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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

若宮15社めぐり

2022-11-28 | 日記
  11月26日(土)
それほど寒くもなく気持ちよく歩けそうな天気だったので二人で奈良に出かけた。循環バスの窓から紅葉を見て「しまった!歩けば紅葉が楽しめたのに・・・」、後の祭りであった。(笑)
奈良公園は沢山の人で耳には日本語よりも外国語の方が多く飛び込んできたのに驚いた。鹿もあちこちに居て、大好きな鹿煎餅をおねだりしていた。
春日大社表参道に並ぶ燈籠の間から顔を出して迎えてくれる小鹿の何と可愛い微笑ましいことよ!
           (画像はクリックすると拡大する)  

「若宮15社めぐり」をすることにした。夫婦大国社(めおとだいこくしゃ)の受付で木の玉串札と案内マップを頂いてスタートする。
夫婦大国社には大国主命(オオクニヌシノミコト)と奥様の須勢理姫命(スセリビメノミコト)が祀られ、姫命は手にしゃもじを持ち、洗濯用の桶(おけ)を頭に乗せたお姿とか。拝顔したかったが、それは出来なかった。

巡拝の第1番若宮(わかみや)で、20年に1度の御造替が済み社殿の朱塗りがまぶしく映えていた。御祭神は天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)
正しい知恵をお授けくださる神様だそうで謹んで御札をお供えして手を合わせた。
頂いた栞は直ぐにはスラスラ読めなかったので、今落ち着いて神様の読み方と御神徳をココに書き写し、頭の中を整理しておこう。


第2番 一童社(三輪神社) いちどうしゃ(みわじんじゃ) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 子供の成長をお守りくださる神様
第3番 兵主神社(ひょうすじんじゃ) 大己貴命(おおなむちのみこと)  勇気をお授けくださる神様
第4番 南宮神社(なんぐうじんじゃ) 金山彦神(かなやまひこのかみ)  財宝の神様 
     ⇔         ⇔      ←「御間道」(おあいだみち)に並ぶ新しい木製の火袋 

第5番 広瀬神社(ひろせじんじゃ) 倉稲魂神(くらいなたまのかみ) 衣食住の神様
第6番 懸橋社(葛城神社)かけはししゃ(かつらぎじんじゃ) 一言主神(ひとことぬしのかみ)  夢を叶えてくださる神様 
          ←正面から

第7番 三十八所神社(さんじゅうはっしょじんじゃ) 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)、神日本磐余彦命(かみやまといわれひこのみこと)  開発開墾の神様 
第8番 佐良気神社(さらけじんじゃ)  蛭子神(ひるこのかみ)(えびす様)  福運の神様 
     ⇔   

第9番 春日明神遥拝所(かすがみょうじんようはいしょ) 春日皇大神(かすがすめおおかみ)  ひらめきの神様 
第10番 宗像神社(むなかたじんじゃ) 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)《天河弁財天(てんかわべんざいてん)》  学問芸能の神様 
     ⇔   

cf.:11番神社のすぐ手前(西側)に「龍王珠石」の案内板と石が積まれたエリアが在って、雨乞いの「善女竜王」が尾玉を納めたという伝説のある場所だとか。
第11番 紀伊神社(きいじんじゃ) 五十猛命(いたけるのみこと)、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、抓津姫命(つまつひめのみこと)  新たな生気をいただく神様
第12番 伊勢神宮遥拝所(いせじんぐうようはいしょ) 天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)  天地の恵みに感謝する所
     ⇔      ⇔    

第13番 元春日 枚方神社遥拝所(もとかすが ひらおかじんじゃようはいしょ) 天児家根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)  延命長寿の神様
第14番 金龍神社(きんりゅうじんじゃ)金龍大神(きんりゅうおおかみ)  金運財運の神様
     ⇔    

第15番 夫婦大国社(めおとだいこくしゃ) 大国主命(おおくにぬしのみこと)、須勢理姫命(すせりひめのみこと)  夫婦円満・家内安全・老後の守護の神様
   

その後、茶粥を食べて鹿と遊んで春日大社国宝館を訪れた。館内で撮影が許された鼉太鼓(だだいこ)、その大きさと極彩色に圧倒された。3つ巴の太鼓には龍が2つ巴の方には鳳凰が彫刻され、それはそれは実に華麗なものであった。春日若宮おん祭での舞楽の演奏に使われるそうだ。
辺りが暗くなって午後5時30分から開始された春日若宮御造替記念の奉祝万燈籠を楽しみ、若宮御本殿の夜間参拝を済ませ、ローソクの火が灯る参道を通って帰路に就いた。幻想的な奈良の夜は実に素晴らしかった。
            

ペタペタと並べた画像の多さに我ながら呆れるが、一生の良き思い出の日となった。(笑) おしまい。

越前へ その2日目

2022-11-18 | 日記
  11月15日(火)
お陰様で昨日の疲れは解消。
7時から朝食、9時にチェックアウトして、送迎バスで えちぜん鉄道(単線、一車両)「あわら 湯のまち駅」へ、そして「勝山驛」で下車。
勝山市には福井県立恐竜博物館が在るが、勝山駅舎を一歩出ると大きな恐竜モニュメント・「フクイサウルスの親子」が迎えてくれる。(笑)
1982年に市の北谷杉山川で、私には何だか難しい中生代白亜紀前期のワニ類化石が発見されたり、恐竜の歯や骨や足跡化石それに”かぎづめ”なども発見されているそうである。
二人はそれぞれモニュメントに握手してからタクシーで越前大仏に向かった。(笑)
  
               (画像はクリックすると拡大する)  

九頭竜川を渡って11時40分、大師山清大寺に着いた。
おぉっ…やっぱりね、ネット情報通り、正に「ゴーストタウン」である。お店は軒並み閉まっていて、参拝客には6人出会っただけだった。観光名所ではないのを承知で来たのであるが、コロナ禍なので私達には良かった。
大門をくぐって中門を通り抜けて大仏殿迄かなりの距離があった、めっぽう広い境内に先ず驚いた。
日本一大きな大仏様を一目見たかったのである。身の丈17メートル、奈良の大仏様は14メートル98なので、なるほど~大きいんだよな。
遠路はるばる訪ね来て納得できたので、気持ちが落ち着いた。(笑)

拝観を終えて大仏殿の入り口に戻ると、五重塔や日本庭園の綺麗な紅葉が目に飛び込んできたが平泉寺行きのバスの時間が迫っていた。
今、机に向かって「大師山清大寺 参拝のしおり」を読んで、「九龍壁(九龍殿)」を見学せずにバス停に急いだのを後悔している。(涙)
広大なお寺の境内には沢山の見どころが在るのを知らなかった故に後の祭りとなってしまった。

         

                         

建立したのは地元の大実業家、相互タクシーの創設者・故多田清氏で、立身出世できた恩に報いる為に父母祖先の眠るこの地を選ばれたとか。大きな石碑に昭和62年と刻まれていた。ふと思い出すに兵庫県の香美町にある長楽寺の巨大な「但馬大仏」(釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来の木造大仏3体)も氏が寄進されたと聞く。
長楽寺は奈良時代の天平年間に僧行基創建の古刹、2年前の2020年2月14日に湯村温泉に出かけ折に訪れたのを思い出す。

それに平泉寺白山神社(へいせんじ はくさんじんじゃ)の参拝を終えてタクシーで「勝山驛」へ戻る途中、車窓から見たお城、一見姫路城のような綺麗な外観の模擬天守(高さ57.8m)、コレも氏の建設に依ると運転手さんが教えてくれた。こちらは市と連携し「勝山城博物館」として多田清文化教育記念財団が運営しているそうだ。
物好きな私、時間があれば入館してみたかったが・・・・・
それにしても多田氏の夢は限りなく”でっかい”ものだったんだなぁ~!!!


さて時間は戻って、越前大仏から乗ったバスが12時50分に白山平泉寺に着いた。
お昼ごはんに入った蕎麦屋さんの「越前 おろしそば」の実に美味しかった事!それに窓の外の紅葉も格段に綺麗で思わず息を飲んだ。

           

先ずは泰澄大使廟にお参りして参道入り口の石標「白山神社」を見上げ、彼は「平泉寺に行く」と言っていたはずなんだけど・・・「平泉寺」ではない事に??
白山平泉寺は717年、白山(2702m)を開山した泰澄大使が創建、戦国時代には国内最大の宗教都市として栄え、境内は約1km四方に広がっていたと言う。
1868年の神仏分離令で平泉寺への寄進地はすべて没収され「平泉寺」の名称は廃止され、白山社の本社、拝殿、鳥居などは「白山神社」として残されたそうだ。
「白山平泉寺散策マップ」を読んで、彼の言う平泉寺と石標の白山神社と白山平泉寺の名称の変遷など色いろが解った。

拝殿に関しても元は正面45間の大拝殿だったそうである。本社の左右にやや小さい社があるのは白山山頂の三山それぞれの神様を祀っているかららしい。
私は狛犬に惹かれた。阿の狛犬は赤ちゃん獅子を、吽の狛犬は珠玉を持つ稀に見るものであった。そうそう狛犬が大好きな私は「佐吉の狛犬」を訪ね歩いた時期があったっけ。(笑)

マスク越しとは言え澄み切った綺麗な空気を胸いっぱいに吸いながら延々と続く広い広い石畳の参道をゆっくり進む。見上げるばかりの大きな杉やブナの木立と苔むす地面は優しく参拝者を包み込んでくれた。大変気持ち良く、まるで吸い込まれる様な気分に、自然への感謝の気持ちが自ずから沸きあがってくるのを感じた。
私は脚と相談して歩きは本社迄とした。

                    

白山神社は彼の希望、勝山城と筑前大仏は私の希望で2人はちょっと違うんだよな。(笑)それでも共に両方を十二分に満足して無事帰路に就いた。良かったよかった!
















筑前へ その1日目

2022-11-16 | 日記
 11月14日(月)
京都駅午前9時42分発サンダーバード11号に乗車、筑前への旅を決行した。目的は丸岡城と芦原温泉と越前大仏と白山平泉寺の観光である。
10時43分、電車が通過中の「なんじょう駅」ホームの端で急停車した!。電車と人が接触したとのアナウンスが流れ、その後消防と警察の実況見分が済むまで85分間乗客は列車の中でじっと待った。大事故には至らなかったようでホッとした・・・・・
お陰でJR福島駅到着は12時45分、幸いにも下車して直ぐに丸岡城行きのバスに乗れて、お城に着いたのは午後1時時35分、結果的に予定より1時間遅れで済んだ。やれやれ・・・・・

紅葉の綺麗な霞ヶ城公園(霞ケ城とは丸岡城の別名)のベンチで先ずはお弁当を食べた。爽やかな風が吹いて空は快晴、京都駅で買ったお弁当の味良し、大満足の昼食タイムであった!(笑)

       (画像はクリックすると拡大する)

さて、雪釣りの景色を見ながら幅広の石段からいよいよ丸岡城に入場:
現存する12天守の1つ、規模は小さくても二層三階の天守(高さ約12m)はとても素敵だった。入母屋造りの屋形で回縁欄干付きの望楼形式、「石落とし」や「狭間」(はざま 鉄砲穴)が並ぶ、日本最古のお城にうなずく。
戦国時代、天正4年(1576)織田信長の命を受けた柴田勝家が甥の柴田勝豊に築城させたとか。屋根は石瓦(1枚20~60kg)で葺かれていて、福井地震で落下した石製の鯱(しゃち)が天守登り口階段の傍らに置かれていた。横に立って背比べをしてみた。(但し、元々は木彫銅板張りだったのが昭和15~17年の修理の際に、当時は戦争中で銅板の入手が出来ず石材使用になったとか。)
天守は昭和23年(1948)の福井大地震で倒壊し、昭和30年(1955)に部材の70%以上を再利用して組み直し修復再建されたそうだ。その時に石製の鯱は現在の木心銅張りにされたようだ。

             
 
天守内部に入ると木製の階段が目に飛び込んできた。何と段差45cm、1階から2階への傾斜65度、2階から3階へは67度の急階段であった。思いっきり足を上げ踏み外さない様にロープにすがりつつ登るわけだが、皆んな真剣そのもの、順番を待つ者は彼らを応援する様な気持ちで見守ったよな。
2階・3階の四方に有る窓からは市街地をぐるりと見渡せて素晴らしい素晴らしい!石瓦の屋根が妙に重く額縁の1辺を支えていたよ。
 
                  
  

また天守台の石垣(高さ約6.2m)は野面積みでとてもきれいだった。私は野面積みの石垣が大好きなので惚れ惚れして一周した。(笑)
それにツワブキがあちこちに咲き乱れていたのも嬉しかった。我が家の狭い庭にも今や咲き乱れているからかしら?(笑)

埋め立てられた内堀に建つ歴史民俗資料館を見学してから、タクシーで北陸本線JR丸岡駅に、そして送迎バスで芦原温泉・青雲閣に着いた。
食事は夜もバイキング形式であったが、色んな物をお腹いっぱい食べれてまぁまぁ満足。(笑)


 

三輪神社へ

2022-11-03 | 日記
  11月3日(木)
近くの桜並木を通ってジムに行く途中、紅葉した葉っぱが地面を埋め尽くしている箇所があってハッと秋を意識した。銀杏並木もほんのり色づき初め、随分長引いた夏の暑さからやっと解放されたと感じる今日この頃である。我が家の衣替えも10月ではなく1ケ月遅くなった。(笑)

実は身体を頑丈に鍛える為ではなく、機能改善のため5年ぶりに先月からジム通いを再開した。
昔のお顔なじみさんが笑顔で声をかけてくれた。うわぁ~ずっと続けて頑張っていられたんだ!、と感心すると同時に嬉しかった。よくもまぁ~覚えてくれていたんだ、ありがとう。
私だって一生続けようと思っていたはずなのに歩行困難になり、整形外科へ行くと2つの病名を貰いジム通いはストップせざるを得なくなったのである。
彼女達が言うに、「昔ほどには動けず、参加できるプログラムは少なくなったわ。」と。いやいや”老い”を素直に受け入れ、日々楽しく過ごせたらそれが幸せなんだよな。

お陰で机に向かう時間が少なくなってブログ日記が遠のいてしまった。(笑)
今日は11月3日というのでふと思い出し、SDカードを取り出した。毎年お正月に三輪の大神神社 (おおみわじんじゃ)に掛かる大きな絵馬を描かれる先生の絵が回廊に展示されているのが今日迄だった。私は案内を頂いて10月24日(月)に見せてもらいに行っていた。

          

拝殿から御神体の三輪山を拝んで、白蛇を祀る大きな神杉に移動、一息ついている人達の背後、回廊に先生の絵は並べられていた。
私が昔お世話になっていた頃の作風とは少々変わっているのを感じた。追求されているテーマは同じでも歳を重ねられると変化があって当然のことだよな。

お天気良し、コロナ禍とは言え神社は想像以上に沢山の人でいっぱいだった。菊花展もあり、七五三参りの可愛い姿もあった。

        (画像はクリックすると拡大する)



● コロナの話:
シンガポールやインドなどで増えている「XBB」は、「BA.2」から派生した変異ウイルスが組み合わさった「組み換え体」と呼ばれるタイプの様で、10月下旬の段階で35か国から報告されているとか。
日本でも一人感染と数日前のテレビニュースで聞いたばかり、感染力は非常に強いが重症化のリスクは少ないとかだった。
5回目のワクチン接種案内封筒が届いたが接種済みでも感染するコロナ、5回目はどうする?腕は3日ほど痛いし、微熱が出るし・・・・・

過去3回キャンセルを繰り返している越前への旅、宿の予約を昨日思い切って済ませたばかりで、第8波よ来ないでおくれ。動ける間に今回はどうか実現したい。。。。。