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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

大阪マラソン

2011-10-31 | 日記
昨日、10月30日(日)は第一回大阪マラソンの開催!日。
パパの応援に出かけた。曇り空ながら、暑くも寒くも無く(最高気温19.6だったそうである。)、走るには好天気。
17万人の参加応募者から、抽選で選ばれたランナーは3万人。大規模ですごい!奈良マラソンの1万人に驚いていたのに・・・・・
ついでながら世界5大マラソンとはボストンマラソン、シカゴマラソン、ニューヨークシティマラソン、ベルリンマラソンそしてロンドンマラソンだとマラソン読本に書いていたが、知名度の高い海外のマラソンはホノルルマラソンだよね。

一昨年イタリアに行った時のこと、丁度ピサマラソンの日だったようで、ドゥオモ広場のピサの斜塔の前がFINISH地点であった。ピサの斜塔に登る前、イタリアンに混じって見知らぬランナーに日本語で声援を送っていた(笑)のを思い出す。。。。。

スタートは大阪城公園前。四方八方からどっと人々が集まって8時半現在すでに会場周辺はすごい人人人!
招待選手の1人、2000年のシドニー五輪で高橋尚子さんに次ぐ 銀メダリストであったリディア・シモンさん38(ルーマニア)を一目見たいと、人混みのあちこちでその名が聞こえた。そしてスタート直前で紹介があった時には大きな拍手と歓声があがった。
           
                            (写真はクリックすると拡大する)

号砲が鳴った。一斉に駈け出す大群のランナーズ。Fグループのパパも家族に手を振って元気に駈け出して行った。頑張れ!!最後のQグループまでの全員を橋本知事と平松市長は両手を挙げて笑顔いっぱい声援を送っていられたはず(写真左から2番目のように)。。。。。

ランナーは大阪市のど真ん中を駆け抜けるわけだが、コースを解りやすいように冊子からコピーしておこう。大まかには大阪城→御堂筋→京セラドーム大阪→通天閣→インテックス大阪となる。
上段の写真3、4枚目は出発して間もない上町筋の歩道橋から撮ったものである。

私達家族5人は本町に移動。御堂筋の色づき始めた銀杏並木を走るランナーの皆さん、ここは気持ちが良かったことだろう。観衆のお顔も何やら楽しく応援している様に見えた。
次は大国町・通天閣に移動。25キロを過ぎて間もなくのところ、さすが42.195kmを目指す人達だけに未だ疲労感はなく元気は充分残っているようだった。パパを見つけるには仮装した人が目印になった。いろいろな仮装の中でも、大阪の顔:「太陽の塔」や「くいだおれ太郎」が特に印象的だった。先の「くいだおれ太郎」が過ぎてパパを見つけたのは子ども達!快走しているパパの笑顔をしっかりと確認できて良かった!あれあれ又次の「食い倒れ太郎」が走ってきたぞ。
その後、南港に移動。
            

地下鉄で移動したのだが、地下鉄の階段を自転車を提げて上がる人を沢山見かけた。道路のあちこちが通行止めになっているので道路の横断ができないからだろう。きっと難波虹の街も自転車が走っていたかもしれないなぁ。
地下鉄移動に助かったのはエンジョイエコカード(地下鉄・ニュートラム・バスの共通一日乗車券)600円也であった。それにしてもFINISHのインテックス大阪へ行く手段はただ1つ。応援者のすべてがニートラムに乗るのだから想像の通り!待ち時間は恐ろしく長くて、赤ちゃんや年寄りはぐったり。そう!私も年寄り、息苦しさに耐え切れなくて気分が悪くなったよ。きっと倒れる寸前の人も居たはずネ。


午後2時、とうとう小雨が降ってきた。、ゴール寸前にして雨の中を走っている人達の姿を見ながら、走り終えたパパと私達はトレードセンター前駅に向かっていた。制限時間7時間というので参加した以上は雨であろうと完走したいのが人情だ。完走していい思い出になるようにと他人事ながら心から応援せずにはいられなかった。

パパは「御堂筋を走れて良かった」という感想に加えて「通天閣のじゃんじゃん横丁にも行ってみたい」気持ちが起きたようである。給食場での体験で「コレ食べてしっかりガンバリや!」「きばりや!」と稲荷寿司2ケ、パパには素手から素手へのお渡しでびっくりして一瞬の戸惑いがあったものの大阪のおばちゃんの心遣い・暖かい人情に触れて感動したとのことであった。


マラソンは大成功。
ただ思うに、繁華街の大がかりな交通規制で困った人が無きにしも有らずは許されても、インテックス大阪からの帰り道、モノレール1つの交通手段は大混雑だったし、開催実行委員会にもの申したい人はいっぱい居たはずだ。走った人も応援の人も疲れた身体を引きずりながら大きな感動に支えられてモノレールに乗った。お疲れ様でした。
2時間32分48秒で女子のトップとなったあのシモンさんにおめでとう!男子のトップは2時間12分43秒でケニアの選手エリジャ・サングという人だったそうである。
パパも4時間32分26秒と、自己ベストを更新出来て大満足のようす。おめでとう!!

伊勢神宮125社めぐり:その1

2011-10-27 | 日記
最高の秋日和!
伊勢神宮125社めぐり」バスツアーの第1回目に参加した。
彼が行くというので、伊勢神宮なら久しぶりに行ってみようかなという気になったのである。伊勢神宮に内宮と外宮があること以外はほとんど何も知らない私。125もの社があるなんて全く知らなかった。
この前 神宮に行った時に見た、賢そうな気品のある白い「神馬」と“なんじゃもんじゃの木”の白い花が満開で綺麗だったのを思い出す。

宇治山田駅に午前10時集合。
現地ボランティアの「お伊勢さん観光案内人」さんの先達で今日は大湊・神社・外宮24社を巡った。

そもそも内宮を「ないくう」、外宮を「げくう」と言うことも恥ずかしながら今日初めて知った次第である。濁音で発音していたよ。
内宮には天照大御神が外宮には豊受大御神が祭られていることを再認識しておこう。
そして、125社とはこの2つの正宮14の別宮43の摂社24の末社43の所菅社を合わせた社の数だそうだ。

神社の屋根の造りについて教えて下さった。
屋根の両端で交差している木のことを千木(ちぎ)と言うそうで、先端を地面に垂直に削られているのは外削ぎといって男神が祭神であることを示し、水平に削られているのは内削ぎといって女神の社であるそうだ。
それから屋根の上で棟に直角になるように平行に並べられた木のことを鰹木(かつおぎ)といって偶数本と奇数本があり、偶数は女神、奇数は男神の社だそうだ。へぇ~・・・・
鳥居の高さであるが、155cmの私が手を伸ばしてかろうじて達しそうなのが末社、全く届かない高いのが摂社という事も知った。
               

「かどや民具館」で見た大振りな「しめ縄」(注連縄)で、伊勢の習慣を知った。伊勢では12月30日に掛けて一年中そのまま飾っておくそうだ。
蘇民将来子孫家門」(そみんしょうらいしそんかもん)と書かれた木のお札がしめ縄の真ん中にあった。それは、その昔伊勢を旅していた須佐之男命(スサノオノミコト)が貧しかった蘇民将来という人の家に泊めてもらっておもてなしを受けたことに由るもので、災難を免れ家が代々栄えるようにとの祈りが込められているそうである。へぇ~・・・・・
                  
                             (画像はクリックすると拡大する)

倉田山にある倭姫宮(やまとひめのみや)について書き残しておきたい。
内宮の正宮・皇大神宮の別宮で祭神は倭姫命(やまとひめのみこと)(第十一代垂仁天皇皇女)。
倭姫命こそ伊勢の草分けの姫神で天照大御神をお祀りしている皇大神宮を創建して、神嘗祭などのお祭り事を定め神宮所属の宮社を定め神宮の経営を確立されたのだそうだ。この宮は大正12年に建てられたそうで新しい。参道を進み石段を上がると広い境内にお社が静かに厳かに建っていた。それにお札やお守りを授与する宿衛屋(しゅくえいや)と言われる建物もあったなぁ~。。。。。
             

点在する森の中のお社14個所を巡った後は外宮(宮域内に10社)であった。
北御門口御橋を渡って境内へ。
お祭りしている富受大御神とようけのおおみかみ)は食物・穀物を司る神様でココで新嘗祭(にいなめさい)も執り行われるそうである。この神聖な場所・御神殿の中へは天皇陛下だけがお入りになれるだけで皇太子様でもダメだそうだ。玉砂利を敷き詰めた地面に膝まずいてお祈りをされるのだろうか。身が引き締まる思い・・・・・


外宮の中では正宮の他、別宮の「多賀宮」(たがのみや)や「土宮」(つちのみや)や「風宮(かぜのみや)」その他のお社を謹んで参拝。

              
   豊受大神宮(正宮)      多賀宮(別宮)         土宮(別宮)           風宮(別宮)

とても詳しい案内人が居て下さってこその参拝、目から鱗が落ち始めた一日であった。    合掌。

銀杏

2011-10-20 | 日記
15日のこと、夜明け前 なんとなく目が覚めた。うつらうつらしながら耳にした凄まじい雨風の音。今日は散歩に出れないだろうと そのまま寝入っていった私。でも再び目が覚めてみると静かな朝だった。それではと出かけることにした。

いつも見上げている銀杏の木の下に来た。なんと沢山の銀杏が落ちているではないか!あれぇ~。さては明け方のあの風が落としたのだと解った。
家に戻ってビニール袋と手袋を持って木の下へ。未だ道行く人が居なくて一人で早朝の銀杏拾いを楽しんだのである。

去る7日、四国の箸蔵寺で拾った銀杏とは違ってかなり小さかった。
木の大きさに、比較にならな程の差があるので、当然かもしれないな。
生まれて初めて体験した箸蔵寺での銀杏拾いに続いての銀杏拾い。
大きさはどうでもいい、嬉しかった。
銀杏ご飯を炊こう、茶碗蒸しを作ろう。紙封筒に入れチンして酒の肴にもしよう。娘家族にも食べさせてあげよう。
娘婿・トントンパパが30日大阪マラソンに出場の為、家族4人が来る予定。

ネットで調べてみると、1週間から2週間水に漬けて果肉を腐らせてから川で振り洗いをし、実を取り出して2~3日干すと市販されている銀杏の様になる、とあった。
なるほど・・・・・
散歩中に探した。それなりに流れの早い所は見つかった。よし!それでいこうと思い、100円ショップでひも付きの網を買い、バケツに入れて水を張った。

ところが、知り合いが言うには、「川の水は汚いよ。そんな事をするより長靴で踏みつぶして、手で実を取り出す方がいいよ。」と。「流れている水なら大丈夫でしょう。」と言いながらもちょっと気になった。彼が言う様にした方が手っ取り早いし、匂いの心配も避けられるかもしれないと考えた。決めた。そして実行した。取り出して3日が過ぎた。。。。。

小粒ながら、自分の手でここまで仕上げた銀杏をいとおしく感じたよ(笑)
明日は早速「銀杏ご飯」を炊こう。美味しいだろうなぁ~ うれしいなぁ~。

箸蔵寺で拾った30粒ほどの大きな銀杏の3粒は、歩き遍路の思い出に踏みつぶす前に庭の土に埋めた。来年芽を出してくれるかな。ダメかな?これも楽しみ!