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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

春日山の石仏

2015-05-18 | 日記
今日も彼に誘われて柳生街道(滝坂の道)コースを歩く事になった。滝坂と言えば、先日(3月24日)まほろば健康ジムのハイキングで歩いた道だが、今日は磨崖仏を巡りたかった。近鉄奈良駅からバスで忍辱山(にんにくせん)まで行き、円成寺(えんじょうじ)の参拝から始まった。“てくてくまっぷ”には約12km〔忍辱山バス停~滝坂の道(地獄谷)~近鉄奈良駅〕とある。

  5月17日(日)
30分バスに揺られて「円成寺」門前に立ったのは午前8時50分。光る若葉の緑がとても美しい庭園の中を池に沿って歩くだけで心が癒された。昔マイカーで訪れた柳生の里で最後に辿り着いたのが円成寺であったが、人のあまりの多さに参拝を見送ったままであった。今日は静かでゆっくりゆっくり堂宇の中の仏様や建物や庭園を廻った。
多宝塔のご本尊・国宝の大日如来像は運慶25才頃の作とか。運慶と聞けば私の脳裏に先ず浮かぶのは東大寺の金剛力士像であるが、あの姿や表情とはまるで違うさわやかな、それでいて威力を感じる仏様にうっとり見とれてしまった。そして春日大社から譲り受けられたという国宝の鎮守社・春日堂と白山堂が並んでいる光景は実に綺麗で心に浸みた。又訪れてみたくなるお寺である。
                (画像はクリックすると拡大する)

歩きスタート午前9時35分、石畳道を登り始めて六地蔵様の前を通り、県道184号線誓多林町(せたりんちょう)の標識を見て間もなく距離にして3950m、林道のはずれに来た。そこの三差路に江戸時代の太神宮石灯篭を見た。
集落の茶畑の斜面真ん中に「五尺地蔵」様が立っていられた。心和らぐのどかな雰囲気で、笑顔のお地蔵様に私の顔も緩んでいたかも・・・(笑)
茶畑は黒いネットで覆われていた。かぶせ茶になるのかなぁ~。
一軒の民家の納屋に並べられたシイタケを購入、コレも歩きの楽しみの1つでリュックに入れながら、冷やし素麺を作る気持ちになった。

間もなく「峠の茶屋」(4640m)に着く。家屋の中に入らなかったが、カモイには昔の武芸者が飲み代のカタに残したという古めかしい槍や鉄砲が掛けられているそうだ。
                       
茶屋から200mほど進んだ所で道はそのまま直進する道と川沿いを行く少々危険な道の二方に分かれていて、少し迷ったが川沿いを選んで「地獄谷石窟仏」に行くことにした。
確かに気を引き締めて足元を確認しながら歩かねばならない正に地獄谷の道だった。歩くこと1キロ半、石窟の前に立った。石窟は凝灰岩層(ぎょうかいがんそう)をくり抜いたものだそうで、凝灰岩は他の岩石に比べると軽くて柔らかい岩石とのこと。

線刻された仏様が金網越しにはっきりと観えた。作者未詳、年代は奈良時代。下段の写真最後は洞(ほら)の正面壁の三体の仏様で、朱の彩色が残っていて思わず目を見張った。中央が高さ1.4mの釈迦如来、向かって左が薬師如来、右が十一面観音と言われている。写真を撮るのは不可能だったが、左側壁面には弥陀如来と千手観音、右側壁面には妙見菩薩が彫られているそうである。
“まっぷ”の説明に依ると、これらの石仏は山伏が岩窟に寝起きして彫刻したとか、大仏殿建立の折に石材採りの石工が彫刻したなどと言われているそうである、また聖(ひじり)が住んでいたという伝承もあり、「聖人窟」とも呼ばれているとか。とにかく一見すると忘れられない衝撃を受ける石窟で、私には大冒険で得た感動の観賞であった。  
           
                                             
無事に一仕事を終えたような達成感に浸りながら400m程歩いて行くと、目の前が明るく開け、奥山ドライブウェイに出た。

次の目標は「春日山石窟仏」である。ドライブウェイを少し上り左折して石窟に到着。こちらも金網が張り巡らされていた。彼曰く「昔来た時には金網が無かったような気がするけどなぁ~・・・」返事に困ったが、世の中いろんな人が居るから後世に残す為には当然の対策なんだと思う。でも金網の一部が切り取られ小さい穴が有った。そこからカメラを入れて撮っていいのかな?

右(東)と左(西)に二つの石窟があって、それぞれの壁面に数体の仏様が彫られていた。説明版には年代は平安末期と有り作者の刻銘も有るようである。わずかな隙間から撮った写真、下段二番目が東窟、三番目が西窟の仏様それぞれの一部である。
        

石窟から20分程歩いて、あの「首切り地蔵」に来た。今日は後姿を投稿しておこう。
しばらく休憩して緊張と興奮を鎮め普段のハイキング気分を取り戻す。そして能登川沿いを歩き出した。杉の大木があって、両手を広げてみたよ。
                                           
朝日観音」)、「三体地蔵」、 「夕日観音」、「寝仏」を確認する。
下段左から順に並べたが、いずれもバカチョンカメラでの映像で実物はもっと感動的!
夕日観音は三体地蔵よりも高い所に在って、道からは分り難く、キョロキョロして首を伸ばしてやっと見つかる。傍に行くには道なき道斜面をよじ登らなければならないので危ない。彼は感動して戻ってきた。
それから寝仏であるが、道側からではなく山側から見なければならない。風化が進んでいるので少々離れて凝視すると確かにお姿が判る。元は立っていたのに転がって寝てしまったのかも知れないなぁ~・・・
       「かけおちて岩の下なる草むらの土となりけむ佛かなしも」 会津八一
           岩に刻まれた仏さまが長い年月の間に欠け落ちて、草むらの土になったのもあるだろう。いとおしい。

             
  
こちらの道は地獄谷とは違って心静かに小鳥の鳴き声やせせらぎを楽しめた。
時刻は午後2時45分、観たかった石仏すべて拝顔し、急に力が抜けてきて疲れを感じ、足にも痛みを感じ始めてきた。破石(わりいし)町バス停からバスに乗ろうと言いながら歩いていたのに、偶然出逢った面白い元気なご老人(83歳)に釣られて春日大社本殿の前に出てきた。一の鳥居に向かう途中、例のムクロジの木を見みると、木は緑の葉っぱに覆われ中央の竹も思い切り背伸びをしていた。結局奈良駅まで歩くことになった。(笑)
そして午後5時、居酒屋のれんをくぐってビールで乾杯、やれやれお疲れ様。
        

歩いた距離は17km、我ながらすごい!と思う。道は林の中で日蔭でもあり地道で足裏に優しくゆっくりペースならばこそであった。そうそう山の中で食べた昼食のおにぎりと温かいコーヒとお菓子も最高(?)に美味しかったよな。
★★★写真を並べ過ぎたかなぁ~。歩くのと同じ程疲れそう。。。。。(笑)


落伍者になって。

2015-05-06 | 日記
今日は連休最後の日、お天気快晴、奈良の最高気温26度。残念な日記を書く事になった。奈良県ウォーキング協会主催の「幻の大仏鉄道」に参加したのだが。。。。。。。。。。。。。
トンネル跡や隧道(ずいどう)や橋台etc.鉄道の廃線跡をたどりたかった思いが実らなかった無念さを、せめて「大仏駅」跡だけでも見れた事で気持ちを慰めたい。

  5月6日(水
関西本線JR奈良駅に降りたのは40年ぶりかなぁ~・・・・・
高架化されたホームに降りエスカレータで地上に下りて、記憶に残っているある方形の屋根と相輪のある旧の駅舎の前に来た。それにしてもすっかり綺麗に広くなり、さすが世界中の人達を迎えるにふさわしい駅になっていた。2003年に高架工事が始まったというから、私の時代遅れもスゴイよなぁ~
参加人数は360人以上と聞く。会員でない者は500円の参加費を払って案内資料をもらう。そして概要説明があって全員で準備体操をしていざ出発。
          (画像はクリックすると拡大する)

佐保川沿いを進んで行くと「大仏鉄道記念公園」に来た。折角なので、パンフ説明の一部を引用させてもらって「大仏鉄道」を心に描いておこう。

                    わずか9年の〝幻〟         

        今から100年以上前、「大仏鉄道」がはしっていました。大仏鉄道とは、当時の鉄道会社「関西(かんせい)鉄道」の
        加茂と奈良を結ぶ、わずか9.9kmの路線の愛称です。明治31年4月の開業後、終着駅の「大仏駅」は東大寺大仏殿の最
        寄り駅として、大いに賑わいました。翌年5月、同社は大仏駅から奈良駅へ線路を延長。奈良駅への乗り入れを果たすと、
        観光の拠点は、大仏駅から奈良駅へと次第に移っていきました。
        そして明治40年8月、加茂駅から木津駅を経て奈良駅へと至る平坦なルートが開通すると、急坂の難所を抱える大仏鉄道
        は休止となり、同年11月に廃線。わずか9年の歴史に幕を下ろしました。


この公園を後にして、佐保小学校の前を通る。ここは法蓮町、有名な尼寺・興福院(こんぶいん)の門前を右折する時に写真を一枚撮る。お寺の客殿は重文で本堂と大門は県の指定文化財らしく、拝観には予約が必要。私には未だその機会を得ていない心惹かれるお寺である。鉄道の遺構に直接には関係ないが、鉄道がこのお寺横近くを通っていたらしい。下段写真左から二番目、見せて下さった絵地図の右端に列車が走っている。ちょっと感動!
それから県道44号線バス道を通り「鴻ノ池」を見て右折。ここで私の気持ちは決まった。暑さと歩くスピードに不安を感じ、止める勇気も必要だと思ったのである。ボランティアの方に名前を言って「離脱します。」「そうですか残念ですね。でもここで良かったです。京都に入るとバスは通っていませんしネ。」帰りを心配して下さったが、未だ余力はあったのでバスに乗らずゆっくり歩いて、「やすらぎの道」を通り近鉄奈良駅に向かった。

             
踏破出来なかった「大仏鉄道」ウォーキングは、彼が撮ってきた写真を見せてもらって幕は下りた。(笑)
     

藤まつり(天王川公園)

2015-05-02 | 日記
風薫る五月、正に新緑の季節になった。かねてより一度訪れてみたいと思っていた尾張 島津(愛知県島津市)天王川公園の藤を観に、昨日ツアーに参加してきた。

  5月1日(金
西大寺駅集合午前7時50分、参加者43名、お天気も良くて、花の開花状況も良いとの話で安心して眠りながら目的地へ。近頃私は草津インターがお馴染みになって、帰り午後5時10分、たそがれ時逆光の忍者、お忍び雰囲気、好きだよ。(笑)

今日のツアーはメインの藤の観賞にプラスして滋賀県の日野ダリア園の牡丹の観賞もついていた。牡丹と聞けばすぐに思い浮かぶ「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」、あれは何を意味するのかなぁ~・・・牡丹と芍薬の違いがはっきり分からない。この際はっきり知りたくてネットを開いた。「ボタン(牡丹)とシャクヤク(芍薬)」ページで私の疑問は一挙に解けた。葉をキャプチャーさせてもらってありがとう。

日野町鎌掛(かいがけ)地区は、かつて近江商人が数多く出た里らしい。日野ダリア園は郷土の人達が休耕田を利用してオープンされたそうだ。ゆったりと広い園内に、今は色とりどりの沢山の牡丹が豪華で見事な花を咲かせていた。
クレマチスは牡丹にはかなわなかったけれど、それなりに存在感があって人の目をしっかり捉えていたね。周囲の静かな大自然が花々をより一層美しく見せていて、癒しと優しさをもらえる好い所だった。
           (画像はクリックすると拡大する)
  
午後2時天王川公園に着く。
東洋一の藤と言われるだけの事あって実に素晴らしい!絶句!藤の香りを胸いっぱいに吸い込んで巡り歩く。満足!
たたみ3200畳敷きの広さ」と案内されていたが、藤棚面積5034㎡、長さ275m、幅30m、規模の大きさは勿論、藤もちょうど見頃で最高の日だった。長い房が風になびく光景はダイナミックで凄いと思った。かつて見たことのない幹の太さに驚いたが、そりゃあれだけの枝を育てているんだものなぁ~・・・何かしら神々しく見えた。
藤の種類がいろいろ有ったようで、九尺藤の他、珍しい「八重黒龍藤」という八重の藤を知ってビックリした。
                    

近くの島津神社で「大太鼓胴内くぐり」(4月25日~5月6日)をして「ど~ん!」と一打ち、思い出になった
こちらの神社は織田信長や豊臣秀吉や尾張徳川家に関わりの深い神社だそうで、本殿と楼門は国指定文化財であり、南門は県指定文化財という立派な建物であった。いつか又ゆっくりと機会あれば訪れてみたい。。。。。
         昼食の「飛騨牛すき焼き御膳」も美味しかった事を書き添えて、今日の日記はこれでおしまい。