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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

「ノルディックウォーク」開始

2016-05-27 | 日記
今月24日にメダカの赤ちゃんが2匹生まれた。次々に誕生するであろうこれからの毎日が楽しみだ。又、ここ2・3日に透かしユリとムラサキツユクサが咲き初め、美しい。
透かしユリの透かしについてミニ知識を得た。花弁の付け根部分が細くなっていて隙間があるからそう呼ぶらしい。ふぅ~ん。
そして、これは多年草だと初めて知った。佐渡ケ島で10年程前にユリが好きな彼の提案でなにげなく買って帰った球根?だが、なんとまぁ~この鉢で確り根付き毎年咲いてくれるのが不思議だった。今年こそ一度掘り起こしてみようかな。
一方このムラサキツユクサは、昨年の夏、野原の雑草に埋もれて斜めになって苦しそうに咲いていた花。もうじき除草車が来て雑草と共に刈り取られるんだよな、可哀想で持ち帰ったところ、今年は背丈が90cm程に伸びて見事に咲いた。私が目覚めた時には既に咲き揃い正午過ぎには行儀よく閉じている。毎日その繰り返しで、何と健気な慎ましい花か!愛おしい限りである。人間にはこのような生き方はなかなかできないよなぁ~。でも何かしら学ぶべきところが有りそうな気がする・・・・・・・

            (画像はクリックすると拡大する)
 

  5月27日(金

兼ねてより関心のあった「ノルディクウォーク」、先日22日に講習を受けてやっと初めてポールを握る事になった。鈍な私なのでちょっと不安があるけれど嬉しい。
24日にポールを買って今朝、雨上がりの堤防で実践した。小鳥たちの鳴き声を耳に爽やかな風を感じながら美味しい空気を吸って川岸に咲くアザミを見て、川面で遊ぶ鴨の親子を見てふと立ち止まる。いやぁ真っ直ぐ前を見て腕を軽く後ろに引いて歩くんだったよな。(笑)練習練習。。。。。

膝の痛みは体の歪み、ゆっくりでいい気長に練習して正しい歩き方を身につけて足に優しく歩けるようになりたいと思う。3日坊主にならない様にエクセルで歩数管理表も作った。
それでは頑張るぞ!いざ出発。ちなみに今日は1801歩。距離にして1.1kmばかり。上手になったら3kmは歩きたいなぁ~。


 G7伊勢志摩サミットが26日から開催され、今日の閉幕後オバマ米大統領が広島を訪問され、原爆慰霊碑に献花されたようだ。   

保津川下り

2016-05-06 | 日記
そうそう4月29日は「昭和の日」だったよな。この昭和の日から数えて5月8日まで上手に休みをとると10連休!さて何をして過ごそうかな・・・痛い足を撫ぜながら考えていると、3日と4日小学生の子ども一人を連れて娘が帰って来ることになった。現代っ子は忙しく他の孫達の帰省は無理。限られた2日間を有意義に過ごしたいと考えて、3日は彼が付き合い世界遺産の薬師寺と唐招提寺へ。4日は私も頑張って歩く決心をして京都へ一緒した。

3日の日の3人をちょっとメモっておこう。
国宝の薬師寺東塔は2009年から解体修理が始まっていて目下工事中である。完成は2018年とか。前回は明治の1898年に行われていて110年ぶりになるらしい。是非一度は確認したい塔の先端にある水煙の飛天像の透かし彫りは、望遠鏡持参で次回のお楽しみだね。(東僧坊には実物大の模型はあるけれど・・・)
食堂(じきどう)の再建工事もこの四月から始まったそうで完成は来年の5月とか。折しも「一文字写経瓦」の寄進の受付があって、彼は孫に筆を持たせたそうである。食堂の屋根瓦に自分の名を残せる孫にはきっといい思い出になるだろう。じいちゃんありがとう。

孫は学校で鑑真和上の生涯を習ったらしく、唐招提寺で鑑真和上像を見たいと言っていた。けれど御影堂が開扉されるのは6月5日~7日だ。それでもレプリカを見て、御影堂供華園(みえいどう・くげえん)に咲く瓊花(けいか)の花を見れて良かったね。鑑真和上の故郷である中国・揚州の花で隋の皇帝によって以来門外不出とされている貴重な花だそうだね。
一方、娘は千手観音の手の多さに驚いたという。そうだよな、普通は千本もないけれどこちらの観音様にはありそうだもの。

  5月4日(水)
昔、友人と体験した『保津川下り』であるが、記憶も薄れていたので久々に嬉しかった。
JR山陰・嵯峨野線の嵯峨嵐山に下車して、隣接の嵯峨野観光鉄道・トロッコ嵯峨駅から午前9時7分発のトロッコ列車嵯峨野1号に乗った。25分程でトロッコ亀岡駅に、そしてそこからバスで15分保津川下り乗船場に着き、午前10時発の定期船に乗った。とココまで書けば簡単だがトロッコ列車の5号車「ザ・リッチ」乗車券の確保には一苦労があった。
先ずトロッコの乗車券を旅行会社(JRみどりの窓口でも可)で買っておいて、「ザ・リッチ」車両に乗りたい人は当日乗車券売り場の窓口で交換となるのであるが、早い者順である。窓ガラスを取り払い床も側板も透けているオープン車両の座席は多くの人が望むところであろう。勿論当日切符売り場で乗車券は買えるわけだが全席指定なので人出が多い紅葉シーズンやこのような連休には事情が分からずうっかりしていると嘆く結果になるようだ。
        (画像はクリックすると拡大する)  

4人は早起きして行動を開始したので、「ザ・リッチ」座席で五月の爽やかな風を体感しながら渓谷の新緑を満喫でき、本当に良かった。
トロッコ駅はトロッコ嵯峨→トロッコ嵐山→トロッコ保津峡→トロッコ亀山で、キョリにして7.3kmらしい。山陰線が通る小倉山トンネルの入り口を目の前にした時、誰もがあの和歌を一緒に口ずさんでいたと思う。
      をぐらやま みねのもみぢば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなむ (藤原忠平)〔百人一首 026〕
見事に美しい紅葉の景色を醍醐天皇にもお見せしたいので行幸が間もなくであるからそれ迄このまま待っていておくれ、と小倉山(296m)の峰の紅葉ばに語りかけているらしい。709年の作というから小倉山の紅葉の歴史は1300年以上でスゴイよな。船頭さんも川下りで小倉山を指さしながらそのように解説しておられたが、この辺りの秋はどんなにか素晴らしい景色になるのだろう。

次の停車駅になるトロッコ保津峡の手前から川が右手に見えるようになって、あら嬉しやな!
川には白い鉄橋が架かり、プラットホームには狸が並び、鐘のぶら下がる柱が立ち、大きな鯉のぼりが飾られ、古びた小屋の様な駅舎(待合室)が在った。
駅舎の中に2人の姿があった。白い橋を歩かれるのかな?橋の上に立って渓谷を眺めたらさぞかし素晴らしいだろうし、紅葉を想像するとあの歌を詠まれたのが納得できるのだろう・・・と思った。
一隻の舟が川を下って行った。うわぁ~ いいなぁ~。こうして気持ち良い数分間を楽しんでいると亀岡に到着。

          


いよいよ川下りのスタートで視界が変わった。
3人の船頭さんが交代で、「掉さし、「櫂」、「舵」を務められる。ちなみに「掉さし」(さおさし)というのは細長い竹竿で岸辺や水底や岩につっぱって舟を流れに乗せて加速させるそうである。「櫂」(かい)というのは水を掻いて舟を進める道具で、私達もボートに乗って櫂をこいだ経験があるよな。「舵」(かじ)というのは舟尾に取り付けられていて舟首の方向を定める物で、3つの中で操るのが一番難しいそうだ。右の画像は保津川漂流パンフをスキャンさせてもらったものだが、3人の船頭さんを確認したい。

筋力の逞しいお3人、「皆さんはお金を払ってジム通いをしているでしょうが、我々はお金をもらって体力つくりをしているんですよ。ワッハッハ!」と冗談を言って乗客を笑わせてくださった。

重さ1トン余りの舟に乗客の体重の合計が加算される。制限人数は27人でも重い大人が多いと当然重くなる。エンジンを使わず人力だけで約16kmを人命を預かって運ぶわけだから、心身ともに大変なお仕事である。雨が降った後は川の水量が増して、大小の岩の見え隠れ加減や流れの早さも変わり危険度は違ってくるはず。我々はただ自然の景色と水しぶきが上がる瞬間のスリルを楽しんでいるだけだが・・・・・
烏帽子岩、鏡岩、獅子岩、書物岩etc.といろいろに名付けられた岩に振り向き、ある時は可愛らしい山のお猿を見つけて歓声を上げたり、掉さしの船頭さんが流れに段差のある場所で鮎の如く飛び上がって見せて下さるのに拍手をしたり、1時間40分に退屈する事はなかった。

            
                    
保津川下りの歴史は古く、慶長11年(1606)に京都の豪商・角倉了以(すみのくら りょうい)という人が丹波の米や麦etc.の物資を京都に運ぶ為に川を開削したのが始まりと言われている。その後、山陰線の開通などで需要が次第に減っていったという。
更にその山陰線も複線化されるようになって一部が廃線となったところ、保津川の渓谷美を愛する人達の熱い情熱が線路を修復して1991年に観光トロッコ列車を走らせたらしい。
25周年を迎えた今やトロッコ列車と保津川下りはセットで益々人気は高まり、日本人のみならず外人さんにも広がっているようだ。私達の舟にも外人さんが数人乗っていた。
左の画像は絵葉書をスキャンしたものだが、トロッコ列車の5号車「ザ・リッチ」はディーゼル機関車の隣の車両である。右隣りの車両と比べると窓枠も側板もないのが解るね。

渡月橋を目の前に着船場に着いたのは午前11時50分。舟は起重機で持ち上げられトレーラーに乗せられて亀岡のあの乗船場に運ばれて行った。
丁度お昼時、渡月橋の橋の袂にあるお店の2階で桂川を眺めながら食べた〝天ぷらそば”は格別で美味しく感じたよ。(笑)
3人は「いわた山モンキーパーク」へ行った。足をかばって私は河原で休憩。渡月橋付近はボートや屋形船が沢山浮かんでいた。岸辺で遊ぶ親子、静かにぼんやりと 英気を養っていられる人様々で、渡月橋を渡る人の列は途切れる事がなかった。さすが京都嵐山、世界中から人が集まって来るのを実感した。
        

再び4人は合流して、天龍寺の法堂(はっとう)で公開中の天井「雲龍図」を拝観した。八方睨みの龍、ホント堂内をぐるりと歩いてどの方角から見上げても龍の目線と向き合っている不思議な絵だ。記憶にある龍と少し感覚が違ったのは自分の年齢の差かと思いきや、現在の龍は平成十二年に修復された物らしい。折角なので絵葉書を買った。

思い出のお土産をゲットした頃には年寄り2人のエネルギーは乏しくなっていた。予定変更で夕食はパス。お名残り惜しや、私達は近鉄線で娘達は新幹線でとさようならをした。それでも充分に満足した孫の笑顔に2日間は有意義に過ごせたようだ。そして毎日が休日の私とはいえ、世間並の連休を楽しめた気がしてよかった。よかった。