hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

はるかなるチャンバラごっこ

2007年08月12日 | 昔の話
昔々、その昔、50年とちょっと前のことだった。ある日突然、「今夜やるぞ」との話が通っていた小学校を走り回る。いつ、誰が言い出すのか、誰にもわからない。話は休み時間に5,6年の男子生徒にまたたくまに広がっていく。

その日の5時になると男の子たちが集まり始める。場所は、地元では山大公園と呼ばれているところで、野球のグランドほどもあり、ちょっとした斜面で、一面の笹の間に木々が立ち並ぶ林になっている。5時半には驚くほどの子供たちが集まる。皆、手製の竹でできた刀を持っている。1m ほどの細い竹の太い方を手元として、端から10cm ぐらいのところにお椀や、おたまの中心に穴を開けたものを通し、紐を前後に巻きつけて固定し刀のつばとしている。

自然発生的に戦いは始まる。誰が采配を振るうわけでもないのにうまい具合に東西2 陣営に別れる。斜面の上と下にあるいつも決まっている大きな木がそれぞれの陣営のベース基地になる。
戦いは1対1でチャンバラである。というより当時はそんな名前は知らなかったが、ようするにフェンシングである。もっとも多くの子供は竹を突くだけでなく、左右に振り回して相手を切っていたのだが。
互いの判定で、相手の刀で手足や体を触られた方が負けとなる。負けた子は捕虜になり、相手陣営のベース基地の木に数珠繋ぎにつながれる。今でも不思議なのだが、戦いの中で、触った、触ってないの言い争いはほとんどなかったと思う。負けてつながれながら、「早く助けてくれ!」と叫ぶのもなんだかウキウキすることなので、あっさりと負けを認めたためもあったと思う。

生い茂る笹の下を腹ばいになって敵を避けて進み、あるいは倒しながら、味方がつながれた列のどこかに刀で触ると、列の全員が開放される。開放された子供たちは大声を上げていったん基地に戻る。
多くの子供が負けて列が長くなると、長い補給路を守りきれなかった日本軍のように、長い列全部を守ることが難しくなり、やがていっぺんに捕虜が開放されることになる。

戦いは勝ちそうになり、負けそうになり、ダイナミックに日が完全に暮れるまで続く。
統率者がいないのに全体がバランスし、もめごともなく、あちこちで、真剣でフェア-な戦いが行われ、生き生きと駆け回る子供たち。

まるで、夢のようであった。いや、いまでも目に浮かぶあの光景が夢か、本当にあったのか今では判然としない。


コメント
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