愛と平和と「紙鍵盤」と 憲法公布と文化の日
2021年11月3日 中日新聞
「ショパン国際ピアノ・コンクール」で日本人の若者二人が入賞しました。二位は日本人として約五十年ぶりです。世の中の明るい話題となりました。
ショパンコンクールといえば、一九八〇年の「ポゴレリチ事件」が有名です。旧ユーゴスラビア生まれのイーボ・ポゴレリチはイタリアやカナダのコンクールでも優勝していて、ここでも個性的で抜群の演奏をします。でも、落選してしまったのです。
「彼こそ天才なのよ!」−審査員の一人で、高名なピアニストだったマルタ・アルゲリッチが抗議の声を上げました。彼女は審査員をも辞めてしまいました。「演奏が奇異に受け取られた」とも「複数の審査員が作為的に低い点数をつけた」ともいわれています。
この時の優勝者は無名のダン・タイ・ソン。ベトナムのハノイ生まれで、アジア人初の優勝でした。演奏曲はピアノ協奏曲第二番でしたが、オーケストラとの共演は初体験だったそうです。
ベトナムの半地下で
五八年生まれですから、彼の少年時代はベトナム戦争と重なります。母親がハノイ音楽院の教授で、ダンも同院初等科に進みます。家にはアップライト・ピアノがありました。でも、当時の北ベトナムは米軍の空爆を受けます。
平和を知りませんでした。「ショパンに愛されたピアニスト」(伊熊よし子著)によれば、ダンはハノイを離れ、七十キロ離れた村に疎開しました。湿地に生えるニッパヤシで葺(ふ)いただけの家、電気がない生活になりました。
ピアノがないので、彼が作ったのが「紙鍵盤」でした。紙に白と黒の鍵盤を描いたのです。半地下の暗いトンネルの中で、紙の上に指を走らせ、踊らせ、練習しました。彼の宝物でした。
(音は鳴らないけど、音楽は頭の中に浮かぶ)のだと…。
七三年にハノイに戻ると、旧ソ連から派遣されたピアニストに才能を見いだされます。宿題になった一曲がショパンのピアノ・ソナタ第二番でした。それがショパンコンクールへの助走です。
戦争は不条理で不自由
世界的な作曲家・武満徹にも「紙鍵盤」の思い出があります。三〇年生まれの武満は中学生で終戦を迎えます。もちろん東京は廃墟(はいきょ)です。周囲にピアノがある家などなく、学校にあっただけ。友人が学校の鍵を壊してくれたのですが、見つかり、怒られます。
だから、武満はボール紙に正確に同サイズで鍵盤を描きました。それを折り畳み式に作り、持ち歩きました。「物言わぬ鍵盤からは、ずっと沢山(たくさん)の音が鳴り響いたように思います」−。「武満徹・音楽創造への旅」(立花隆著)でそう語っています。
戦争とは残酷で不条理で不自由な世界です。戦火の中で音楽をしようと思えば、頭の中で音を鳴らすしかないのですから。ダンや武満は指が紙の上を走るときだけ、きっと「自由」の文字が音符のように跳びはねたことでしょう。
きょうは文化の日、憲法公布の日です。戦争が終わり、平和的、民主的、文化的な新国家をつくろうと心を新たにした日です。でも公布から七十五年、その意義を忘れてはいませんか。
右傾化や軍事化が進み、平和主義を冷笑する風潮さえみられます。防衛費は膨らみ、憲法に反する「敵基地攻撃能力の保有」まで真顔で論じられています。
政治家も国民を侮っています。「説明しない」「説得しない」「責任をとらない」という「3S」がネットで問題になっています。真実を「語らない」「隠す」「改ざんする」という「3K」の時代でもあります。明らかな愚民視の政治がまかり通っています。
権力者がもはや民主主義的な統治を放り投げているのです。日本学術会議会員の任命拒否問題でもそうですが、あらゆる分野に権力の介入や圧力が及んでいます。
総選挙が終わりました。安倍・麻生・甘利の頭文字である「3A」は一角が小選挙区落選でしたが、いまだ背後に控える岸田政権だけに注視が必要です。
憲法の理念である平和で民主的な世の中は、誰もが願っています。文化はそのような養分を吸って、育まれます。
憲法前文の普遍性を
さて、今年のショパンコンクールの優勝者と六位はアジア系カナダ人です。二人ともダン・タイ・ソンの弟子でした。彼は教育者としても優れていたのです。
「紙鍵盤」の時代はごめんです。日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に…」のくだりがあります。「愛」の文字は「平和」にかかっています。その普遍性を考えずにはいられません。