元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

親父を送って、そして市長選挙に向けて  1月20日ー23日  

2016年02月06日 | 日記
●1月23日(土)

   <「未来の京都 公共政策・社会問題研究会」
     「京都市長選挙についてー各候補者のマニフェストを検証するー」>
   
 昼、事務所に「未来の京都 公共政策・社会問題研究会」の事務局を担ってくれている真下仁志氏が来所。第4回目になる研究会の打ち合わせ。1時30分から開会。京大生2人、同志社生1人、立命館大生の女子学生、そして京都産業大の学生さんが集まってくれて、「京都市長選挙についてー各候補者のマニフェストを検証するー」をテーマにして研究会。

 まずはぼくが今回の市長選挙の概要を説明して、真下氏が門川大作、本田久美子、三上隆の3人の候補の公約、マニフェストを要約説明。以下、①若者の雇用対策(産学公連携による知恵産業の育成、中小企業、ベンチャー企業の成長支援)  
② 子育て支援・教育支援③ 街づくり(四条通り拡幅問題、景観問題)④憲法・安保法制と市長選挙⑤ 財政問題(特に新税について)⑥ 観光について

 各学生から、支持政党関係とは関係なしに、その公約の実現性について、客観的に自分の思っていることを述べてもらう。なかなか興味深い、また的を得た論議であった。まとめて冊子にするので、またお読みください。

 その後、研究会として、学生諸君に自転車問題、教育問題、憲法・安全保障、交通問題、高齢者、子育支援、経済の活性化、府・市協調など、京都市政や政治の課題について 、アンケート調査をしてみたいと提案。みなさんもご協力のほどよろしくお願いします。次回は2月27日に開催。未来の京都への提言として、各自から発表してもらう予定。 年度末には報告書を出したいと思っている。学生諸君、よろしくね。
 
   <明日から市長選挙>

 夜は、明日が市長選挙告示日ということで、公営掲示板のポスター貼りの部隊の最終点検など雑務。左京区は300か所ほどあり、自民、公明、民主でそれぞれ地域を分担して貼ることになっているのです。鈴木事務所としては、近衛中学校など5投票区を担当することになっている。雨や雪が降らんことを祈るのみ。天気予報では、西日本に寒波到来と言っているのが心配や。さあ、明日から四年に一度の市長選挙。門川3選に向けてがんばるか。

●1月22日(金)

 やはり疲れ気味。ユンケル飲んでも力が出ない。
 けれども午後は、市長選挙の推薦葉書を選挙事務所に持参した後、ご会葬、弔電いただいた連合京都や市役所で市会事務局や各会派正副議長や副市長と市長室などにご挨拶。

     <監査委員事務局にて>

 そして監査事務局にも挨拶方々立ち寄り、一般会計と公営企業の11月分の出納に関する例月出納検査の報告ととある住民監査請求に関することでその経過などの報告を受けて意見交換。実はいまいち請求者の意図がよくわからんのです。

 ところで監査委員のことだけど、ぼくは議員になる前、住民監査請求をしたこともあり、また議員になってからは海外視察のことなどで監査請求をされたこともあり、はたまた監査委員になるという、まれな経歴の持ち主だと思っている。監査委員として職責を全うしたいね。

 夜は、組合の旗開きなどが3か所ほどあったけれども喪中につきすべてキャンセル。申し訳ない。もう20年ほど前、同志社の総合政策科学研究科で修士論文を必死で書いているときも旗開きにも行かなかったこともあるが、それ以来かな。ともかく疲れをとらないと。

 夜は、家でぼんやり一献傾けながら洋画を見たり。

 この間のニュースはスキーバスの事故での大学生の死亡や甘利大臣の週刊文春の記事に始まった金銭授与の問題。

●1月21日(木)

 親父の祭壇に礼をして、今朝もぼんやり。

 午後は、この土曜日に昨秋に立ち上げた「未来の京都 公共政策・社会問題研究会」の第4回の研究会として「京都市長選挙についてー各候補者のマニフェストを検証する」を開催するので、事務局の真下仁志氏に事務所に来てもらい、学生にアンケート調査を依頼することや当日のテーマや進行についての打ち合わせ。いささか疲れが出ていて議論するパワーもない。

 それから市長選挙での門川候補推薦の選挙葉書の名簿打ち出しやタックシール貼りを事務所に来てくれた後援会の友人夫妻にお願いして、なんとか間に合わすことができてほっと一息。
 疲れがピークかな。早々に家でダウン。カミサンも疲れた様子。末の弟がおふくろのところに行ってくれて、助っている。

●1月20日(水)

 朝、目覚めたら雪ですがな。昨日の親父の告別式で雪が降っていたらえらいことでした。この間、親父が息を引き取ってから、4日間ほど色々と気を配り、寝る時間も少なくて、また無事に告別式も終えて、もうぐったり、立ち上れず。
 
 午前中は、手話条例のプロジェクトチームの集まりや教育福祉委員会の視察もあったけれど、欠席。議員生活も長いけれど、「忌引き」で委員会などを欠席したのは、カミサンの親父さんの時以来かな。

 午後には事務所に出向いて、弔電の整理やご会葬いただいた方々の名簿を見たり、ご近所の方にご挨拶したり、供花をいただいた方々やお世話をいただいた方にお礼の電話をしたり。
 たくさんの方々にご会葬いただき感謝です。また新年の旗開きなど出席予定のところもあったけれど、関係者に事情を説明して不参加の通知も。

 そして休む間もなく、市長選挙を控えて、門川大作演説会の打ち合わせや推薦葉書の発送のリストを作ったりで、なんやかんやの雑務もあり、もうぐったり。早々に夜は、家で親父の祭壇の横の部屋で一献傾けながら、テレビを見ながらぼんやり。

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父、鈴木正武 死去    1月16日ー19日

2016年02月06日 | 日記
●1月19日(火)
 
    <父、正武の葬儀、告別式>

 寒いけれど晴れた朝。9時前には公務多忙な中、門川大作市長が弔問に来ていただく。愚息に会ってもらってよかった。

 10時30分から通夜祭に続いて神式に則って粛々と葬儀。吉田神社の神官の松田さんが故人の略歴を入れた祝詞を詠んでいただく。いささか涙ぐみそうになる。そして親族から玉串の奉奠の儀。

 そして寒い寒いとき、長らく待っていただいたみなさんにから玉串、榊を奉奠していただく。立礼は、ぼくと愚息と弟二人と前原議員と福山議員に柿阪正夫後援会長。事務所の前には長い長い行列ができていたという。一人一人にご挨拶できなかったことをお詫びします。司会者から弔電も披露していただきました。多くの方にご参列いただき、心より御礼申し上げます。
 最後のお別れをして、出棺。喪主として、父、正武がこの吉田の地で生まれ育ち暮らしていたこと、またヒロシマで被爆したことなどを伝えて、ご会葬の御礼の言葉とさせていただく。寒い時、ご近所のみなさんや後援会のみなさんに最後までお見送りいただき感謝です。心より御礼を申し上げます。そして中央斎場に向かうが、88歳になるおふくろのことが心配だったけれど
長年連れ添ってきたおふくろも一緒に行くことになって安堵。
 
 東山の中央斎場は友引ということとまた改修工事中でもありで混雑。1時間ほど待って、神職の松田さんが神事をしてくれて永久の別れ。ありがとう。おふくろも最後の別れ。外ではチラホラ雪が舞っています。寒いよ。
 2時間ほど待って骨を拾う。公益社の方がこれほど綺麗な喉仏を見たことがないと言っていたが、喉仏が見事に残っていた。96年の生涯を終えて親父も骨になった。骨壺を持って下大路の家に。吉田神社の神職の土屋さんと松田さんに来てもらい、小さな祭壇の前で帰家祭。祭詞が詠まれて親族で玉串奉奠。仏式でいう初七日にあたる十日祭も一緒に済ましたことになる。神道には戒名はないのです。
 そしてホテル平安の森で直会(なおらい)として親族で会食。親父の遺影を持って行くのを忘れてスマホの写真を飾って思い出話。こうして無事に粛々と親父を送ることができました。享年96歳。

 ご参列いただいたみなさん、受付などを手伝っていただいたみなさん、公益社の担当者のみなさん、吉田神社の神職のみなさん、弔電をいただいたみなさん、ほんとうにありがとうございました。これからもご厚情のほど、よろしくお願いしたします。取り急ぎ、御礼を申し上げます。

●1月18日(月)

    <父 正武の通夜祭>

 深夜雨が降っていたようだが、朝には雨も上がり、事務所では公益社の多くのスタッフが来ていただき、葬儀の準備。祭壇をつくり表にテント張りなど手際よく作業をしていただく。また市会事務局と相談も。下大路の家で納棺して葬儀をする事務所に移動してもらう。
 朝から、電報が届き始めたり、供花の申し出に対応したりでバタバタ。5時過ぎに略礼服に着替えて待機、また吉田神社の神官が二人来ていただいて祭礼の準備も。

 寒い夕暮れ時、午後6時には通夜祭に参列していただける親族も揃い、また受付テントなどにはお手伝いの方も来ていただく。6時30分から粛々と神式に則って通夜祭の祭事をしていただき、神式の儀式は多少長くかかる。7時頃から榊を二拝二拍二拝して玉串の奉奠。
 弟らと立礼。寒い中で待っていただき恐縮です。中大路や下大路の隣近所の方々、吉田の団体の方、わが後援会、友人、前原後援会の方々、3人の副市長さん、左京区の府市会議員さん、連合京都の組合関係者、市会事務局や京都市の関係者など次から次へと多くの方にご参列いただき感謝です。そして受付をしていただいたみなさん、ほんまにありがとう!
滞りなく通夜祭を済ますことができました。

 その後、お寿司をつまみながら従姉ら親族と親父の思い出話。深夜、奄美大島から息子が帰京。葬儀には間に合ってよかった。そして深夜に弔電の整理なども。

●1月17日(日)
 
 朝、大原の新年互礼会などよばれていたが、親父が他界したことを友人に欠席を伝えたり、吉田神社に打ち合わせに行ったり、昼には左京区役所の宿直室に死亡届を提出して埋葬許可証をもらう。帰途、女子駅伝に遭遇。近衛で暫し応援。京都は先頭を切って走っていたが残念ながら結果は4位だった。

 午後、公益社に来てもらい改めて通夜祭と葬儀。告別式の打ち合わせ。親父が生まれ育った中大路で、ご近所の人らと関係者にはメールやFBでお知らせして、榊も少なくしてご香典と供花を辞退。できるだけ質素にしたいという思いで、祭壇の形や事務所前での受付の形などを決める。それから文面を持って下大路東部と中大路西部の町内会長さんらに挨拶。そしてFBやホームページと親しい関係者に謹告としてお知らせを載せることにして、その作業。また斎場に行く親族らを確認したり、電話をしたりで、ばたばた。
 
 4年前か、叔父を家族葬で送ったが、葬儀の段取りをするのは難しい。なんやかんやしていたら深夜になった。
本棚から親父が生前に自費出版した詩集を取り出して読む。
 
 ここに鈴木正武の略歴を載せておきます。

 鈴木正武(すずき まさたけ) 享年96歳
 
 ◎出生地  京都市左京区吉田中大路町 17
 ◎生年月日  大正8年(1919年)4月16日
 (父) 鈴木増次郎  (母) 鈴木 つね   長男
 ◎学歴と経歴 
 同志社大学卒業 昭和18年 同志社大学卒業と同時に学徒動員、あかつき部隊に。
 20年8月6日 広島市草津にて被爆。市内の事後、処理作業に従事した後、同年中に無事に京都に復員。
 21年春 京都大学付属図書館に奉職。昭和23年、サホと結婚。広島大学、山口大学付属図書館にも勤務。
 昭和53年京都大学図書館事務長に。55年京都大学を定年退職。
 勤続35年、勲五等瑞宝章を受章。その後京都学園大学図書館に勤務 昭和60年退職。大学図書館勤務、一筋でした。

 ◎趣味 登山、詩や絵画、クラシック音楽を愛した人でした。
 
  山のことを書いた詩集についてはいつか書きとどめたいと思う。

●1月16日(土)

   <父 鈴木正武 死去 享年96歳> 

 昼過ぎ、門川大作を励ます会。その後、左京総合庁舎での「左京食文化フェスター楽市洛味―左京の冬を味わいませんか~」のイベントに。

 そうこうしているときに3時頃、カミサンからメール。
「お父さんの呼吸が止まりました、至急病院に行ってください」。
覚悟はしていたが、来るときが来たなあ。

  急いで西陣病院に。
 病室に着くと看護婦さんたちが親父の身体を拭いてくれているところ。そうこうしていると連絡を聞いた弟らが来て家族がそろったところで4時過ぎには主治医の北村先生が来室、改めて死亡を確認。直接死因は誤嚥性肺炎ということ、さらに慢性貧血。いわば老衰による自然死。
 本人の生命力も強かったが、手厚い看護の中、天寿まっとう、大往生だとぼくは思っている。ありがとうございました。しばし、親父の前で黙祷。ようがんばった!享年96歳。
 
 そして公益社に連絡して、係りの人が来るまで、病室の荷物の整理など。寝台車で出るときは、お世話になった病院の主治医やスタッフに見送ってもらいました。お世話になりました。

 下大路の自宅に戻ったのは6時過ぎかな。温和な顔で眠っている親父の横で従姉夫婦らも早速来てくれて思い出話。また葬儀の日程など打ち合わせ。18日(月)に通夜祭をして19日(火)に葬儀・告別式。吉田神社に来ていただき神式で、親父が生まれ育った中大路の事務所で行うことを決める。
 その後、親父の略歴などを改めて書き直し、さらに葬儀の日程などを関係者に知らせるべく文案を作成。喪主としてしっかりしないと。

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