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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

2020年 年の瀬

2020-12-27 | 日記
  12月27日(月)
コロナ コロナで明け暮れた2020年も後4日。
今日の朝刊に世界の感染状況は8000万人に迫る、と載っていた。26日夜時点で累計数は約7990万人だったようで、一日の新規感染者が50万~90万人というから達するのは時間の問題だ。確かに日本に於いても同様、東京都では同日新規者数949人で過去最多を更新、各県も最多更新連続中である。左の画像は14日のテレビ画面。 (画像はクリックすると拡大する)
それに加えて、イギリスにコロナ変異種が発生して26日 日本でも感染者が見つかったという。この変異種の感染力は非常に強いとか。。。。。医療崩壊懸念が盛んに叫ばれている。

明日28日から1月11日まで「GoToキャンペーン」は停止、各国への渡航禁止、外国人の入国も来年1月末まで止められた。一体どうなる?100年に1度の大危機を乗り切るにはまだまだ時間がかかりそうであるとの事。

お正月は皆それぞれお家で祝う事になるので、我々も遠い家族と「ZOOMおめでとう!」をすることに決めた。画面を大きくしたくてDHMIケーブルを取り出しTVと繋げるつもりで準備OKである。(笑)
コロナの恐怖はちょっと横に置き、落ち着いた静かなお正月も良しとし、気持ちだけは清々しく過ごそうと思う。
年末年始は寒波到来でこちらにも雪が降るかもらしい。庭の片隅で未だずっと咲き続けて頑張っているこの健気な花の処分はもう少し延ばそうかなぁ~。

「 はやぶさ2」のニュース

2020-12-07 | 日記
  12月6日(日)
素晴らしいニュースが報じられた。
昨日5日午後2時頃に、日本の無人小惑星探査機「はやぶさ2」から切り離されたカプセルが、小惑星リュウグウの地下物質を載せて今日午前3時頃に無事オーストラリアのウーメラ砂漠に着陸したそうだ。

そうそう、リュウグウとは地球と火星の間を回る地球から3億キロメートル離れた小惑星で日本人が付けた名前。(2010年日本が人類初めて月以外の天体に着陸した小惑星の名は「イトカワ」だったよな。)
神奈川県のJAXA(日本宇宙航空研究開発機構)によると、《カプセルは地球から約22万キロメートル離れた宇宙空間で「はやぶさ2」から分離され、秒速12キロメートルで大気圏に入り、約3000℃という大気圏の熱に耐え、地球圏に入るとパラシュートを広げて着陸した》そうだ。

重量16kg、直径40cmのカプセルにはロボットを活用して採取された石など0.1グラムが入っているという!!!!!
石に含まれる有機物や水などの本格的な分析から生命の起源が解ってくるかもという期待がかけられている。

「はやぶさ2」が種子島宇宙センターから打ち上げられたのは6年前の2014年12月3日だったとか、(飛行距離約52億キロメートル)
そして、このような貴重な偉業を成し、「はやぶさ2」はカプセルを分離した後 軌道を変えて2031年に着陸予定の別の「1998KY26」と呼ばれる小惑星に向かって飛んでいったという!!!!!
この「1998KY26」小惑星は、直径30メートルほどで、地球と火星の間を回っていて、およそ10分で1回という高速で自転していることが分かっているとか?????

宇宙のロマンは果てしなく。。。。。。。
限りなく難しい事はさっぱり解らない私でも、来年の何らかの発表が楽しみだなぁ~。
ネット動画からもらった余りにも美しい火の玉の画像とJAXA提供の砂漠で回収された瞬間画像が強烈に印象に残る。  (クリックすると拡大する→)
                                                                      














郡山城外堀ウォーク

2020-12-06 | 日記
  12月6日(日)
コロナ禍で開催されるかどうか心配していた「郡山再発見ウォーク」は、参加人数62人、5班に分かれて午前9時元気よくスタートした。
一度は歩いてみたかった郡山城の外堀一周、今日はからりと晴れてウォーキングには絶好の日和であった。
本日のコースは外堀北半周コースと言うことで、JR郡山駅~広島池~小川町浦池~尼ヶ池~近鉄郡山駅であった。

豊臣秀長、秀保の後に五奉行の一人であった増田長盛(ましたながもり)が入城(1595年)して造られた全長5.5kmの外堀は、400年以上経て今や所々にその痕跡が残るばかりであるが、確実に把握できるので歴史的遺産となっている。
下段左端の画像は江戸安政(1854~1860)の「安政年間 和州郡山藩家中図」である。内堀・中堀・外堀で囲まれた郡山城下の町家と武家屋敷の位置が分かる。武家屋敷には住んでいるいる武士の名前が書かれている。

      (画像はクリックすると拡大する)

①JR郡山駅→②外堀緑地公園(平成9年)→③大日本紡績郡山工場跡(明治26年~昭和39年)→④宮本上池(城廻線街路にする工事中)→⑤高付上池(外堀の内側に築かれた土塁や赤焼・真焼の常滑焼土管を繋いだ排水施設が発見された)→⑥九条大路跡(平城京の南端、羅城門跡へ続く)→⑦鍛冶町大門跡(参勤交代の折、殿様をお迎え、お見送りした)

            

→⑧広島下池、上池(秋篠川の流れを変えて外堀に利用、お土居の松)→⑨広島浅池→⑩小川町裏池
             
  
→⑪お助け地蔵(北向き地蔵)→⑫正願寺上池(西側には土居の竹藪が残っている)→⑬代官池(代官町の由来:本多政勝が代官の武家屋敷を13軒増設して住まわせた)

         

→⑭鴫ケ池(シギガイケ ため池の半分を掘に利用、地蔵堂が在る)→⑮番鐘池(ため池の半分を掘に利用、現在は住宅地)→⑯尼ケ池下(番鐘池と尼ケ池を結ぶ細長い堀)→⑰尼ケ池(秀長が大織冠の社を遷す際に掘り除いた跡)→⑱蛇ケ池尻(竹藪が残る)→⑲蛇ケ池跡(現在は宅地化) 
                 
  
本日の堀めぐりはココ迄、数々の新しい発見にワクワクしながら歩いた3時間であった。
特に心に残ったのは堀が城廻線街路になる工事中を見た事、番鐘池から尼ケ池下まで続く広大な金魚池を見た事、そして水鳥が遊ぶ尼ケ池は1588年秀長が大織冠の社を談山神社から遷す際に地形の用として土を取り除いて出来た跡だと聞いた事。

大織冠の社とは豊臣秀長が多武峰談山神社(たんざんじんじゃ)から勧請(かんじょう)し、大織冠鎌足神社を大和郡山城の鎮守社としたもの。このとき、談山神社の大織冠御影もこの社に移されたが談山神社衆徒より帰山運動が起こり、2年後の天正18年秀長が病に倒れたのは大織冠遷座の祟りとされたことから、秀吉が談山神社に戻したという。
蛇足ながら藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が天智天皇(大化の改新前:中大兄皇子)から与えられた最上位の冠位でもある大織冠は郡山城の西、大きな楠(樹齢500年)がある辺りの地名(大職冠)として残っている。
蛇ケ池尻跡の近くに在るらしい大和郡山市の現在の大職冠鎌足神社を訪ねてみたくなったなぁ。
   
        ☆ ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ★ ☆ ☆ ☆   


帰り、途中下車して南部公民館に立ち寄り、お誘いを受けた催し「12月こども食堂 クリスマス チャリティーパーティ」を覗かせてもらった。
最近よく耳にする「こども食堂」と子供達と一緒の「クリスマスパーティー」に興味があったのである。遊びのゲームは大学生らのお手伝いで会場の子供達は大喜び、大人達も硬い頭で一生懸命考えて夢中になっていた。

         色んな企業、団体、個人からの寄付による米や肉や野菜etc.でボランティアの方々が作られたカレーライスはとても美味しかった。お腹いっぱいにさせてもらって嬉しいやら申し訳ないやら、無駄を省いて「こども食堂」に届けられる物を探そうと思った。
ありがとうございました。

入館時の手指消毒、マスク着用は勿論、個々に三密を避け食事中もフェイスシールド着用で感染予防対策はきっちりと行われていた。





平城京左京三条二坊宮跡庭園

2020-12-03 | 日記
  12月3日(水)
えっ?何何??「 平城京左京三条二坊宮跡庭園」と言う名の特別史跡・特別名勝が奈良県に在ったの!?
こちらの庭園は昭和50年に行われた発掘調査によって発見され、復元工事・改修工事が成され、今年(令和2年)6月に完成公開となったようである。
通りでこのような庭園が在ったのに驚いたのも当然なんだよな。(笑)

〇京△条◇坊と言えば奈良時代にタイムスリップして、一条から九条の付く地名が浮かんで来る。
奈良は京都の様に北から南へ順番に並んでいるわけではないが、羅城門から朱雀門まで続いた朱雀大路(南北約3.7km、路面幅約70m)を説明する時に利用するのがこの簡単な絵地図である。そうか この辺が左京三条二坊なのかと、今改めて・・・・

近鉄線新大宮駅から徒歩10分と言われても私の足では20分、バス停の目の前に庭園の入口があった。沢山の枯葉が一度にサラサラサラと音を立てて舞い落ちてきた。
園には落ち葉掃除をされている人以外誰も居なかった。

      (画像はクリックすると拡大する)

平城宮の離宮または皇族等の邸宅(宮)であった可能性もあり「宮跡庭園」(みやあとていえん)と名付けられたそうである。東院庭園とは雰囲気が少々違って、園池の形はS字状に太く大きく屈曲し、大小様々な沢山の石組で囲まれ、水の流れに勢いがあった。
園の北側大宮通りの向かい側はミ・ナーラ等のビルが建ち並んでいるので景観はちょっとガッカリだが、三方は植樹と板塀で囲まれ朱色の復元建物が1つと地面に井戸跡や3つの建物跡が表示されていた。
スリッパに履き替え建物の中に上ると、庭全体を見下ろせた。  

            

特に私の目を引いたのは池の北端にある2つの柱穴の間を通る、木で造った管・木樋(もくひ)である。(笑)
水はこの管を通り池に入れられていた様で、長さ5m程見学できるようになっていた。
それと もう1つ、水生植物を育てる木製枡(ます)が池の中に置かれていた事、今はレプリカのプランターでその位置を示していた。古代の人も観葉植物を楽しんでいたんだよな。

        

時代は変わっていく、人々の生活も変わっていく、今の私達の時代が300・400年後にはどんな形で伝えられるんだろう・・・
ベンチに腰掛け持参の温かいお茶を飲みながらそんな事を考えた。