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ポンペイ遺跡

2010-06-04 | 日記
今日も気持ちのいい五月晴れ、そして私にはゆっくり出来る『花の金曜日』!
イタリアアルバム第2巻が完成したので、その中の1ページ・「ポンペイ遺跡」でのお気に入り画像を投稿しておこう。
                    

その昔、ローマの植民地であったポンペイは、西暦79年8月24日に大噴火したヴェスヴィオ山の火山灰にすっぽり埋められ、その後復興ならず、1748年農耕地から発見された大理石像によって本格的な発掘が始まったという。灰の中なので遺跡の保存状態が大変良かったらしい。

   ↓ コレはアリーナ門
      左側は専用で 右側は馬車専用 
                       

   
  道路はこのように→
      整備され   
      横断歩道の凹の部分は馬車が通れる幅になっているということである。
      夜の歩行の為に白い光る石・猫目石が埋め込まれていた。驚いた!


   次は書物で聞き覚えのある神殿:1つはアポロ神殿(左)で、
         もう1つ(右)はヴエスヴィオ山を背景に建っていたジュピター神殿である。
                 


    ↓ これは裁判など行われた司法の場・バシリカ。
              裁判官の座っている姿を想像している二人かな?
            


 上流階級の食堂の壁画の前に、見るも痛々しい人型石膏像が二体置かれていた。
当時街の人口は1万人余りで、逃げ遅れた約2000人が犠牲になったそうである。毒ガスでその場に倒れた人の上に火山灰が降り積もり、いつしか肉体は腐り無くなることによって出来たその人形の空洞に石膏を流し込んで造られたという。腰のベルトは彼が奴隷であったことの証しであるらしい。   
      
       

                       


  ↓コレはカリゴラの門。 門の向こうにヴェスヴィオ山が見え、偶然ながら(笑)の
ナイスショットで私は特に気に入っている。 
    


 ポンペイ遺跡は神殿ばかりではなく、人々の日常生活が見れるので親近感を覚え
楽しめた。これはフォロの浴場:男湯の天井壁画である。↙
                     


  日常生活といえばこんな画像も撮れた:

        (左)パン屋さん          (右) 居酒屋さん
      
  こんな立派な石籠で焼いたパン 
 食べてみたいな~
                           
                        
                        先ほどのフォロには男湯だけではなく勿論女湯もある。
                       中庭もあり、ソコではスポーツを楽しんだたという。
                       丁度、今のフィットネスクラブのようなのかな。
                       人々はスポーツを楽しんだ後、お風呂に入り、帰りには
                       この居酒屋に立ち寄って、飲んで歌って世間話に興じた
                       ていたのだろう ・・・・・                     

        ナポリは海に面し海洋貿易で栄えていたというからポンペイの
       人々の生活は豊かだったようである。


 このブログを開いてくださった方には、読むのにそろそろお疲れのことかと。。。。。
私も疲れてきた。もう1枚で終りとしよう。 
                   
                              ↑これはオデオン座という小劇場である。


 2000年前、日本は縄文時代で狩猟の生活を
していたというのに、現代の我々と同じ生活が
営まれていたとは驚きで、本当に興味深い遺跡
であることよ!!

                                            おしまい                
                        

                     
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