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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

伊勢本街道ー10

2012-07-29 | 日記
ここ3週間ずっと30度を超す猛暑の日が続いて、昨日は36度を記録している。それでも今日は伊勢本街道「不動滝」から山粕東口バス停まで歩いてきた。なにもこんな時期に歩くことはないのに・・・と思いながらも、「お四国歩き遍路」の体験で鍛えられた精神と体力はコレを受け入れた。。。。。

午前10時45分上田口弁天バス停に着いて、11時30分不動滝に来ていた。
不動杉を確認して緩やかな登りをゆっくり進んでいくと、鶯やヒグラシやキリギリスの鳴き声がまるで合奏しているかのように聞こえてきた。そしてふと見上げるときれいなユリの花が一輪木々の間から顔を出していた。「こんにちは!」元気をもらった。
           

明円寺に着いたのは正午。ここは室生の黒岩という所、境内の隅に「石黒さん」と言う黒い溶岩が置かれていた。どのような謂れがあるのかな?黒岩の地名に関係があるのかな?
おにぎりとお菓子を食べて再び歩き出した時、草刈をされていた黒岩集落の方が声を掛けて下さった。「ずっと昔の伊勢街道はこの裏手の高い道を歩いていたのですよ。」と指さして教えて下さった。へぇ~。勿論私達は新しい舗装された林道を通ることになる。
        (画像はクリックすると拡大する)

杉林を抜けると三叉路があって菅野村行悦の道標と山粕峠への標識があった。碑文には「はせより是迄五り 是より宮川へ十六り半 回國供養 菅野村行悦」と刻まれているそうである。一里は約4キロとして長谷から20キロ歩いてきたんだ。伊勢の宮川まで後66キロという事になるのかな。
この道標は菅野村(現在の御杖村)出身の行脚僧・行悦が残した石碑で、徳川吉宗時代のものだそうだ。
そういえば前回の歩きで専明寺の近くに供養碑があったけな。あれもこの僧が残したものの1つなんだと、今写真を繰リ返し説明文を読んで解った。ココに並べておこう。
                 

再び杉林に入ったが10分程で視界がパッと広がり明るくなって、青田のきれいな緑が目に飛び込んできた。そして遠くに大きなどんがめ石が見えた。この石にもきっと何かの謂れがあるに違いないと思って側まで行ってみたが、期待していた案内板はなかった。お花が咲いていて川を覘くと小魚が楽しそうに泳いでいた。私も一緒に水の中に居るような錯覚を起こして一瞬暑さを忘れることができた。(笑)

     
         

また林道に入ることになった。マップにある六字名号碑を確認。

いよいよ峠の登りとなり山が深くなって湿気も多くなってきた。彼が沢蟹を見つけた。山で蟹?なれどきれいな水と餌が有れば静かなユートピア!・・・ひょっとすると放浪の旅に出て山粕峠を越えようと思っているのかな?(笑)写真を撮らせてねとシャッターを切る。
              
午後1時半、峠の頂上も近くなってきたかと思う時突然遠くに雷の音!そして間もなくパラパラと雨粒が落ちてきた。怪しい雰囲気に大急ぎでリュックから合羽を取り出した。念の為にと簡易合羽を入れておいたのが幸いした。
バリバリ ゴロゴロ ピカピカ ゴロゴロ・・・・・・・・・・・・身を寄せる所もなく、引き返すわけにもいかず前進あるのみ。この峠は石割峠(標高695M)よりも低いはず。それ程の危険は無さそうだが兎に角一分でも早く平地に出ようと思った。頂上の標識もあったはずで確認したかったがそれどころではない、滑らないよう足元に細心の注意を払いながら必死で彼の後ろを歩いた。暗闇に近い暗さのなか無事に川も渡り川に沿う道をひたすら歩いて行くと、嬉しいことに辺りが明るくなって雨も小降りになってきた。細田神社の立札があった。これが「佐田の宮跡」だと解ったのは平地に下りてからだった。。。。。
                


草に埋まった在るか無きかの細い道を歩いてやっと車道に下りることが出来た。未だ霧雨は降っていたが、やれやれこれで一安心、目の前に高石バス停を見た。バス停前のお家の方が「どうぞ雨宿りを。」と声を掛けて下さったので軒をお借りすることにした。ご親切に心から感謝、とても嬉しかった。
いろんな話をして下さった。

  細田神社が佐田の宮跡で、平家一門の武将に所縁があるとか弘法大師に所縁があるとかで左の写真右奥に映っている洞窟には大己貴命(おおむなちのみこと)が祀られているそうである。

この辺の農家の方は、山粕峠を越えてあの「どんがめ石」あたりの田んぼを耕していられるそうだ。そういえばこの辺は植林した山で囲まれている。かつては林業が盛んだった頃もあっただろうに。又「ようこそ伊勢街道山粕宿へ」の立札があるように昔は旅籠街として栄えていた所だそうだ。
山粕は室生村と曽爾村の境目で、今は曽爾村に合併されたが、昭和29年10月1日までは室生村だったことも話して下さった。道理で山粕郵便局のポスト横にある石標には室生村道路元標と刻まれていた。
           
  

大きな水槽の中でキラキラ輝きながら泳いでいる白い魚、聞けばメダカだそうで、クロメダカとヒメダカしか知らない私はびっくりした。
きっと物欲しげな顔をしていたに違いない私、生まれたばかりのメダカ数匹を瓶に入れて下さった。「ありがとうございます。きっときっと立派に大きく育てます。」と大喜びで頂戴した。
すぐ近くにはめだか街道があって、「鶴瓶の家族に乾杯」に取り上げられたらしい。聞けばこのダルマメダカ1匹700円とのお値段に二度びっくり!しっかり大きくして報告を兼ねて今度はクロメダカを持って車でぶらりとお礼に尋ねて行きたいと思う。(この辺にクロメダカは居ないそうである。)

                     

山粕東口バス停で15時17分発の榛原行に乗った。やっぱり今回もたった二人の乗客でなんだか申し訳ないような気持ちがしたよ。
山粕峠越え・伊勢本街道宇陀の難所二人歩きは、なんといっても峠の雷雨とダルマメダカが一生の思い出になりそう。。。。。
おつかれさま。

伊勢本街道ー9

2012-07-10 | 日記
今日の奈良の最高気温31.4℃とテレビの報道。そうか そんなに暑かったのか・・・・・
梅雨の晴れ間にと伊勢街道の歩き・石割峠越えをして涼しかった私達。ツアー利用のつもりだった峠越えであるが、ゆっくりの歩行ペースで二人で行くことになった。

榛原駅から曽爾村役場行のバスに乗った。
乗り合わせた一人のお年寄りが「主人の顔を見に行くのです。100歳で肺炎になって入院しているんですわ。しっかりした人で頭は少しもボケていません云々」と話しかけてこられた。手にはお家の庭に咲いていたという花を持っていられた。100歳のご主人と聞いてびっくりして、その方の年齢を聞くと89歳だと言われた。が、75歳と言われても未だもっと若く見える程しゃきっとされた方だった。
バス賃の小銭を取り出しながら「これ100円ですねェ~。」「いえ それ500円ですよ。」「私も大きさから500円と思ったんですけど100円ですわ。」「えっ!」再びびっくりして見せてもらうと確かに100円だった。「交換してあげましょうか?こんなの いっぱい あるんです。家には小判みたいのもありますよ。」私は急に昔の100円が懐かしくなって、硬貨1枚を交換してもらった。
息子さんは東京在住の国会議員さんだという。成程お金持ちのはず!?

その硬貨を今取り出して観てみると昭和51年製造、昭和天皇御在位五十年の記念硬貨のようである。図柄は菊の御紋と皇居。
昭和51年と言えば私が仕事を始めた年で、私自身の記念硬貨としてそしてこのような元気なお年寄りからの物で、残る私の人生の生き様手本のお守り代わりにしようかな。(笑)ほんとうに。。。。。

「ご主人様どうぞお大事に。」「 峠越えは気をつけて行ってきてくださいね。」ちょっと不安な峠越えだったが、この方の元気をもらったようで頑張ろうと思う気持ちがさらに強まった


榛原の高井バス停から歩き出したのは午前10時30分。
仏隆寺と同じ方向のスタートだったが、しばらく行くと右 いせ本街道 左 仏隆寺の道標があって、こちらは登りであった。ゆっくり慎重に歩こうと思った。
        


10分程行くと旧旅籠・松本家があった。天明元年5月(1781年 江戸時代の中頃)建立の建物らしい。更に5分程進むと巨大な杉・千本杉が見えてきた。根元は1つのように見えるが幹が分かれたには本数が多すぎるし、数本が寄り集まっているようだ?まるで密着していたよ。下の方に道路が見えていたので、そちらから近寄ればはっきり分ったのかもしれないが、登りの“しんどさ”で確認する気力はなくそのまま通り過ぎることにした。
        (画像はクリックすると拡大する)


そして間もなく旧旅籠・津越家の前に来た。こちらも古民家として保存対象の家らしい。屋根が痛んでいたなぁ~。
津越辻にある道標の通り右へ進むと再び登りとなった。
民家が4・5軒建っている山道に、アジサイが咲き遅い蕨が生えていた。手折ってみるとプチッと柔らかそうな音をたてて私を喜ばせてくれた。家の前で蕨が採れるなんていいなぁ・・・・・
             


次の名所は諸木野関所跡。ベンチで休憩、おやつを食べた。団体行動ではこのような気ままは許されないが、二人歩きの楽しみの時間である。元気回復、再び歩き出すと手水所・すずみの水があって、竹筒から水が流れ落ちていた。水はきれいに見えたが、手を洗った彼曰く連日の雨で少々濁っていたらしい。
        
  

深い杉林を通り抜けると諸木野の里に出て北海道の名付け親 松浦武四郎 嘉永6年 ここを通るの立札があり、近くには諸木野弥三郎のお墓があったりした。
ちなみに松浦武四郎と言う人は明治2年に蝦夷地を北海道と改名された事に関わりがあるらしく、諸木野弥三郎は伊勢の国司に仕えた弓の達人でこの諸木野に彼の居城があったそうな。
私には未知の名前であったが、伊勢本街道歩きの際なので頭の隅に置いておこう。


見過ごしてしまいそうな路地、民家と民家の間の細い坂道を通り抜けて行くと時刻も12時30分。“おにぎり”を食べるのに腰を下ろせる場所を探したが、木の根っこも大きな石も無く草が生えている所は濡れているという訳で、人っ子一人通らない山道を幸いに道の真ん中に座ることにした。
彼が石を拾って一生懸命投げつけているので???何かと聞けば“マムシ”が居たという。顔は小さいのにお腹が膨れていたよという。「うわぁ~ 怖いけど本物を 見たかったよ。」と言うと叱られた。そうか・・・でも蛇をも怖がる彼にマムシを追い払う勇気が一体何処から出てきたのか不思議である。黙って走り去ればいいのにと思うが、彼の闘争心を掻き立てたのは一体何だったのか?・・・・・人間咄嗟の瞬間に発揮するというあの潜在能力というものなんだろうか。(笑)
「あれが猪を捕まえる檻だ。」と教えてくれたので初めて見た実物を写真に撮っておこう。大きいなぁ~。

榛原観光案内所で貰った地図にある道標を探していると在った在った。刻まれた文字は全く読めないが、宇陀ケ辻の道標である。「右 伊せみち南無阿弥陀仏 左 うたみち 貞享三年(1686)八月□日」と刻まれているそうだ。〔はいばらの伊勢街道 ~その周辺の歴史と文化~より〕傍らの「伊勢本街道」の標識にホットする。


ようやく石割峠の標識があった。辺りは緑に包まれ木漏れ日が差してきれいな景色。空気もきれいで涼しかった。静かで先ほど迄聞こえていた鳥の鳴き声も無い。静寂な山の雰囲気を楽しみながらゆっくり登った。「うわっ!石が割れてる!石割だよ!」(笑)勝手な解釈をしながら滑らないよう気を引き締めた。
標高695Mの標識、頂上のようだ。

                 

木々が鬱蒼と茂り薄暗く、道が水浸しの箇所もあったが無事通り過ぎて再びアスファルトの下り道となった。
ふと見上げると道路右手の山中に大きな岩が見えた。あれが姫隠岩かな?案内人さんが居ないので定かでないが・・・・・
田口に来てオトバヤの瀧を探しながら進むと、どうやらコレらしい。高さはさほどでないが、水しぶきを上げて気持ち良く落ちていた。
専明寺に来た。峠越えが出来てホッとするとさすがに疲れを感じ休憩していると、団体さんの到着で、聞けば「トラベル日本」さんらしい。彼等はここから迎えのバスで榛原駅に向かわれるそうだが、私達二人はここから上田口バス停まで歩くのである。
                       

道は二方に別れ伊勢本街道にある次の山粕峠方面へ向かう入り口があった。目の前に不動明王の道標が在り、折角なので立ち寄ることにした。祠の中には大きな石に迫力ある不動明王が刻まれていた。私は手にしていたアジサイの小花をそっとお供えして、今日の峠越えの無事を感謝して手を合わせた。。。。。

不動滝を見た後はアスファルト登りの坂道を弁財天川に沿ってバス停まで最後の頑張りを続けた。ちょっと厳しかったけれどコレも思い出。
きっちり時間表通りの午後4時40分、たった二人だけの乗客を乗せてバスは上田口弁天バス停を出た。
               
 おつかれさま。






梅雨の季節

2012-07-01 | 日記
梅雨真っ只中。もう7月1日、早く梅を漬けなければ・・・と思いながら、今年は梅の出回るのが随分遅かった。
「ばあちゃんの梅干し、とってもおいしいよ!」孫のこの言葉を聞いたあの日から、これだけは私が元気でいる間彼へのプレゼントにしようと決めていた。
一目惚れした梅がみつかったので今日は朝から頑張ったよ。1つ1つ丁寧に水洗いをし、1時間あまり水に漬け、水分をきれいに拭きとり、竹串でヘタを除き、塩をまぶして積み上げて、重石をして第一段階の作業を無事終えた。ホットした。梅の爽やかな香りに包まれた幸せ気分の一日!

先日、梅雨の季節ならではの漬物、もう1つに初挑戦したのは“らっきょう”である。
お遍路体験からすっかり四国びいき人間になっていた私は高知県産を選んだが、らっきょうは鳥取県の名産だと聞いてそれではと両方漬けることにした。
1つは市販のらっきょ酢で、1つはお手製の合わせ酢で。さて孫はどちらを好むだろうかと。。。。。
            

初挑戦と言えば「刀豆(ナタマメ)を植えた。勿論観賞用であるが、あの巨大な豆の莢が観たい。
水に漬けて3日間、膨らんだ豆を濡らした綿花の上に載せて1週間、根が出てきたら土の中へと説明書通りの順をたどった。ある日突然土がもっこり盛り上がり皮をかぶった豆が力強く頭を出した。その後帽子を脱ぐように皮が落ちてぽっかり大きな口を開けた。スゴイと思った。
何も知らなかった彼が「あれ いったい何だ?大きな芽が出ているぞ!」芽?と言われて考えたけれど、どれが芽か解らなかった。数日過ぎて大きな葉っぱが出てきたので、もう植木鉢に植え替えてあげようね。
               


さて、彼が散歩から連れて帰ってきた田んぼの虫!
こんなの初めて見たよ。「君の名前はなぁ~に?」「・・・・・」
図書館で調べて解った。
         (画像はクリックすると拡大する)

その名は「カブトエビ」、「草とり虫」の名を持ち田植えの頃に現れて、田んぼの水草の根やミジンコを食べて大きくなるそうだ。飼育するにはメダカの餌でも大丈夫ということで一安心。
日にちが経って今は私の気持ちも落ち着いているが、初めて目にしたあの瞬間を思い出してみると、それはそれはびっくり仰天。おたまじゃくしのようでありながら足がいっぱいあるし、平べたく背中にはつるつるの甲羅をしょっているようだし。目は三つ?顔の真ん中前方にあるよ。二股に別れた尻尾は強そうでカッコイイね。
そしてその動きは見事に素早く、前後左右に身体をくねらせてあちらこちらへと移動する。お尻を跳ね上げてくるんくるんと宙返りする姿はまるで曲芸師!背泳ぎも得意で見せるお腹はとても繊細な仕組みになっていて、凍れる音楽が流れてきそうに揺れるデリケートなヒザ!思わず拡大鏡を手にしたよ。動画も捕ったよ。
そんなに動き回って疲れないの?私が疲れてしまう程なんだから・・・気が付くと疲れるほど見続けていたようだ(笑)

人生の不思議な出会いに感動した新鮮な梅雨の季節でありました。(笑)
梅雨明けはいつ頃なんだろう。