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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

お茶の花咲いた

2020-10-29 | 日記
  10月29日(木)
種から植えたお茶の木が育って初めて白い花を付けた。感激!
さて、今朝は日の出を見る為に早起きをして川の堤防まで自転車を走らせた。
既に朝の散歩を楽しんでおられる人達がいて、一人の人、夫婦二人の人、犬を連れた人、ランニングをしている人様々であったが、皆さんのお顔は活き活きしていた。
お互いに「おはようございます。」の(*^-^*)挨拶が大変気持ち良かった。

私は少し赤く染まり始めた東の空を眺めてじっと待った。
太陽が顔を出した瞬間(午前6時28分)「おっ 出た!」思わず声が出たよ。

        (画像はクリックすると拡大する)

お正月でもなく富士山頂でもないのに今更日の出を見たいと思ったのは、昨日夕方の散歩で夕陽が沈んだ直後の西の空を見て同じ場所から朝日を見たかったからである。
数分早ければ真ん円の大きな夕陽を見れたはずなのに少々残念であったが、近い内また必ず見れる日があるはずなので大丈夫 大丈夫と・・・・・昨夕の茜色の空の画像も残しておこう。

それから今日まで焦らず静かに見守ってきたバジルの葉差しの根を見たのも小さな発見である。虫に喰われても頑張った何と逞しいバジルの葉よ!
そうそう今年一番に開花したツワブキ、並べておこうネ。

        

朝のラジオで聞いた、今夜は十三夜だそうで火星が月に一番近く見えるとか。
今年の十五夜は10月1日だったよな。月の満ち欠けの原理はさっぱりの私、十三夜の月を意識して見上げた事はなかった。
太陽、月、地球と並ぶ図を参考に、新月から考えて1ケ月の上旬に見える右側が光る月を上弦の月と呼び、夕方夜空に見える三日月を覚えておく事しか出来ない。(笑)
旧暦8月15日の十五夜の月を「前の月」、旧暦9月13日の十三夜の月を「後(のち)の月」と呼んで、昔の人は両方の月を愛でたとか。片方しか “お月見” しないこと を「片見月」(かたみづき)と言うそうである。ふぅ~ん、初耳だよ。(笑)
十五夜を「芋名月」、十三夜を「豆名月」とはホンニ枝豆の美味しいこの季節、今夜は黒枝豆でビール飲もうかな。(笑)

 11月1日(日) 追記
トルコで買って帰ったサフランが庭の片隅で一輪咲いていた!
       
もう絶えてしまったと思っていたのに、ビックリ仰天。サフラン茶を作ってみると旅の思い出が蘇った。
サフランにありがとう ありがとう! 


  

聖林寺

2020-10-21 | 日記
  10月20日(火)
18日奈良市内の4ケ寺にすっかり感動して、引き続き元気を出して聖林寺に行った。
1ケ寺だけなので道に迷う事無し、一人で出かけた。近鉄桜井駅からバスに乗って5つ目のバス停聖林寺で降りると、運転手さんが「帰りのバス停はあそこです。時刻表を確認して乗り遅れないよう気を付けて下さい。」と声を掛けて下さった.
成程11時33分に乗り遅れると次は2時間待ちとなる。矢田寺での失敗を繰り返さないようにしようと思った。(笑)

清々しい空気を胸いっぱいに吸いながら川を渡ってゆっくり歩く、門前は急な坂道になっているが慎重に頑張った。
このお寺を訪ねてきた回数は多い。初めて訪れた昔の境内は赤い実を付けた千両がたくさん有ったように記憶している。

こちらの石仏お地蔵様は江戸の元禄時代に造られた「子安延命地蔵菩薩坐像」で、丈六仏「じょうろくぶつ」と言われる大きな(1丈6尺=30.3cm × 16 = 約 4m 85cm)お地蔵様である。台座の土台は建物の床よりも下の地面に造られているので、雨の多い季節にはお地蔵様の色が少し変わると聞いた事がある。
それから今日初めて知ったのだが、左脇侍には白い身体で白い蓮華を持つ掌善童子(しょうぜんどうじ)が、右脇侍には赤い身体で右手に独鈷を握り左手を頭上にかざす掌悪童子(しょうあくどうじ)が置かれ、地蔵三尊形式になっているという。

先ずは静かに正面に座ってじっとお顔を見上げながら思いを巡らせた。不思議にもすっぽりと我が身を包んで耳を傾けて下さった様な気になれたのが嬉しかった。

その後石段を上って観音堂へ行き、「十一面観世音菩薩立像」(国宝)の拝観もさせてもらった。
明治の神仏分離で廃仏の時が来るまでは、奈良時代から大御輪寺の本尊であられたという三輪山は今日少し霞んでいたが、山寺の一番高い所に漂う空気は格別清らかに澄んでいた。

予定のバスに乗れて無事帰宅、良き一日に感謝する。


地蔵十福

2020-10-19 | 日記
  10月18日(日)
気持ちの良い爽やかな秋日和で、奈良市内にある地蔵十福の4ケ寺を巡るべく、彼の道案内で出かけた。
既に4ケ寺は済んでいる。
スタートは2019年4月9日桜の季節で、室生寺&大野寺だった。今年寒くなる前に満願したい。

近鉄奈良駅に着くと、案内ロボットが設置されていた。話しかけるのにちょっと勇気が要ったが、このまま通り過ぎるには惜しい気がしてマイクに向かった。
質問に案内地図を表示してくれて、「ありがとう!」と言うと「どういたしまして。」と返ってきた。人を介して尋ねるより端的に素早く分かり、その便利さにビックリした。時代は変わっていくのだなぁ~・・・                                  

先ずは、伝香寺(でんこうじ)の重要文化財「春日地蔵」(木造地蔵菩薩立像)からスタート。
通称「はだか地蔵」の名で知られるこちらのお地蔵様は鎌倉時代(1228年)に裸の状態の像として造られたそうで、本物の綺麗な衣装を纏っておられる。拝観は3月12日の「地蔵菩薩特別開扉」と7月23日の「地蔵会・着せ替え法要」の2日のみ。
今日は地蔵堂の窓を開けて拝顔させて下さった。すっきりと清々しく美しいお姿で凛として立っていらっしゃった。像高は97.3cmとか。
こちらのお寺は花びらが1枚ずつ散り落ちる「散り椿」でも有名である。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・筒井順慶の菩提寺で、36歳の若さで亡くなった武士に因んで「武士椿」とも呼ばれているそうだ。椿の公開時期は人で埋め尽くされる境内だが、今日は静かでゆっくりさせてもらい心が和んだ。萩の花が咲いていた。
( ついでながら、奈良の三名椿は東大寺開山堂の「のりこぼし」、百毫寺の「五色椿」、伝香寺の「散り椿」である。)

元興寺(がんごうじ)に向かう途中、「奈良町からくりおもちゃ館」に立ち寄った。
江戸時代の “からくりおもちゃ” を復元して色々並べられている館で、実際に手に取って遊ばせてもらえて楽しかった。おもちゃは2ケ月毎に入れ替えされるとか。

         (画像は全てクリックすると拡大する)

元興寺に来た。
6世紀末蘇我馬子によって建てられたという飛鳥寺(法興寺)が平城遷都の折こちらに移転されたお寺で、国宝の禅室や本堂極楽堂の屋根瓦の一部に今もその面影を残している。
お地蔵様については、国宝の木造薬師如来立像や五重小塔etc.が保管されている法輪館を数回訪れているので拝顔しているはずである。
「印相地蔵」(いんぞうじぞう)と言って、錫杖や宝珠の持ち物はなく手や指でそれを象徴していられる室町時代のお地蔵様だそうだ。
受付に並んでいられる人が沢山で、不謹慎ながら今日は朱印だけ頂いて、来年8月23・24日の地蔵会万灯供養には是非お参りに来ようと決め、十輪院に向かった。

十輪院の境内にはフジバカマが綺麗に咲きススキが風に揺れていた。
こちらのお地蔵様は花崗岩の石の厨子に祀られている石仏・「石龕(せきがん)地蔵」で、元は露仏だったそうだが、本堂(国宝)内に安置されている。実に巨大な石龕(間口268cm、高さ242cm、奥行245cm)の中に、お地蔵様は錫杖は持たず宝珠だけを持って立っておられた。平安後期の作だそうである。

尼僧様が色々説明して下さった。左右の壁面には冥界の十王、仁王、聖観音、不動明王、、四天王、五輪塔、あるいは観音、勢至菩薩の種子(しゅじ=シンボルとなる文字)などが、そして地蔵尊の左側に釈迦如来右側に弥勒菩薩が半肉で浮き彫りされている。そして龕の上部分や左右両側に刻まれているのは北斗七星、九曜、十二宮、二十八宿の星座の梵字だとか。

お話の途中からは今までに聞いたことのない言葉が出てきて、彼はうなづいていたが、私は解らなかった。とにかく感動で心が震えた。
石仏龕は「彫刻」ではなく「建造物」として重要文化財に指定されているそうだ。
「大和地蔵十福」の本に掲載のお写真をコピーさせてもらった。

    それにしても「龕」とは難しい漢字だよな。漢検1級
    部首は龍 (りゅう)で画数は22 、  音読み ガン・ カン   訓読み ずし・ かつ

最後に福智院の山門をくぐった。
白鳳時代の秘仏「宝冠十一面観音菩薩立像」の特別公開期間中でもあり、数人の参拝者が出入りしていた。境内に満開の白いシュウメイギクを見た。
地蔵大仏と呼ばれる、桧寄木造りの地蔵菩薩坐像(重文)は大変大きくて(高さ2.73m)須弥壇に座しておられるお姿は一目で圧倒される。( 台座からの総高は6.60m )
鎌倉時代の作で、千仏光背と言われる光背はご本尊の分身とされる小さな仏さま・化仏(けぶつ)でびっしり埋まっている。
椅子に腰かけお地蔵様を見上げていると、本当に私達の難儀を救って下さるような気持ちになった。
こちらのお地蔵様も本の写真をコピーさせていただこう。

      

ラッキーな事に、丁度太陽の位置に依り窓から差し込む光で光背の後ろの壁面に虹がかかる不思議な現象が現れる瞬間に遭遇して感激!

4ケ寺巡拝に大いに心満たされた秋の一日であった。彼には同伴ありがとう。


坪枯れ

2020-10-16 | 日記
  10月16日(金)
6月6日に見た田植え直前だった田んぼは収穫も終わり稲の株が模様をなして並んでいる。

ところが、先日見た他の田んぼの異様な光景が頭の隅に残っていたところ、14日の新聞記事で納得できた。
トビイロウンカと言う稲の害虫が多量に発生すると、水田を局所的に枯らし、「坪枯れ」現象が起きるそうだ。
虫の体長は約5mmで、東南アジアや中国から梅雨の時期の気流に乗って飛来し、高温少雨の環境で繁殖するという。
稲の茎から水分や栄養分を吸い枯らしてしまう。今年は東海地方や西日本一帯で被害が大きく、ココに於いても起きた訳だ。
新聞記事によると、被害の大きかった2013年の被害額は約105億円だったが、今年はそれ以上と見込まれているとか。。。。。
対策は早めの刈り取りだそうだが、稲の生長具合もあり、そう簡単にはいかないらしい。

稲がどのように枯れているのか傍で見たくなって、今日はカメラを持って出かけた。被害は一枚の田んぼだけではなかった。農家さんも大変だなぁ~・・・

        (画像はクリックすると拡大する)

その後、村をぐる~と廻っていると「嫁取り橋」に来た。下ツ道を横切る珊瑚珠川(さんごじゅ川)の両岸が舗装され、橋が綺麗になっていた。以前この橋を初めて見た時はちょっと汚な過ぎて興ざめだったが、こんなに真新しくなると、又・・・勝手な事言うものじゃないよネ。(笑)
でも伝説が残る場所は訪れる人達にとってがっかりの汚なさよりは綺麗な方がいい。きれいに古びて末永く嫁取り橋の由来が語り継がれたらいいなぁ~。
     

Kさんの納屋で咲いていた「ルコウソウ」と言う名の真っ赤な可愛い小さい花が印象的だった。蔓性の植物で葉っぱはコスモスの様に細い。



カラメルソース

2020-10-12 | 日記
  10月12日(月)
秋が深まってきたのを感じる今日この頃。散歩コースのほとんどの田んぼの稲は刈り取られ、近隣の農家さんの納屋では脱穀機の音とホコリが舞っている。迷惑な話だが文句を言うのは控え、じっと終わりを待つ。お米は4ケ月程で収穫出来るんだね。
懸念していた台風14号は今朝の9時に小笠原近海で熱帯低気圧に変わったそうで、大きな被害は起きずホッとしている。

今日は、生まれて初めて挑戦したカラメルソース作りの画像を残したくこのページを開いた。(笑)
コープのZOOMクッキングに参加を先日申し込んだ。私のお目当ては「鯛めし」であったが、メニュー4種の1つ「プリン」にも興味が湧いたのである。(笑)
画像はカップ2杯の水と砂糖50gを30分近く気長に火にかけたものであるが、料理下手な私には感動の瞬間であった。(笑)
長年眠っていた駅弁の直径13cmばかりのお釜が丁度良い大きさで、何とまぁ~お釜も私も大喜び!(笑)
プリンは14日の完成が楽しみである。

日記を開いたついでにカメラに残っている最近の画像を整理しておこうかな。

コレは「洋種ヤマゴボウ」の花と黒くなる前の実である。花は何時咲くのかな?と毎年不思議に思っていたが、枝の先の方が花でよくよく見ると確かに雄しべ雌しべが確認できた。緑部分が段々大きくなって、やがて黒い実に成るようだ。
日当たりが良く成長が早かった別の鉢のはすっかり鳥の餌になってしまった。毎日飛んできた鳥の気持ちを想うとそれがこの鉢の花の宿命の様な気がして見守った。鳥の代わりに花に「ありがとう」をつぶやいた。


今年4回目に咲いた最後の1輪、よくぞ頑張ってくれました、全部で10輪以上咲いたよな。
 ( 6/9   8/2   9/2  10/6  )ゆっくり休んで来年また頼むよ。



このアオエベラは随分大きくなって長さ65cmの傘を側に立てると、ほぼ同じ高さに(97㎝)。私は花を待っているんだけれどなぁ~・・・


 14日に追記
ZOOMクッキング本番の日、鯛が大好きな私は「鯛めし」に大満足、「カスタードプリン」は焦げ加減のカラメルソースで大人の味だとか。(笑)

「白菜と千切り大根の即席漬け」は白菜に霜がかかって柔らかくなったら作ってみようと思う。
それから「チキンとウインナーのポトフ」、ポトフって何?
ポトフ(仏:pot-au-feu、ポトフーとも)とはフランスの家庭料理の一つで、鍋に塊のままの牛肉、野菜類に香辛料を入れて長時間煮込んだもの。フランス語でpotは鍋や壺、feuは火を示すため、「火にかけた鍋」といった意味になる らしい。ネットの美味しそうな画像も見た。


保温釜で永らく使って焦げた籠に愛着が有り捨てられずにいたけれど、この花を飾ってくれて嬉しい!このまましばらく楽しもう。(笑)
             (以上どの画像もクリックすると拡大する。)