本でのアメリカしか知らなかったが、輝いて見えた。派手で、明るくパワフルで善人のアメリカ人。町で見かける馬鹿でかいアメリカ車、キャデラックや、リンカーン。「アメリカじゃ、一家に2台車があるらしいぜ」「ヒェー」

お袋が私の手を引いて銀座を歩いていたら、米軍将校が、「 Oho! Baby! 」と言って私を抱き上げ、高い高いをした。お袋は、ただオロオロするだけだった。

そんな私がバンクーバーの広々とした住宅街に滞在している。また、アジアに行ったときは、金持ち日本人として物売りが集まってくる。昔のことを思うと、居心地悪く、夢の世界にいるように感じて、実在感が薄れていく。



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