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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

土蛙

2011-08-14 | 日記
何処から来たのか「ケロケロ君」
失礼ながら頭隠して尻隠さず。。。。。
もうかれこれ1ケ月も前の朝以来、毎朝庭に1匹の蛙の姿を見かけるようになって、今ではすっかり仲良しになってしまった私達。
アスファルトの道路から高さ1メートルあまりある我が屋の小さな庭に階段を上がって来たのかな?雨の降らない日が続いて地面がカラカラになったある日のこと、水が欲しかろうと思って、すり鉢に大きな石と川の藻を入れて、休める場所を作ってやった。
2・3日後には、なんとすり鉢の縁に止まっているのを発見!「あっ、居る居る。水を飲みに来たんだ」と嬉しくなった。

それから2・3日経ったある日蛙君は藻の中から顔を出しているではないか!
「えっ? 夕べはここで眠っていたの?」 「うん そうなんだよ。気持ちよかったよ。」 「そうか。良かったね・・・・・でも食べ物は有るの?」 「・・・・・」私は蛙が何を食べるのか知らなかった。

ペットSHOPへ聞きに行った。動く虫だと解かった。が、ソレを買って帰り冷蔵庫に保管するなんてとんでもない、出来ないぞと、そのまま家に戻り彼に相談をした。彼の意見も「いやぁ~ ×××××・・・・・」
さて困った。でも明日にはもう何処かへ行ってしまうかもしれないし、しばらく様子をみようと思った。行って欲しいような欲しくないような妙な気持ちが続いた。

数日後、なんとラッキーなことに、農協でもらった米ぬかの残りに小さな虫が動いているのを発見!早速彼に頼んだところ、「さぁ・・・食べるかどうかな?」と言いながらも試みてくれた。ピンセットに飛びついた。美味しそうに食べた。もっと頂戴と待っていた。野性の蛙が人を恐れず、まるで犬や猫のように気持ちが通じるなんて。。。。。
              (画像はクリックすると拡大する)

すり鉢池の横にはツワブキやミズヒキソウが植わっているのであるが、今年はバッタが大繁殖して葉が食べられている。バッタを駆除するのは可哀想だしどうしたものかと思案していた矢先、不思議が起きた。神様はツワブキに悪害をもたらすバッタと蛙を蜘蛛を仲介にして遭遇させられたのである。

かわいそうにバッタの赤ちゃんが蜘蛛の巣に引っかかっているのを見つけた私。とっさに閃いた!蜘蛛の餌食にされるのなら、蛙の餌になってくれるだろうか。蜘蛛はとても小さくて怖くはなかったのを幸いに、長い棒切れでくるくると回しソレを蛙君の目の前で吊り下げてみた。
間髪を入れず蛙君はバッタの頭にかぶりつき、ぐっぐっと飲み込んで胃に送り込んでしまった。その見事な早業はまるで巧妙な蹴り技を見せる試合を観戦しているかのような錯覚を起こさせそうだった。感動もさることながら、弱肉強食の厳しい現実に手を差し伸べた自分にちょっと罪悪感を感じたよ。
「ゴメンネ バッタ君。君たちの仲間の報いをひとりで背負ってしまったね。」

私の気持ちの諸々を知ってか知らずか、今日も昼間の暑い最中、散歩の後の休憩にすり鉢池で寛ぐ蛙君の姿があった。
   

ひるがの高原

2011-08-09 | 日記
8月4日(木)
郡上八幡の旅2日目。昨夜の疲れも癒され、朝9時、宿を出た。
先ずは郡上城へ。この暑さの中、海抜354mの登り坂を歩くのはかなり厳しいし、自転車も無理なので車となった。

郡上八幡は山内一豊の妻・千代にゆかりのある地ということで、二人の立派な銅像が建っていた。詳しい歴史はさて置き、山内一豊に関しては初代の土佐藩主、千代に関しては郡上城の初代城主・遠道盛数の末娘だそうだ。
千代の内助の功のエピソードは、子どもの頃に父からよく聞かされたものだ。。。。。
像の横を通り坂を上がっていくと立派な石垣があり城門へと続く。明治維新の廃藩置県後に廃城となったが、昭和になって再建されたという木造の天守閣は大変綺麗で気持ちよく見学できた。最上階からは長良川や東海北陸道の高架が見えていい眺めを楽しむことができた。
                 
                            (画像はクリックすると拡大する)

ココまでの郡上八幡見物に満足のできた私。今日は彼の望みに時間を譲った。
阿弥陀ケ滝を見たい。ひるがの高原分水嶺も見たいし近くの湿地はどうかな?というので足を伸ばした。

阿弥陀ケ滝は落差約60m、幅約7mの比較的大きな滝で日本の滝百選の一つ。とても涼しかった!気持ちよかった!「来てよかったね」と言いながら山道を下って行くと流しそうめんの立て札があり、“イワナの刺身有りと”書いてあった。是非賞味したいと行ってみると、「今日は有りません」と言うではないか。がっかり。それなら消しておきなさいよ、と言いたい気持ちを抑えてお昼前だったので、とりあえず流しそうめんでもということになった。座ってみるとコレがなかなか良かった!設備も良く衛生的で、綺麗な水に流れるそうめんは冷たく大変美味しかった。沢山食べた。満足満足!

次はひるがの高原、時期的にゆり園に入ってみた。
誰が数えたか360万本のゆりとは!昨年出かけたびわこ箱館山ゆり園と同系列らしい。中でも小学生が作ったという花壇では今を盛りと綺麗に咲いていた。こういう体験をした子は心に何か優しい大きな思い出を残しているだろうなぁ~・・・・・

分水嶺って何?私には聞いたことも無い言葉。彼曰く「雨水が違った方向に流れる境界」だと教えてくれた。
説明の地図があり、一方は富山湾・日本海へ一方は伊勢湾・太平洋へということで、ソコが日本の中心になることが解かった。
湿原は春にはミズバショウなどいろいろな花が見られるそうだが、今は花の数は極少なかった。それでもシオカラトンボや蝶は、じりじりと照りつける真夏の太陽を浴びながら元気に飛んでいた。
            
     
来て見て納得した彼。以上でタイムアウトとなり鍾乳洞はカット。高鷲(たかす)ICから東海北陸道を走って郡上市街に戻り、カキ氷を食べて、レンタカーを返して終ることにした。郡上の綺麗な水でカキ氷も美味しく感じたよ!(笑)


帰路は1日1本の高速バス(白川郷から名古屋まで)を利用。
郡上発午後5時12分、名古屋まで約1時間45分乗った。そして名古屋からはアーバンライナーで。マイカーでなくてもこんなにも楽しめたことに二人共満足して、ひいきのお食事処で、いい旅に乾杯!


郡上八幡

2011-08-05 | 日記
この季節、夏祭りが各地で始まっている。
一昨日、水とおどりの城下町・郡上八幡に出かけた。

  8月3日(水)
長良川鉄道に乗りたくてマイカーを家に残し、先ずは京都に出て新幹線で名古屋へ。東海道本線に乗り換えて岐阜へ。そしてJR高山線で30分、美濃太田駅へ。それから長良川鉄道に乗るのである。
何とたった一両編成の赤いディーゼル車!コレを見ただけで気分は上昇。乗り換えのある旅なんてとんでもないと考えていたはずの私なのに、この度は何の苦痛も感じなかったよ。(笑) 電車は約80分、長良川に沿ってゴトゴト走って郡上駅に着いた。車窓から沢山の釣り人を見た。さすが清流!鮎等川魚が沢山釣れるのだろう。
このローカル線は美濃太田から北濃まで全部で37駅のところ、郡上八幡は25番目で距離にして46.9キロ、運賃1320円也。本数が少ないのでココのダイヤに合わせて早朝家を出たのである。11時7分郡上駅に着いた。

地図を片手に、今町を経て新町に来て『やなか水のこみち』に入った。玉石が綺麗に敷き詰められていた。柳の木が風に揺れ、噴水の水音が心地よく耳に響く。夏休みで子どもが紙コップで魚を追っかける姿もあった。水路の水はとても綺麗!家々の前を流れている用水路の水も勿論綺麗だった。

今夜の宿・磨墨にリュックを下ろさせてもらって軽装で街の散策を始めた。本町の表通りから細い石畳の路地を下ると名水百選の1つ宗祇水(そうぎすい)があった。名の由来は室町時代の連歌(れんが)師・飯尾宗祇と言う人がこの近くに庵を結んでいたことによるらしい。因みに連歌とはある人が五・七・五(長句)を読むと次の人が七・七(短句)を詠み、又次の人が五・七・五と詠み継ぐ、長句と短句を交互に詠み継いで一つの詩を作っていくというものだそうだ。昔の文人の遊びにゆったりした時代の流れを感じるなぁ~。

さてさて、宗祇水は写真にあるように水神様の祠の下の湧き水は「水舟」という利用の順序があって、一番上は飲料水、次は米等の洗い場、次は野菜等の洗い場、次は桶等の浸け置き場となっているらしい。町歩きを楽しんでいられるお父さんらしき人が息子らしき男の子にそう説明していられるのを聞いた。なるほど。。。。。


『いがわこみち』も投稿しておこう。
100メートルは優にある細長い水路は流れも比較的速い清流だ。黒や赤や金色の大きな鯉が気持ちよさそうに泳いでいた。この鯉は水の神様の御使いとされ捕獲は禁じられている。
水路沿いに建つ家の住人がジョウロに水を汲んでいかれた。庭の花に水遣りをされているのだろうか。水路と郡上の人々の日常生活の清々しい1コマを垣間見た思いがした。
「綺麗な水」で今も繰り返し思い出すのだが、お豆腐の田楽やあまごや鮎の塩焼きの実に美味しかったこと美味しかったこと!!

水飲み場が所々にあった。喉が渇けばそこで立ち止まり水分補給ができる。酒屋・味噌屋その他いろんなお店を覗き、休憩にお団子を食べながら吉田川の水際で鮎つりを見たり、旧庁舎や観光協会に並べられている物産や小物を見て廻り、お気に入りの布ぞうりが3つも買えて嬉しかった。夜の郡上おどり見物に出かける下駄を一足とも思ったが、宿の下駄が借りれるというのでとどまった。

郡上踊りは国の重要無形文化財。
8月13日から16日、4日間の盂蘭盆・徹夜おどりは誰もが知るところであるが、7月9日から9月3日までの決まった30夜、縁日踊りが繰り広げられるというのである。この日は「およし祭り」が下殿町で行われた。
提灯に灯が点り三味に太鼓に笛の音が鳴り出し、下駄の音が聞こえてくると、浴衣姿の綺麗なお姉さんが目の前を通って行った。粋な男衆も数人。次第に屋形の周りには沢山の人が集まり開始時間となった。「♪郡上のナ~八幡 出て行く時は~♪」踊り子さんのフリを見ているとだんだん心が踊り出し、全く踊れないのに「かわさき」、これならかろうじて付いていけるかなと輪の外側で上手な人の後ろにぴったりついて手足を動かし始めた私。そしてついに最後まで。。。。。

                         (画像はクリックすると拡大する)

8時から10時半、かなり消耗して少しは痩せたかも???踊りは他に「春駒」等五種類ほどあった。なんといっても下駄の音がいい!慣れてきた頃にはおしまい。でも楽しかった。踊る手と手が当たり「ゴメンなさい」と言うと地元の方はご親切で、ぎこちなく手足を動かしているだけの観光客の私に、どうぞと手招きで輪の中へ入るように促して下さった。ありがとうございました。