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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

刀豆の話

2012-09-27 | 日記
刀豆の発芽パワーに感動して日記に書いた日、あれは何日?そうか7月1日だったんだ。
あれからすごい勢いで蔓がぐんぐん伸びて支柱を立てるのに悩んだ次第。小さい蟻も沢山やってきて蔓登りを楽しんでいたよ。白い花が咲いてその後小さい莢が顔を出し、莢は日増しにどんどん太りみるみる大きくなっていった。毎日眺めてはその成長振りの速さに驚くばかりの夏の日々、こんなに成長するのだから栄養の肥料を足してあげなければと実の成る野菜肥料をどどっと入れた。
       (画像はクリックすると拡大する)

これがイケなかった。10日ほど経って葉っぱが急に黄色くなり始めた。上の画像右端の木、こんなに豆が大きくなっていたのに。。。。。その時は何が起きたのか原因が解らなかった。3株の内1株が特にそうなったのでじっくり考えてみた。そういえばその鉢に肥料を入れながら、ちょっと多いかなと思っていたのを思い出した。そうだ!肥料に当たったのだと解った。

観賞用なので綺麗な花が観れて、1粒でいいから大きな豆が観れると満足、と思っていた私。日当り具合や水やりや肥料の加減など手さぐりの育て方である。
どうせ枯れるのなら今の内に摘んでおこうと、一番大きい豆にハサミを入れた。30cm定規で計ると27cmだった。豆だってもっと大きくなりたかっただろうにと自分の失敗を悔いた。

ネットで「刀豆」のページを探した。「福神漬けに入っているのご存じですか?」の問いかけがあった。えっ 食べれるの!?大豆と同じように考えていたので莢が食べれることに驚いた。福神漬けを家庭で作れるという事も驚きであった。
それなら新鮮な内に福神漬けを作ってみようと若い豆も摘み、全部並べたのが左上の写真である。

作り方のレシピはいろいろあった。
7種類の野菜を集めると良いそうだが、取敢えず大根、人参、キュウリ、レンコンそしてこの刀豆の5つに土生姜を使おう。昆布は引き出しの中で眠っている羅臼のおやつ昆布を刻むことにしよう。
刀豆は斜め切りにしてその他はイチョウ切り。一晩塩漬けにして、鍋に醤油、砂糖、お酒、お酢をそれなりに入れて土生姜のみじん切りを加えた。沸騰させてから2分経って火を止めて、具をザルに上げ冷ます。煮汁も冷めれば一緒にして器に入れる。
これだけの作業でさてどうか?ちょっぴり不安はあったが、わくわくし乍ら冷蔵庫に入れた。明日はカレーを作ることにしよう。
             

そしてもう一品!2~3cm幅に切り、沸騰したお湯に入れて茹で、削りカツオを振りかけ醤油少々で食べてみた。香ばしい甘い味がした。なんと美味しいこと!イケる!お試しだから量は少なくホンの「突き出し」程度。
毎日の水やりは彼の日課だったので一緒に楽しみたかったが、彼は飲み会にお出かけなので一人で食べてしまったよ。(笑)
という訳で、刀豆を来年は食用にする為に再挑戦しようと思う。。。。。

『ジャックと豆の木』の話を何回も思い出していた。かろうじて助かった豆、一番初めの画像に写る豆の伸びた蔓の長さは如何程かと、晩秋刈る時に計るのを楽しみにしているのである。


ついでながら朝顔の話。
今朝庭に出ると、朝顔が一つ咲いていた!
お盆の頃だったかな、庭の隅にひょろひょろと5cmばかり伸びた朝顔を見つけたのである。今頃こんな所にどうして?と思い引き抜いて捨てようかと思ったが、折角芽を出したんだから・・・と植木鉢へ移しておいたのである。
九月に入って蔓がすいすい伸びてきたので、それではと支柱を差し込んだ。小さい蕾が付いて未だ咲くかどうかは疑問だったのに見事開花を果したのである。花は嬉しそうで誇らしく見えた。「良く頑張ったねぇ。綺麗だよ!」私もうれしかった。
明日には一つそして明後日には二つと咲くであろう赤い蕾を含め数個が準備中。
生命力の強さに感動!元気をもらった。刀豆と一緒に投稿して私の記憶に残しておくネ。

伊勢本街道ー13

2012-09-25 | 日記
また二日遅れの日記を書くことになってしまったが、伊勢本街道をまとめておこう。

 9月23日(日)
今回のバスハイク「お伊勢参り」歩きは美杉から柿野まで13km /約4時間。昨日22日はうるう年秋分の日、さすが気温も下がってきて26℃位かな?有難かった。でも午前中小雨が降り続いていた。
午前9時バスで近鉄八木駅前を出発、11時雨具を身に着けた参加者70名の長い列が「道の駅美杉」から動き出した。
雨の割には皆さんのお顔は明るく困り顔は私1人だけ?これではいけないと思い「雨よ 飛んで行け~。」と心の中でつぶやきながら皆さんの後に付いた。

立川川沿いを歩くこと10分あまり、「六部供養碑」というものがあった。碑の意味が解るように説明版を載せておこう。この地点は長谷寺と伊勢神宮両宮の中間迄の距離の2等分点で距離にして十一里半(46キロ)になるらしい。
すぐ側に在る美味しい羊羹を売るという店「東屋」で添乗員さんのお世話で予約済みの羊羹をそれぞれ受け取る。昔ながらの製法で作られた手作りの「ゆず風味練養甘」、昨日食べてみたが程よくあっさりした甘さで確かに美味しかった。
        (画像はクリックすると拡大する)

お店からしばらく行くと道路の右手に坂向場(さかむかえば)と書いた立札があって小さいお堂があった。お伊勢参りから帰ってきた伊勢講の人達を出迎えた所で、お祀りしているのは馬頭観音様だそうだ。お伊勢参りが盛んだった頃大活躍の大切な馬は人間と同様、旅の無事を祈られてこちらで安全祈願されたのだろう。
頭上に馬頭を頂いた馬頭観音様、初めて耳にした時は不可解でびっくりしたが、所々で拝顔できる機会が出来てきた。私は槇尾山施福寺の本堂裏の後堂の馬頭観音様が強く印象に残っている。
              

国道368号線、緩やかな登りを進んで行くと名水「鶯の水」があった。そこから1時間程歩き続けて、1軒の作業場のある広い草の原で昼食となった。奥立高原・寒山(さぶやま)と言われる所だそうでキツネや狸、イノシシ等が棲んでいるという深山であるが伊勢への近道として昔から利用されてきたという。
               

12時半、再び歩き出して再び国道368号線、まもなく松阪市の標識が見えてきた。道路左側ちょうど標識の下手前に「多気不動尊」の祠があった。ここで津市美杉町多気を抜けるのである。
そして峠地区、櫃坂(ひっさか)峠の頂上に着いた。峠地区は昭和50年に廃村になったそうで、今も寂れた家は在ったが、人は住んでいなかった。

標高435mから急な下りの櫃坂13丁(14010m)を丁数を数えながら下りることになる。危険箇所が改修されて、この道の正式名は「櫃坂道新坂」というらしい。
荒れた箇所もあったが、想像していたよりは楽な櫃坂峠の下りであった。三丁の標識が立つ地点では下の画像右端のような明るい緑の景色になっていた。
峠を下りきった所に仮設トイレがあってしばしの休憩。
地名は坂ノ下、小さい祠に勢至菩薩が祀られていた。道端に祀られている勢至菩薩とは初めて見たような気がするなぁ~。
           

また国道368号に出てやがて旧道に入った。
浄土宗高福寺の石柱の傍らにある道標には「右いせ 宮川へ九り」とかろうじて読めた。先ほどの十一里半から九里になったわけだ。
仁柿(にがき)小学校の前を通り、子安地蔵への上り坂の前を過ぎ、弘法大師の水場を見て、長瀬不動尊の御堂に来た。御堂の傍らには小振りながら太一常夜燈を見て何かしらホッとして嬉しかった。(笑)
             

飯南町下仁柿という所、木材店の裏手にある大きな常夜燈には太一ではなく両宮献灯と刻まれていた。田んぼ道を曲がって曲がると庚申祠の横に菅野村行悦の道標があった。奈良県宇陀の山粕峠に向かう途中で見て以来の行悦の道標である。
木柱の説明によると「はせより是迄十四里 是より宮川へ八里半 すがの村行悦」と刻まれているらしい。宮川がだんだん近くなってくる。
         
  

櫛田川支流かな?彼岸花が咲き黄色いコスモスが咲いていた。先ほどはフジバカマの花と香りを楽しみ、弾けた栗の実も見た。秋を感じて歩いていると柿野神社に来た。広い境内に大きな常夜燈があって、四面には「大神宮」、「五穀成就」、「天保元年庚寅十二月吉辰」、「天下泰平」と刻まれていた。
庚寅とは「かのえとら」と読み、60年周期の干支で2010年が庚寅だったようで、ちなみに昨年は辛卯(かのとう)そして今年は壬辰(みずのえたつ)だそうだ。へぇ~???ややこしいなぁ~。そして吉辰とは「きちたつ」と読み吉日と同じ意味らしい。そう言えば義父が毎年そのような暦を繰って居られたなぁ・・・・・
            
常夜燈でとんでもない勉強をさせてもらったが、話は戻って今日の伊勢本街道歩きはここでおしまい。
心配していた午前中の雨も小降りだったので反って息がし易く呼吸が楽だったし、歩きに支障はなかった。今日の参加者全員が完歩出来て、めでたしめでたし!おつかれさまでした。

伊勢本街道ー12

2012-09-05 | 日記
九月とはいえ連日30度を超す暑さが続いているのに伊勢本街道バスハイクに参加してきた。道の駅伊勢本街道御杖姫石明神伊勢奥津駅飼坂峠道の駅美杉迄の14キロのコースである。前回の12キロを半分でギブアップしていたので迷っていたが思い直し、14キロは歩けないだろう事を受け入れての参加であった。

奈良県宇陀郡御杖村大字敷津の「道の駅御杖」を10時30分に出発。稲穂が随分色づいてきた田んぼ道を進んで行くと民家の並ぶ村中に入った。『敷津七ふしぎ』というのがあるらしい。倭姫命が天照大御神をお祀りするにふさわしい土地を探して伊勢に向かわれる道中、この岩の上から中秋の名月を鑑賞されたという「月見石」や「倭姫命の手洗い井戸」や「夫婦岩」や「弘法の井戸」やらを見ながらも団体の歩きなのでゆっくり案内板を読んでいる隙はない。取敢えずカメラに収めて先を急ぐ。それでも倭姫命云々と読めば伊勢本街道を歩いている実感が湧いてなんだか嬉しくなるよナ(笑)
「丸山公園」を通過して石段を下りると倭姫命も参拝されたという「姫石明神」(ひめしみょうじん)に来た。山肌に横たわる巨大な石の前に赤い鳥居が建ち、小さい鳥居も数基置かれていた。昔の原始信仰が引き継がれているようだ。ココは岩坂峠、ごろごろ石の峠道を下る途中に「六部塚」をも確認。
「月見石」と「姫石明神」の画像を投稿しておこう。
         

この岩坂峠を下ると県境、いよいよ三重県に入る。大和の国から伊勢の国に入るわけだ。
県境の杉平で最初に見た常夜燈には「太神宮」ではなく「太一」(たいいつ)と刻まれている。伊勢に入った証かな。高い場所にあったが、この位置が昔から在った元の位置で今は道路の方が下がったそうだ。そういえば次に見る「いせみち」道標も昔は高い所にあったと説明版に書いていた。
それから5分程歩いただろうか、道を左に折れると「ミタケのサクラ」として有名な桜の名所・三多気(みたけ)という所に行けるらしい。来年のお花見はここにしようと思う。
ふと見ると民家の庭に女郎花が風に吹かれて咲いていた。小さい秋を見つけたよ。
       (画像はクリックすると拡大する)


本街道はそのまま直進して地名は払戸、ここにも大きな太一常夜燈があった。そして間もなく下垣内、旧道に入ると庚申堂があって赤い“前掛け”をした地蔵尊と庚申像が祀られていた。今 画像の案内板を読んでみると、この庚申像は「青面金剛神」といって二~六本の腕がある猿の形相をした鬼神だと書いている。青面とはもっとゆっくり見たかったなぁ。。。。。

早や稲刈りの始まった田んぼを見ながらそして又常夜燈を見て、奥津宿の坂本屋の玄関に掛かっているピシッと糊の効いた爽やかな“のれん”に気分を良くして・・・とあれこれ楽しみながら歩いていると、正午も過ぎてJR名松(めいしょう)線「伊勢奥津(おきつ)駅」に来た。駅とは言え雰囲気が違って「津市八幡住民センター」となっている。

            昼食が済んで皆が集合した時に地域のボランティアさんから説明があった。名松線とは名張と松坂を結ぶ線、現在は廃止線の対象で休線となっていて、この奥津から名張まではバスが移動手段になっているそうである。ホームに出てみると名張方面に向かう線路の先は雑草で埋まっていた。蒸気機関車が走っていた頃の名残である給水塔もつる草に覆われ寂しく建っていた。

かつて林業が盛んだった頃の美杉町は杉の植林が美しく地名の由来にもなったそうだが、時代が変わり今はすっかり寂れたという。
伊勢街道としての“村おこし”に力が注がれているようで、正念寺まで続く「のれん街」には各家の表に趣向を凝らした“のれん”が掛かっていた。
入り口に置かれた手作り灯篭は決められた日に一斉に灯されるという。きっと風情ある夜になるのだろう。

おんばさん」と書かれた看板があって、???。ボランティア案内人さんの許可を得て大急ぎで別行動、100m程横道に進むと小さな祠があって沢山の“よだれかけ”が掛かっていた。子供が病気になるとこのよだれかけの一枚を持ち帰り治ると新しいのを作ってお礼参りをするという風習があるそうだ。そして毎年8月23日夜の地蔵会には「百万遍の数珠繰り」行事があって、山へ行け、川へ行けと大きな声で悪魔を追い出すのだそうだ。子供人数が減って大人の人達で行われている地蔵会だそうだが地域住民の繋がりがしっかり残っているんだなぁ。
             

しばらく行くと「札場跡」があって、慶應四年(明治元年)太政官(最高官庁)から発布された札を模した絵と説明文の案内版があった。伊勢参りの人々へ通行手形を渡した場所だそうで、キリスト教徒や邪宗門徒でないことを確かめ伊勢参拝を許した身分証明がここで発行されたわけだ。


谷口という所、大きな太一常夜燈があって、すぐ近くに正念寺という曹洞宗のお寺があった。ボランティアの方々の案内はここ迄で、私達はなだらかな山道を歩いていよいよ「飼坂峠」(かいさかとうげ)に向かった。
首切地蔵」が祀られていた。恐ろしげなその名に背中が寒くなって飼坂峠の怖さが早や伝わってきた。狼や山賊などの犠牲になった人達を供養したお地蔵さまだそうだ。
国道369号線に出てトンネルの手前からいよいよ飼坂峠の急な上りが始まる。

しばしの休憩があったので案内板を読んだ。「お伊勢参りして 怖いとこどこか かい坂 ひつ坂 くらとり坂 つるの渡しか 宮川か」と道中歌に謡われたとココにも書いてあった。鞍取り峠は前回に歩いた奈良県宇陀郡の曽爾村と御杖村の間の峠だったよな。
ちなみにこの先の説明をメモっておくと、櫃坂というのは上多気(かみたけ)と松阪市飯南の間の峠で、櫃坂を下って平野部に出ると、今度は危険を伴う川渡りが難所に変わり、櫛田川の津留の渡しと宮川を越えると伊勢のまちに入るらしい。

今日の飼坂峠は如何程かと・・・・・ギブアップするべきか頑張るべきかをココで決めなければ峠の途中で後戻りはできない。2・3人の女性がバスに乗り込まれた。
決めかねている私に「ゆっくり登りましょう」と優しく声を掛けて下さった添乗員のNさんに勇気をもらって続行を決めた。ありがとうございます。頑張ります!固形のブドウ糖を1粒口に入れて歩き出した。

腰切り地蔵」の前を通り過ぎて見た標識には峠の頂上まで0.4kmとあった。「息はハァー ハァー 2回吐いて2回吸うようにして、ゆっくり小股で登るといいですよ。」いろんなアドバイスを頂き一生懸命息を整えながらNさんの後ろを歩いた。
0.2kmの標識そしてついにメンバーの皆さんの姿を目の前に頂上・「飼坂峠茶屋跡」に着いた。やった~!!登りきれた!  
ベンチの席を空けて下さった方に感謝、ありがとうございます。後ろの4人の方も到着となり喜び合った。とても嬉しかった。これぞ団体ならではの有難さ!皆んなのエネルギーが結集して成せる不思議である。
        

給水と行動食で疲れを吹っ飛ばし、出発の号令がかかった時には元気回復!列の真ん中に位置することが出来た。20分あまりで峠を下りて多気(たげ)という所に来た。
目の前に大きな太一常夜燈と「すぐいせ道」と刻まれた大きな道標がど~んと現われた。広い草地に立っている案内版には「旧三木屋跡」と書かれていた。江戸時代からの宿場町多気を代表する旅籠だったそうである。
続いて建ち並ぶ家々には「大嶋屋」「大和屋」「登富屋」etc.と旅籠のみならず職人さんや商人にも許されたらしい屋号が沢山あった。立派なしめ縄も私の目をひいた。

    


立川川を渡ると今日のゴール「道の駅美杉」まで5分ぐらいだったかな。今日のコースは彼と二人だけでは絶対に歩けなかったはず。ツアーならではの歩きに感謝。そして完歩できたことに満足満足。次回もツアーのお世話になろうと思う。





鳩にがし

2012-09-01 | 日記
斑鳩の里にある通称「ぽっくり寺」と言われている吉田寺(きちでんじ)の行事・「放生会」に行ってきた。
「放生会」は「鳩逃がし法要」とも「魚逃がし法要」とも言われ、本堂で戒を授けられた鳩や金魚が境内で放たれるというもの。
『命』を大切にする事を説く行事のようである。生き物をむやみに殺してはいけません。動植物の命をいただいて私達が生かされていることに感謝しましょうということかな・・・・・

昔、ご隠居様のお使いでこのお寺に来たことがあって、本堂に並んでいた沢山の木魚をみてびっくりしたのを覚えているだけだが、今日は改めて自分の意志で友人とここに来たのである。
山門をくぐると先ず目に映る青竹にハッとしてすがすがしい気持ちになり心が鎮まった。

本堂にお参りをした後「鳩にがし」迄には時間があったので、「福引券・お抹茶券、冷やし笹そうめん券」1000円也を買い求め離れのお座敷で頂戴した。近頃お抹茶を点てる心の落ち着きも忘れて過ごしていたので、今日は久しぶりに抹茶のお味を楽しませてもらった。冷たい喉越しのお素麺に一瞬暑さを忘れることが出来た。福引は2等賞で赤い小さな木魚の土鈴が当たりとても嬉しかった。
       (画像はクリックすると拡大する)

多宝塔に安置されている秘仏の大日如来像が今日はご開扉で拝顔できたのも嬉しかった。ちなみにこの美しい多宝塔と本堂のご本尊・金色鮮やかな大きな阿弥陀如来坐像(藤原時代後期)は国の重文だそうだ。

本堂は江戸時代に建て替えられたというが旧のお寺に使われていた鬼瓦なのだろうか?鐘楼の周りに置かれていた瓦がおもしろい。
鐘楼の鐘が7回打たれると「放生会」の作法が始まり、本堂での勤行が済むと鳥かごに入れられた鳩が境内に運び出された。辺りの雰囲気はお坊様の唱えられるお念仏で清浄な空気に包まれていた。。。。。
いよいよ鳩の放たれる瞬間がきた。お坊様は小さい子供達に「もっと近くにいらっしゃい!」と手を差し伸べて鳥かごの前に誘われた。子供達が紐を引くと鳥かごが開いて十数羽の鳩はバタバタと元気な羽音をたてて舞い上がった。
見物人は歓声をあげて空を見る。多宝塔の屋根の上を舞う鳩の白い姿は青空を背景にすばらしい景観であった。鈍な私はその素晴らしい一瞬をカメラで捕えることに失敗したが、2・3匹残った鳩の画像を見て想像したい。

行事のお役目を果した鳩は100匹とか。事がつつがなく運んでいく様子は穏やかで心に和むものがあった。お坊様のお顔も大変優しく感じた。
           

続いて山門を出て、方丈池に金魚200匹が放たれた。垣根越しにそれを見守る子供達。
世間では学校の“いじめ”で自らの命を絶つ子が増えているのが深刻な重大問題である。悲しいこの現状、きっと小さい頃からの教育が間違っているんだよな。少なくとも今日この行事に参加した子供たちは家族から命の大切さを教えられたに違いない。そして“いじめっ子”にはけっしてならないだろう。それだけでも幸せ家族のお手本ではないだろうか・・・・・

    


ぽっくり往生の寺」の看板を見て「いつかは必ず訪れるその日の為に自分も『ぽっくり往生』を願って、ゆっくりお参りに来ようね」と友人と話ながらお寺を後にした。
可愛い土鈴を机の上に飾って今日の日のしみじみとしたこの気持ちを忘れないようにしようと思う。
                             合掌