少女の出産を守り、支える 沖縄、シェルター「おにわ」の挑戦
2021年11月11日 中日新聞
貧困やパートナーからの暴力(DV)などがあって、安全に出産できない若いママたちを守る民間シェルターが十月、沖縄にオープンした。運営するのは上間(うえま)陽子・琉球大教授ら。沖縄は十代で出産する女性の割合が全国一高いが、支えてくれる人もなく一人で出産する少女もいる。「自助」が求められる政治の中で、公的な支援を待つだけでは救われない。少女に伴走を続ける人々の新たな挑戦とは。 (佐藤直子)
小鳥のつどう庭
こぢんまりした一軒家。中庭の木には小鳥が羽を休めにくる。沖縄本島中部の町に開設されたシェルター「おにわ」。先月初め、生まれたばかりの赤ちゃんと一緒に最初のママが入所した。「いらっしゃい。よく来てくれたねー」。上間さんが明るい声で出迎えた。
おにわの定員は十代の妊婦二人。常駐する助産師らに見守られながら、産前産後の約五カ月を過ごせる。二つある個室にはカラフルな家具やカーテン、ベビーベッドが備えられている。ママは窓から遠くに海が見える部屋を選んだ。
上間さんはやさしく声をかけた。「食べられないもの、ある?」「トマトは嫌い」「お肉はどう?」「大丈夫。鶏も豚も牛も食べられる」。産後の体はまだまだきつい。「何かあったらいつでも呼んでね」
教育学者の上間さんが若い妊婦のためのシェルターを開いたのはなぜなのか。それは、沖縄の少女の厳しい現実を知ったからだ。
「生徒指導」を専門にする上間さんは二〇一二年から、キャバクラなど風俗業で働く沖縄の少女たちを調査してきた。十四歳でガールズバー、十五歳キャバクラ…。働き始めた年齢が低く、多くが交際相手との間にできた子どもを十代で出産していた。貧困や暴力と隣り合わせで生きる基地の町・沖縄の少女たちの記録を、著書「裸足(はだし)で逃げる」にまとめた。
友人の家を転々
一七年から二一年までは、調査対象を「若年出産女性」に絞り、十代で子どもを産んだ七十七人にインタビューした。三人に二人は親やパートナーなど身近な人からの暴力を受けていた。妊娠が分かっても病院に行けず、友人の家を転々としたり、臨月まで住宅団地の階段下で眠っていたり、想像を絶する体験をしていた。「この少女たちのことが見えていなかった」。上間さんは愕然(がくぜん)とした。
背後にあるのは、沖縄社会に連綿と続く貧困だ。沖縄の子どもの貧困率は全国平均の二倍以上。三人に一人の家庭が困窮状態にある。先の大戦で地上戦の激戦地となった沖縄は、戦後も二十七年間、米軍の統治下に置かれ、新しい憲法も、女性や子どもを守るための国内法も適用されなかった。家も仕事も満足になく、生きるために風俗業で働かざるを得ない女性が生まれ、そこには男たちからの暴力もあった。
一九七二年の本土復帰後も、米軍基地が地域の発展を阻む形でのしかかり、行政も市民も貧困問題に向き合う余裕すら奪われてきた。
10代50人に1人
県地域保健課によると、二〇一九年に沖縄で妊娠・出産した十代の数は三百二十九人。すべての年代でみると十代の割合は2・2%を占め、全国平均の二倍を超える。五十人に一人が十代で出産している計算だ。
六年前、県内の団地敷地内で生まれたばかりの赤ちゃんが置き去りにされる事件が起きた。保護責任者遺棄容疑で逮捕されたのは中学三年の少女だった。一人でトイレで出産した少女は「どうしていいか分からなかった」と警察の調べに語ったという。上間さんは「本来なら保護すべき少女を逮捕だなんて! 大人として守ってあげられなかった」と申し訳なく思ってきた。
上間さんは自らの調査を進めるうちに、一つのことに気づく。少女の中には妊娠をきっかけに、それまで悪かった母親との仲を修復している人がいる。母親に出産や育児を支えてもらっている人は、その生活を落ち着かせていく傾向があるということだ。
「逆に言えば、親との仲がよくない子は帰る場所もなく、一人で赤ちゃんを抱えて苦労することになる」。貧困の連鎖を断ち切るためには、ケアを受けられずに苦しむ女の子たちこそ支えなくては、と考えるようになった。
県内では若い妊婦を支える民間シェルターの設立が続く。本来なら公的事業としてあるべきシェルターだが、実現を待つ間にも追い込まれていく少女がいる。上間さんは「研究者の私がシェルターを運営していいのか」と悩んだが、「やらない限り沖縄の窮状は変わらない」と決意した。
広がる協力の輪
続々と協力者が現れた。琉球大の同僚でもある社会福祉学専門の本村真教授が、ともに共同代表を引き受けてくれた。シェルターにはDV支援を専門にする助産師の東さよみさんとともに、九人のスタッフが当番制で二十四時間常駐する。
要となる医療支援は、琉球大病院周産母子センター部長の銘苅(めかる)桂子教授が快諾してくれた。同病院が民間シェルターと連携するのは初めてだ。若年妊娠は早産や低出生体重児などのリスクが高くなるため支援が不可欠。銘苅さんは「大学病院で若年妊娠をケアすることによって、母体を手当てするだけでなく、社会的問題を抱える母親を支援する重要性を若い医師や医学生たちに知ってもらえる」と指摘。「『おにわ』との連携で妊娠中から産後ケア、社会復帰まで一貫して見守れるのは、医療者として大きな喜びです」と語る。虐待やDVが原因で心の傷を抱えている場合もあり、院内の精神科も協力することになった。
活動場所探しも幸運だった。物件があると聞いて見に行くと、庭があり、風が通る。上間さんは不動産会社の担当者に「十代の妊婦さんの家にしたい」と話した。担当者は「私もそんな場所がほしかった」と言ってくれた。彼女も若くしてママになった一人だったのだ。大家さんに交渉し、一カ月分の家賃をただにしてくれた。
羽を休める場に
「おにわ」という名前は、「沖縄の/妊娠している女の子たちを/輪になって守る」の頭文字から付けた。
「みんなが少女のためにいて、交差し合う場にしたい」と上間さん。「人は生まれたときからケアなしでは生きられないのに、ケアされないで生きている子たちがいる。野宿じゃなくて自分の部屋があって、暖かくて、ご飯を作ってもらえて。若いママといっても、まだ幼さが残る女の子たち。守られて、羽を休めて、前よりも今が少しでもよくなったと思ってもらえるようにしたい」
運営資金は不足
おにわは、福祉と医療と教育を統合し、退所後の自立も支える事業としてモデル的に始め、3年後に行政の事業につなぐ目標を立てている。運営に年間1000万円が必要で、オリオンビール奨学財団から24年3月まで2200万円の助成を受けたが、まだ不足しており、寄付を募っている。問い合わせは資金管理を委託する「アソシア」=電098(926)5175、メールアドレスはinfo@associa-lnd.co.jp。寄付振込先は沖縄銀行鳥堀支店(普通)1442256。