やまと郡山城ホール内にある図書館のお話室で毎月行われている「郡山かみしばい劇場」が今回は図書館を飛び出して常福寺(柳4丁目)で上演されると聞いて出かけた。
今年で第5回目になる『大和な雛まつり』(2016年2月20日~3月6日)は大和郡山市の寺社、町屋、店舗etc.130ケ所でお雛様が展示される他に、「音deつなぐ 大和な雛まつり」と題して12ケ所それぞれの会場で様々なイベントが催されるようだ。「音でおもてなし」としてボランティアグループ〝雛祭り推進委員会”の企画に依るものらしい。2012年に彼と巡った時以上に進展してきたなぁ~。
2月21日(土)
午後1時前、「大和な雛まつり てくてくMAP」で初めて知った常福寺に着く。拍子木の懐かしい音が聞こえて親子連れがお寺の門を次々にくぐって行かれる姿を見た。
門をくぐると懐かしいお顔に会えてうれしかった。メンバーから退かせてもらって早や一年、活気ある若いお顔ぶれが増えていた。
広い立派な本堂には沢山の人達が集まっていられ、熱気があふれていた。
プログラムは1部と2部の2本立てで夫々に3つの紙芝居とエプロンシアターやパネルシアターそれに「うれしい ひなまつり」の歌をみんなで歌う等とても楽しい構成になっていた。
(画像はクリックすると拡大する)
私は「郡山かみしばい劇場」の方々が手作りされた作品『嫁とり橋』の初めてのお披露目というので是非拝見・拝聴したかったのである。
2014年9月12日「沿線散歩」で渡った、大和郡山市八条町の伝説に由来する「嫁とり橋」がテーマになっているというので期待が大きかった。絵も文章も素敵で、作品作りにいろいろ苦心されたチーフNさんの夢が見事に花開いたようだ。「郡山かみしばい劇場」の大切な宝物、完成おめでとうございます!心から拍手喝采させてもらいます。
話変わって、この時期せっかくなので昔のお雛様をもう一度観たくなって、常福寺をあとに葉本家まで足を運んだ。
伝統ある旧家のお雛様は別格だ。こちらの御殿飾りは明治時代の物らしいが、立派で人形の配置が珍しい。それにお家の建物は有形文化財に登録されているらしい。屋根の形状に特徴があって、普通私達の家の屋根は真っ直ぐな直線屋根であるが、こちらは「むくり屋根」と言われる やや膨らんだ丸みのある曲線になっている。逆に反っている「そり屋根」は神社仏閣で当たり前の感覚で見慣れているよな。
「むくり屋根」は由緒ある商家の象徴らしいが、やはりこちらもそのようで、大屋根の下に造られた〝つし”と呼ばれる壁部分にはめ込まれている虫籠窓(むしこまど)には両替商のしるしである分銅の紋が有った。
他にも普段目にする事が出来ない様な華やかで美しい品々を沢山見せていただけるので、必見の展示所・町屋である。
メイン会場である昔の遊廓跡旧川本邸で今年更に人気を呼ぶであろうという「流し雛」を見たくて立ち寄った。
大正13年に建てられたという3階建ての建物の中を見学するだけでも価値有りである。大階段のお雛様は勿論であるが、私は華やかで素晴らしい「吊るし雛」と玄関の上がり壇に置かれたお雛様に思わずうっとり・・・・・このお雛様は昭和42年の物で比較的新しいが、お顔が気品の備わった可愛さで とても印象深い。
流し雛は一部屋全体に仕立てられた庭を横切る川に、なんと筏に乗ったお雛様のダイナミックな川下りが表現されていた。個人の穢れや災いを祓うというよりも もっと大きい組織や国の災厄を祓う願いを込めてもいい様な流し雛であった。桟俵(さんだわら)に乗せたお雛様を川に流して行われている流し雛の光景をテレビで見た記憶が新しい。流し雛の風習はいつ頃から何処で発祥したのかなぁ。
米沢酒店では 昨年蔵から見つかったという150年前の古今雛と呼ばれるお雛様が展示されていた。江戸時代の明和年間(1764~71)裕福階層の人達が好んだお雛様らしい。それに、それよりやや新しくなるのかな、源氏枠飾りと言う、御殿飾りの天井を取り外した雛飾りも置かれていた。そして市松人形男の子が入った箱書きには安政七年 庚申の銘があった。安政と言えば江戸時代。江戸時代は1603年慶長八年に戦国大名徳川家康から始まって、1867年慶応三年に将軍慶喜が大政奉還するまでだから、安政七年の1860年は江戸の末期、「桜田門外の変」が起きた年らしい。歴史に詳しい人には大老井伊直弼の名がすぐに思い浮かぶことだろう・・・
歴史に疎い私もこちらのお雛様で勉強させてもらったよ。(笑)
という事で、今日は紙芝居から始まり素敵な色々なお雛様を見せてもらって心の和む楽しい時間を過ごせた。痛い足を引きずりながら電車に乗って来た甲斐充分で大いに満足。
前回は源九郎稲荷神社や料理旅館尾川や杉山小児科医院のお雛様も見せていただいて感動したのを覚えているのだが、時計を見ると午後4時タイムアウトで時間的に余裕がなかった。。。。。
家に帰って我が家のお雛様の前に座わり、改めて娘たち家族の幸せをお祈りした。。
今年で第5回目になる『大和な雛まつり』(2016年2月20日~3月6日)は大和郡山市の寺社、町屋、店舗etc.130ケ所でお雛様が展示される他に、「音deつなぐ 大和な雛まつり」と題して12ケ所それぞれの会場で様々なイベントが催されるようだ。「音でおもてなし」としてボランティアグループ〝雛祭り推進委員会”の企画に依るものらしい。2012年に彼と巡った時以上に進展してきたなぁ~。
2月21日(土)
午後1時前、「大和な雛まつり てくてくMAP」で初めて知った常福寺に着く。拍子木の懐かしい音が聞こえて親子連れがお寺の門を次々にくぐって行かれる姿を見た。
門をくぐると懐かしいお顔に会えてうれしかった。メンバーから退かせてもらって早や一年、活気ある若いお顔ぶれが増えていた。
広い立派な本堂には沢山の人達が集まっていられ、熱気があふれていた。
プログラムは1部と2部の2本立てで夫々に3つの紙芝居とエプロンシアターやパネルシアターそれに「うれしい ひなまつり」の歌をみんなで歌う等とても楽しい構成になっていた。
(画像はクリックすると拡大する)
私は「郡山かみしばい劇場」の方々が手作りされた作品『嫁とり橋』の初めてのお披露目というので是非拝見・拝聴したかったのである。
2014年9月12日「沿線散歩」で渡った、大和郡山市八条町の伝説に由来する「嫁とり橋」がテーマになっているというので期待が大きかった。絵も文章も素敵で、作品作りにいろいろ苦心されたチーフNさんの夢が見事に花開いたようだ。「郡山かみしばい劇場」の大切な宝物、完成おめでとうございます!心から拍手喝采させてもらいます。
話変わって、この時期せっかくなので昔のお雛様をもう一度観たくなって、常福寺をあとに葉本家まで足を運んだ。
伝統ある旧家のお雛様は別格だ。こちらの御殿飾りは明治時代の物らしいが、立派で人形の配置が珍しい。それにお家の建物は有形文化財に登録されているらしい。屋根の形状に特徴があって、普通私達の家の屋根は真っ直ぐな直線屋根であるが、こちらは「むくり屋根」と言われる やや膨らんだ丸みのある曲線になっている。逆に反っている「そり屋根」は神社仏閣で当たり前の感覚で見慣れているよな。
「むくり屋根」は由緒ある商家の象徴らしいが、やはりこちらもそのようで、大屋根の下に造られた〝つし”と呼ばれる壁部分にはめ込まれている虫籠窓(むしこまど)には両替商のしるしである分銅の紋が有った。
他にも普段目にする事が出来ない様な華やかで美しい品々を沢山見せていただけるので、必見の展示所・町屋である。
メイン会場である昔の遊廓跡旧川本邸で今年更に人気を呼ぶであろうという「流し雛」を見たくて立ち寄った。
大正13年に建てられたという3階建ての建物の中を見学するだけでも価値有りである。大階段のお雛様は勿論であるが、私は華やかで素晴らしい「吊るし雛」と玄関の上がり壇に置かれたお雛様に思わずうっとり・・・・・このお雛様は昭和42年の物で比較的新しいが、お顔が気品の備わった可愛さで とても印象深い。
流し雛は一部屋全体に仕立てられた庭を横切る川に、なんと筏に乗ったお雛様のダイナミックな川下りが表現されていた。個人の穢れや災いを祓うというよりも もっと大きい組織や国の災厄を祓う願いを込めてもいい様な流し雛であった。桟俵(さんだわら)に乗せたお雛様を川に流して行われている流し雛の光景をテレビで見た記憶が新しい。流し雛の風習はいつ頃から何処で発祥したのかなぁ。
米沢酒店では 昨年蔵から見つかったという150年前の古今雛と呼ばれるお雛様が展示されていた。江戸時代の明和年間(1764~71)裕福階層の人達が好んだお雛様らしい。それに、それよりやや新しくなるのかな、源氏枠飾りと言う、御殿飾りの天井を取り外した雛飾りも置かれていた。そして市松人形男の子が入った箱書きには安政七年 庚申の銘があった。安政と言えば江戸時代。江戸時代は1603年慶長八年に戦国大名徳川家康から始まって、1867年慶応三年に将軍慶喜が大政奉還するまでだから、安政七年の1860年は江戸の末期、「桜田門外の変」が起きた年らしい。歴史に詳しい人には大老井伊直弼の名がすぐに思い浮かぶことだろう・・・
歴史に疎い私もこちらのお雛様で勉強させてもらったよ。(笑)
という事で、今日は紙芝居から始まり素敵な色々なお雛様を見せてもらって心の和む楽しい時間を過ごせた。痛い足を引きずりながら電車に乗って来た甲斐充分で大いに満足。
前回は源九郎稲荷神社や料理旅館尾川や杉山小児科医院のお雛様も見せていただいて感動したのを覚えているのだが、時計を見ると午後4時タイムアウトで時間的に余裕がなかった。。。。。
家に帰って我が家のお雛様の前に座わり、改めて娘たち家族の幸せをお祈りした。。