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元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

訪韓報告  10月30日ー11月2日

2012年11月11日 | 日記

   <韓国孤児の母・田内千鶴子生誕100周年記念式典
      国連「World Orphans Day」制定推進大会 
       訪韓報告>

●11月2日(金)

   <釜山女子大学 茶道博物館見学から帰国へ>   

 ホテルの朝食は、ホテル前の食堂で「お粥」。二日酔いにちょうどよかった。おかずがたくさんあるのにはびっくりしたよ。
 昼過ぎまで自由行動となっていたが、京都で韓国茶道の教室を開いている尹道心さんに誘われて、王団長らと釜山女子大学へ。実はカミサンは彼女に韓国茶道を教えてもらっているのですよ。
 山裾にある釜山女子大学は、国会議員でもあった鄭相久という人が創立したらしいが、文人で書家で韓国茶道を普及されたという。立派な茶道博物館があり陶器や韓国古来の服飾や刺繍で作られた屏風など色々なコレクションが展示されていた。そして学生たちも茶道を学ぶ建物があり、そこで煎茶をいただく。自分で湯を注ぎ気楽に飲む。ゆったりした時間が流れる釜山の秋の一コマ。
 昼食は、尹さんの親せき宅へ、公団住宅風の団地の中の部屋。ベランダは二重の窓、オンドルで冬も温かそう。オモニが手作りの韓国家庭料理を作ってくれていてご馳走になる。色々なキムチやチジミに煮豚や太刀魚など家庭料理を味わいました。山葡萄のワインも美味しくいただきました。カムサハムニダ!

 午後2時、ホテル前に集合して一路、空港へ。途中土産物屋に立ちより、出国手続きも無事に終わり空港内で暫し待機して午後4時30分発のエアプサンで帰路に。1時間20分ほどのフライト。あっという間に関空に着いた。3泊4日の短い日程だったが、充実した旅になった。仲尾さん、リファさん、尹道心さん、そして田内基理事長ら故郷の家のスタッフのみなさん、カムサハムニダ!

●11月1日(木)

   <晋州市へ>

 朝食は、貝や魚の入った卵のチゲとナムルとキムチ。
 バスにて高速道路を一路、木浦と釜山との間にある晋州市へ。晋州市は、京都市とパートナーシティの盟約を交わしている。
 昼食は、郊外にある建物で韓国ウドンを食す。カルグクスとかいうらしいが、鍋に貝や鶏肉などが入っていてあっさりとしたスープで、小麦粉で作った麺が入った煮込みうどん。「すいとん」みたいな味やねと誰かが言っていたが、口に合った。

   <晋州城と衡平社記念碑>

 仲尾さんの案内で市内にある晋州城 (チンジュソン)を見学。南江(ナムガン) が流れてちょっと風は冷たいが小春日和。豊臣軍が攻めていく1592年文禄・慶長の役のときの城。1970年代から復元工事が行われて今では、城内にはいくつかの楼閣や祠、国立晋州博物館も野外公演会場などがあり公園になっている。
 壬辰倭乱(文祿・慶長の役)の時、慶長の役1593年7万余名の民・官・軍が最後まで抗争して壮絶に殉死した所でもある。川べりには「義岩」と呼ばれる岩が突き出ているところがあるが、日本の武将を「論介」という名の妓生が抱いて川に飛び込んで殉職したというエピソードのある所や、また城門の前の鰻屋の前には、日本の運動とも連携のあった白丁と呼ばれる被差別の人々の衡平社運動のシンボルとして96年に建立された記念碑も見学、仲尾さんが説明をしてくれる。

   <晋州市長に表敬訪問>

 晋州を流れる南江は、鴨川より大きいが花壇など設置されていて美しい街並。そして市役所の職員に迎えにきてもらい市役所に。晋州市は人口35万人。経済通商室長らと懇談した後、京都韓国民団の王清一団長や婦人会の会長さんらとともにイ・チャンヒ市長と面会。
 公務多忙でゆっくり時間が取れなかったのは残念だが、門川市長からのメッセージと記念品を手渡し、今後もパートナーシティとして交流を深めることなど懇談。市役所は立派な建物で、中には物産コーナーもありオモニたちは色々買い込んでいました。

  <釜山の夜>  

 4時前には出発して釜山に。高速道路から見ると山際に新都市とでもいうべく高層のマンションが立ち並び、躍進する韓国とでもいうべき光景。市内の国際観光ホテルに投宿。バスで夕食会場へ。高層ビルが立ち並び夜景が綺麗。
 夕食は、もちろんカルビですよ!マッコリでええ気分。オモニたちも気分も良く歌って踊って楽しそうでした。
 そしてホテルに帰ってから近くの屋台へ。仲尾さん、ペイリファさん、ヒャンハら事務局メンバーとタコや貝などの魚介類を食しながら韓国焼酎で上機嫌。某君はちょっと飲みすぎたかな。釜山の夜は更けていくのでした。

●10月31日(水)

   <王仁博士遺跡跡の公園を見学>

 朝快晴。田園風景の外は空気が冷たい。朝食はワカメのチゲ(味噌汁)とナムルやキムチの盛りだくさん。日頃はぼくは朝食を食べないのだけれど、美味かったよ。早速バスで近くの王仁博士遺跡跡の公園に。ちょうど門前の敷地一杯に菊花展が開催されていて秋の香りがする。仲尾宏さんの説明で館内を見学。
 王仁博士とは、実在したかどうか定かではないという説もあるようだが、館内には肖像画が飾られ、幼少の時に飲んだと伝えられる聖泉の説明など歴史上の人物の紹介をしている。王仁博士は百済人として日本の応神天皇の招待により、論語10冊、千字文1冊を持って日本に渡り、漢字と学問を日本に伝え、学問の神として崇拝されたと日本書紀にも書かれていて、大阪の枚方には墓もある。
 説明によれば、百済文化の伝授を通し、日本の飛鳥文化に影響を与えという。遥か古代のロマンやね。この遺跡地は1980年代に整備されて、文化観光事業の拠点になっているようだ。

   <国立海洋博物館を見学>

 それから、バスで木浦市は海岸沿いの国立海洋博物館に。見ごたえがあった。11世紀~14世紀に難破、沈没した貿易船の海底の遺物を発掘し、保存処理されたものを展示。高麗青磁の遺物や日本、中国のお金や生活道具なども展示されて、実物を復元した舟が中央に、また朝鮮通信使を乗せた船などの大きな模型など展示。海底から引き揚げて保存する作業の説明なども。
 中国、朝鮮半島、琉球、日本、さらに東南アジアとの交易が盛んに行われていたことが良く分かった。海のロマンに思いを馳せました。

   <共生園と田内千鶴子さん> 

 その後、木浦市内をバスは共生園に。海岸沿いの高台で瀬戸内海沿岸を思わす風景の中に共生園があった。
 この地で1928年尹致浩牧師が孤児とともに生活を始めた場所。音楽教師の千鶴子さんは牧師と結婚、朝鮮戦争当時に行方不明になった夫の遺志を継いで、共生園を守ってこられ、3千人の孤児を育て上げられた。
 千鶴子さんが50歳代で亡くなった以降、子息の田内基(尹 基 ユン・ギ)さんが共生園を継がれるが、亡くなるとき「梅干しが食べたい」という言葉を胸に、在日のオモニたちの老後の生活のための「故郷の家」を堺や京都で建設されることになる。記念館では、夫妻の写真や共生園の沿革などが展示。国境を越えたその人生に感動する。

 昼食は、プルコギ(韓国風すきやき)でした。

    <国連「World Orphans Day」制定推進大会>

 午後2時から昨日と同じ会場で「田内千鶴子女史生誕100周年記念式及び国連「World Orphans Day」制定推進大会が開催される。
 「オモニの祈り・100年の香り」として田内さんと共生園の映像が流され、その遺徳を偲ぶ。丁木浦市長らの祝辞や「世界孤児の日」制定請願決議文が朗読されて、子どもたちや各代表者が壇上に上がり、華やいだ舞台上では、田内基さんが感慨深そうにお礼と今後も子どもたちや福祉のために生涯をかけるとご挨拶。その熱い想いをぼくも応援したいと思う。

 そして舞台は祝賀公演。昨夜に続いて大阪成美高校の獅子舞に、左京育ちで左京ふれあいまつりでも毎年歌っている在日3世のHYANGHAの舞台。伝統的民俗芸能であるパンソリや踊りなど見事な舞台芸術が繰り広げられ堪能しました。

 夕食は、市内でビビンパ!ゆっくり木浦市内の夜の繁華街を散策する時間がなかったのはちょっと残念でした。バスにて月出山観光ホテルまで40分ほど。9時前に到着。昨夜同様、仲尾さんらと部屋で韓国焼酎を飲んで就寝。

●10月30日(火)
 
   <7年ぶりの韓国へ>

 朝京都駅7時50分発の「はるか」で関空に向かう。<韓国孤児の母・田内千鶴子生誕100周年記念式典。― 国連「World Orphans Day」制定推進木浦大会>に参加する訪韓団の一員として、2005年10月の慶州市での世界歴史都市会議に参加して以来、7年ぶり4度目の渡韓。
 京都造形芸術大学客員教授で同志社の先輩でもある朝鮮通信使の研究者の仲尾宏さんが団長でペイ・リファさんが事務局長。メンバーは、東九条にある特別養護老人ホーム「故郷の家」を応援している韓国民団の在日のオモニたちや堺からの部ループも一緒で、そしてわが学生時代からの友人で元府会議員の角替豊君ら30人余。

 出国手続きも無事に済ませて11時50分発のアシアナ航空で釜山へ。サンドイッチの機内食を食べてうつらうつらする暇もなく1時間30分のフライトでアッという間に釜山空港着。
 快晴でそれほど寒くもない。そして貸切バスで韓国の南部の海を時たま見ながら高速道路を一路木浦市(モッポ)へ。途中サービスエリアでトイレ休憩を取りながら280キロのバスの旅。元気なオモニたちは喋りづめ。
 
    <日韓・愛と平和の祭典>

 6時半ごろ市内の高台にある木浦市市民文化体育センターが「日韓・愛と平和の祭典」の会場。高台から見る夜景がきれい。前庭では、田内千鶴子さんの生誕の地高知県の地酒やキムチや海苔など韓国名産のブースが出され、早速キムチでマッコリを試飲。美味かった!そして同時通訳の機器をつけて会場に。

 午後7時半から追慕の礼拝。田内千鶴子さんの業績をたたえる牧師さんの祝祷や千鶴子さんの生い立ちと孤児院共生園の記録写真が映し出される。
 
    <田内千鶴子さんとは>

 千鶴子さんは、1911年高知市の生まれ。両親とともに日本の統治時代の韓国に渡り女子校を卒業したのち、クリスチャンの尹致浩氏と結婚し、孤児救済のために共生園で働き、夫が朝鮮戦争で行方不明後も孤児救済のために尽くし3000人の孤児を守り育て、韓国孤児の母として慕われ、1965年日本人として初めて韓国文化勲章国民賞を受賞されたが、57歳で死去。木浦市では市民葬が行われ3万人の市民が参列したといわれている。
 彼女の長男が特別養護老人ホーム「京都・故郷の家」の理事長の田内(尹)基さん。ぼくが田内さんから京都に特別養護老人ホームをつくりたいとお話を聞いたのは、もう7年ほど前か。色々とご苦労されたが、彼の熱い思いは成し遂げられたのだ。田内千鶴子さんの生涯は、石田えり主演で『愛の黙示録』という日韓合作の映画にもなっている。

 その彼女の生誕100周年ということで国連「孤児の日」の制定推進をしようということでこのイベントが企画され、高知県知事、市長をはじめ日本からも500人の参加者があり、木浦市長ら多数の来賓、市民らで熱気のある前夜祭となった。とりわけ大阪成美高校生の獅子の踊りはすごかった!また木浦市立舞踊団の華麗な韓国の民俗舞踊は華麗で太鼓の演奏も迫力満点。第九の合唱も魂が揺るがされた。感動的な舞台が終わったのは10時前、

    <木浦名物 踊る!噴水>

 それから海岸沿いではギネスブックに登録されているという「木浦・踊る!海の噴水」が参加者のために市長の計らいで特別に上演?された。
 暗闇の海に、軽快な音楽をバックに幅150メートル、高さ70mの噴水がまさに踊るように色も鮮やかに参加者を魅了したよ。
 そして近くのコンビニでビールや韓国焼酎と夜食を買い込んで貸し切りバスに乗って木浦市内から40分ほど、郊外にある月出山観光ホテルに着いたのは深夜12時前か。もうクタクタ。
 オンドル部屋で暖かい!仲尾さんや角替君らとビールを飲んで一息。寝たのは1時過ぎ。

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