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女のまつり

2015-02-22 | 日記
大和郡山市の女のまつりは毎年2月第4日曜日に開催されるそうで、今年は24回目だという。それにしても「女のまつり」とは一体何ぞや?好奇心が働いて一度は見ておきたかった。市内の女性8団体が女子力を結集して行われるお祭だそうで、テーマを掲げた展示を初め、彼女達の手作り料理やお菓子の模擬店、踊り、フリーマーケット、抽選会、お遊び等々盛り沢山な内容のお祭のようだ。

  2月22日(日)
比較的温かで雨は降りそうで降らない様子なので出かけてきた。会場となる城址会館のある公園の梅は未だ一分咲きにも及ばなかったが、蕾は膨らんでいて春がソコまで来ているのが分かった。

ところでこの城址会館、昔は奈良公園に在った県立図書館で、私が学生の時には資料を探しに出かけたのを覚えている。明治41年に建てられ、昭和45年にこちらへ移築保存されて以来集会や展示会場として利用されているという。私も風格のあるこの建物の雰囲気が好きで写真を撮り、それを見ながら画用紙に描き、切り絵作品にした事があったっけ。こう書き始めると急に懐かしくなって物置へ行って取り出してみたよ。あれからもう20年も経つかなぁ・・・

大手門(おおてもん)をくぐると沢山の人達の姿が見えた。
老若男女、子供達も思い思いの所で楽しんでいる様子。先ずはテーマ広場の城址会館へ入って、『世界の国からありがとう!クイズ』にチャレンジした。カタカナで書かれた10ケ国語の言葉を国名と合わせるのであるが、解らなくても適当に番号を記入して提出すると賞品が出るというもの。
私はスイスで?、訪れた時には確かドイツ語を使ったはず・・・否、フランス語が通用する地域もあるはず・・・となると??結局のところ6問正解で飴ちゃん1袋を頂いて終了。(笑)
「全問正解で~す!」という声も聞こえていたので「スゴイ!」と関心する。やっぱりスイスが気になるので家に帰ってから調べてみた。
さて、ドイツ⇒ダンケ、韓国⇒カムサハムニダ、ベトナム⇒カムオン、モンゴル⇒バヤルララー、アメリカ⇒サンキュー、インドネシア⇒トゥリマカシー、イタリア⇒グラツィエ、フランス⇒メルシー、中国⇒シェシェ、スイス⇒ダンカとなるようだが、外国語をカタカナで書く事自体に本来無理があるよな。でも鉛筆を握ってから飴ちゃんを頂く迄の間、脳はきっと活性化して赤く反応していたんだと思うと、脳トレを楽しませてもらった感じ。

                (画像はクリックすると拡大する)  

ペットボトルのキャップで作られた笑顔モニュメントは可愛かったし、次世代に伝えたい「鶴メッセージ」には、世界平和を初め、原発問題、自然破壊問題、介護・子育て問題そして人権問題、又いじめ等の人道問題etc.実に様々な沢山の課題が掲げられていた。ホントにそうだよなぁ~。皆んな平等に幸せに暮らしていきたいし、私達の孫のそのまた孫の永遠の世代に至るまで地球は健全な状態に保たれねばならないんだから。。。。。

『かならず当たる“みかんくじびき”1回100円』は、大好評らしく列が出来ていた。商品にはならないみかんが集められ、それでも買えば100円の値打ちはあるビニール袋が沢山準備されていた。ハズレは1袋で、2袋当たった人にはお得感が味わえるようになっているわけだ。ジュース等にするには充分で、エコ意識の楽しいアイディアに感心する。

食を楽しむ“楽市広場”も大繁盛で、時計を見れば12時半、私は「粟雑炊」の張り紙の粟に目が留り、お願いした。誰かに会うとちょっと恥ずかしいなぁ~と思いながら粟雑炊をすすっていると、案の定肩をつつかれ「お元気ですか?ゆっくり楽しんでいって下さい!」と声がかかった。先程城址会館の中でもお顔見知りに会ったばかりで「ご苦労様」と話したところだが、高齢者の皆さんはボランティアでなかなか忙しそうだ。
初めて認識する粟という雑穀、白米に混ぜるとなかなかクリーミーな雑炊の仕上がりになるようで美味しかったよ。(笑)


特設ステージでは『消費者センター、くらしの知っとく劇場』で「オレオレ詐欺」の振り込め詐欺被害者にならない為の劇が行われていた。犯罪の手口は益々巧妙になって一向に減らないこの事件、子を思う母の愛は一体どこまで深いのかと・・・・・
この他にも救急に関する実演もあったようで、参加団体の皆さんは大和郡山市をより住みやすい良い街に盛り上げるべく色んな企画を考えて実践されている事を知った。

句碑2基を観る。
 於:松の坂、鉄御門跡の前  
「十五萬石の城下へ 花の坂」  阿波野 青畝(せいほ)1899-1992年
       15万石と言えば柳沢吉里(よしさと)(1687-1745)が城主だった頃を指すのかなぁ~・・・
       豊臣秀長(1540-1591)は100万石の城主だったと聞いているよなぁ~


 於:城址会館の前  
 「菜の花の 中に城あり 郡山」  森川 許六 (きょりく) 1656-1715年
       1954年に詠まれたというから即ち昭和29年、城址の辺りは黄色い菜の花がいっぱい咲いて、さぞかしのどかな景色を呈していたんだろうなぁ~・・・

       参考:郡山城は筒井順慶(1549-1584)が織田信長の命を受け1580年に築城  
     
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