hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「林住期・・・」を読んで思うこと

2007年08月26日 | リタイヤ生活
桐島洋子「林住期が始まる」にあったいくつかの記述に刺激されて、自分なりに思ったところを書いてみた。

1.気持ちの切替
「人生を美しく保ちたかったら、ときどき禊(みそぎ)をしたほうがよい。毎日の禊は入浴で、毎週の禊は休日を徹底的にくつろぐことである。毎月の禊は芝居、コンサート、展覧会など深い芸術的感動に浸り、毎年の禊は外国旅行である」(林住期が始まるより)


禊という言葉、なかなかいい言葉だと思う。辞書を引くと「身に罪または穢れのある時や重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること」とある。この場合に当てはめると、過去に思いをいたし、得たものを身体の中に沈着、肉化させ、余分なものを捨てて、更の状態で新たなステージに臨むことだと思う。

禊までいかなくとも、気持ちの切り替えは重要だ。毎日、仕事から家庭、あるいは逆の切り替えは意識的に実施したい。私は、サラリーマンだったころ、家を出て通勤途中のあるポイントで戦闘モードに切り替えると決めていた。帰りは車や電車に乗った瞬間に背筋を伸ばし深呼吸してリラックスモードに切り替えた。

人生の切替点でも、新しい人生に出発するためには、過去は思い切って捨てた方が良いというのが私の考えだ。「若者は夢に、年寄りは思い出に生きる」という言葉があった(?)が、思い出は積み重なり重くなるばかりである。ときに整理は必要で、常に顔は前を向いていたいものだ。この変化の激しい時代に過去の細かな経験、知恵は役立たないことが多い。本質にかかわるような体験、考え方だけは伝えていかなければならないが。

2.やさしさとは
「男も女もなく、自らを頼む強さがあってこそ、優しさという余裕も生まれるのに、逆に弱さの仮面として優しさもどきがはびこってしまった」(林住期が始まるより)


本当のやさしさとは何か、私にも難しいということだけは分かる。著者が言うように、おためごかしを言ったり、うのみにしてそのまま相手の言うとおりに行動することが優しさではないだろう。虫歯だらけの子供がさらに甘いものを欲しがるときのことを考えれば明らかである。頭ごなしに叱るのではなく、なぜだめか、子ども自身に考えさせるのが大人のやさしさだろう。
「好きな男性は」と聞くと、「やさしい人」と答える女性が多い。容姿、振る舞いにきついところがないことだったり、誕生日を忘れないなどこまめであることだったり、表面的なことで判断される場合が多い。
落第者の私が言うと負け惜しみにしかならないが、結婚すると毎日のことだから、表面的なことも大切なのも理解できるが、本当のやさしさは相手が困ったときにこそ発揮されると思う。自分なりの考え方をしっかり持って何をすべきか判断し、それを相手の気持ちになって表現するということになろうか。しかし、そのときの事情、相手との関係などにより、相槌を打ちながらただ単に話を聞いてあげるだけの方が良い場合もあり、実際は複雑であろう。

3.華
「どうすれば自分に花をさかせられるかとなると、また難しい問題になるが、とりあえず一つ言えることは、人眼の雨を十分に浴びる機会を持とうということである」

芸能人や有名人を町で見かけると、オーラが出ていて、一般の人とはあきらかに違うように見えるときがある。水の江瀧子が石原裕次郎を発掘したとき(話しが古っ)、石原慎太郎の方が良い男だったが、裕次郎にはすばらしい華があると思ったという。
何が華を感じさせるかというと、もちろん服装や、髪型、化粧もあるし、容姿、立ち居振る舞い、にじみ出る人生経験もあるだろう。しかし、一番大きいのは、見る側が、すでにTVや映画の中で知っている有名人のイメージではないだろうか。その気になって見て、実際も魅力的な外観だからオーラを感じるのだ。最近TVに出ない落ち目の有名人に実際に会って見ると、輝きが感じられないことがある。いわゆるせんだみつお現象(?)である。

余談
せんだみつおが仕事もなく家にいると、玄関のベルが鳴った。ドアののぞき穴から見ると、何人かの小学生がいる。「なんだ、またサインくれっていうのか。まあ、暇だからいいか」とドアを開ける。
すると、一番前にいた子供が、「ほらな、やっぱり家に居ただろ」というと、全員、わっと逃げ出した。



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