元京都市会議員鈴木マサホ「ひとくち日記-日々是好日」

鈴木正穂の身辺雑記として「ひとくち日記」を復活。人生100歳時代。コロナに負けないでどこまで書き続けられるか。

市原野でビラ撒き 11月13日ー15日

2010年11月19日 | 日記
●11月15日(月)

 朝の街頭演説は熊野神社交差点。錦林小学校に通う子どもたちを見守る地域の人たちや通勤途上の知人らが声をかけてくれる。うれしいね。左京新庁舎交通アクセスのことや岡崎公園活性化策のことなど30分ほど喋る。

 9時半に、紅葉の真っ盛りの真如堂は「お十夜」に。本堂では「鉦講」(かねこう)と呼ばれる人たちによる「鉦(かね)」を叩きながら念仏が唱えられるが、近所の人が奉仕しているのでご挨拶に。また本尊の阿弥陀如来像がご開帳されていて参拝。境内では幸せを呼ぶ蛸や甘酒が振舞われ、「たれこ止め」のお粥の接待もあった。さて「たれこ止め」とはなんやろね。ぼくももうちょっと歳が行ったらこの粥を食べないかんやろう。

 10時半頃市役所に。議員会は、行財政局、交通局、産業観光局、総合企画局から議案の説明。メインは、新基本計画。正午には、ぼくは、くらし環境委員長なので、理事会室での委員長会議に出席。今後の日程を確認。

 議員会も早々に南雅之さんの告別式に。修学院にお住まいの南さんは、貨物船に乗っていた人。前原誠司議員の支持者の人で髭をはやした温厚なおじさんだった。「キャプテン」とぼくは南さんのこと呼んでいたが、先月の朝粥の会にも来ていただき愛煙家であるキャプテンから「キャプテン・ブラック」という甘い香りで葉巻の味のする煙草をもらったところだった。心筋梗塞で突然のご逝去だった。やさしい笑顔だった。もらった「キャプテン・ブラック」をお別れにときに供えた。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 夜は、久しぶりに市役所の親しい友人らと行きつけの「新羅」でワイワイと一杯のみ。焼肉を食べて元気になろう!帰途、久しぶりに赤垣屋に立ち寄って熱燗徳利で一献。

●11月14日(日)

 朝、ちょっと風邪気味、鬼のかく乱。各所で防災訓練が行われていたが、立ち上がれずダウン。

 午後になってクリーニング組合の役員会へ挨拶に。前原議員の推薦で顧問になったので今後色々と相談に乗ることになる。建築基準法を巡って国交省からの指導もあり、業界は深刻だな。
 また事務所では弟の経営している鈴木マイクロ研究所の株主総会も。まあなんとか、このご時世、よう続いてきたものだ。美術写真やレントゲンデユープの仕事などありましたらよろしく。

 夜は、山科区選出、府会議員の豊田貴志君を励ます会。多忙な中、山田啓二知事や松井孝治参議院議員に細田連合京都会長、田淵民主党府会議員団団長らが来賓。某国会議員同じテーブルでぼくの隣に座っているのに挨拶もなし。山科で市会議員に立候補する新人の松下新蔵君も登場。同僚の現職の藤川剛議員も来ていたが微妙な雰囲気や。まあ色々とありますよ。

●11月13日(土)

 朝10時にわが団塊の世代の応援部隊が事務所に結集してくれて、11月20日に予定している市原野での市政懇談会の案内ビラ撒き部隊と出発。地図を渡して、ひとり200枚から300枚を割り当てておよそ2時間。好天で絶好のビラ撒き日和。

 市原野は、南は叡山電鉄二軒茶屋駅から北は市原駅から少し北へ鞍馬街道を上がったところまででその先はニノ瀬。市原野には、昔から古い集落があり、川島織物の工場がある。宅地化が進んだのはこの30年から40年。人口は6000人ぐらい。
 地元住民の反対運動もあったが、東北部クリーンセンターが稼動したのは、平成13年。10年ほど前か。計画発表以来色々なことがあって、ぼくは複雑な思いで反対運動を見守っていた。公害協定も締結されて地元への便益施設として市原野会館も設置されたが、当時の地元の役員さんたちも色々とご苦労された。

 そのときのことを思い出しながら、ぼくは、紅葉の綺麗な谷間のニノ瀬まで足を伸ばしてビラ撒き。黄色に染まった銀杏の大木は見事。知人に出会って挨拶をしてビラを撒く。
 11月末まで京都の奥座敷貴船では紅葉燈篭も開かれているし、叡山電車の市原駅とニノ瀬駅間ではライトアップもされて幻想的な風景を見れるよ!4年前の11月は副議長として世界歴史都市会議でオーストラリアはバララット市へ行っていたな。午後2時過ぎまで市原野ビラまき作戦を貫徹!

 その後、来春の選挙事務所開設のことで物件を見に行く。えらい広い事務所や。国政選挙もやれるで。まあ年明けやね。

 夕方、事務所には、高校時代の山岳部の後輩坪内秀泰君がおくさんと来所。高校時代のことや山岳部仲間のことなど再会を喜ぶ。

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