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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

一期一会の花

2018-04-28 | 日記
春たけなわ、散歩していると色んな草花が咲き乱れる風景に驚く。いったい何種類の草花があるのかしら?レンゲやたんぽぽ20種類ばかりは言えそうだが・・・・・

  4月28日(金)
今日はカメラを持って出かけることにした。
そうそう野の花の前に昨日大発見の花を撮ろう、何のことはない、我が家のワイヤープランツの花である。寒い冬をどうにか乗り越えて元気回復してきた様子を見守っていたら見つけたのである。そうでなければ決して気付かない小さな小さな花。えっ?コレってひょっとして花!?拡大鏡をかけて見た。確かに花びら5枚の花だ。円にすると直径4mmぐらいである。

針金のようなつる性の茎に小さな可愛い葉がいっぱい茂り、見るからに飾ってみたくなる植物である。ずっと昔にも育てようとしたが間もなく枯れてしまった。忙しい日常に癒しを求めたものの、お世話する楽しみ以上に求める気持ちの方が大きかったのだなぁ~。昨年の秋再びその気になって買って帰り、水やりは心掛けていたつもりである。(笑)

もう一つ奇妙な草花が庭の片隅で毎年顔を出す。名前は分からないが私は気に入っている。今日現在の様子、一方はひょろひょろしているので支えに小枝を添わせたけれど・・・(笑)

それから、風に飛ぶような薄っぺらな鉄砲ユリの種をただの好奇心でばらまいて置いたのが密集して芽が出ている。この先どうなるのか?ばらまいた時よりも興味がでてきたよ。一応画像を残しておこう。
下段写真右端、画面中央に見える葉の先についている靴ベラの様なのが種の皮のようだ。鉄砲ユリの種とはいったい誰が想像できようか。。。。。
  
         (画像はクリックすると拡大する)

それでは今日の散歩で出会った花と私をビックリさせてくれた田んぼの中のバージンロード・花の絨毯を敷いた畦道を思い出に残しておこう。(笑)

            
                                     

脚が不具合になって始った毎日の散歩、普段は見過ごす普通の景色を新鮮な生き生きした感覚で見直す事ができるこの不思議さ、幸せ感って心の持ち方かもなぁ・・・
だんだん暑くなるけれど毎日欠かさず歩こう。そして小さな発見に心を動かそう。。。。。
                                                                                                                                                                                                                                            


「番条のお大師さん」

2018-04-22 | 日記
お四国巡礼を済ませて早や8年、108ケ寺(88+20)の歩き遍路の体験は実に大きい。今思えば、よくぞ頑張ってくれたこの脚が愛おしい。
大和郡山市の番条町に『番条のお大師さん』という行事が年に一度弘法大師の命日4月21日に行われるのを昨年知って、この日を待っていた。
そう呼ばれる番条八十八カ所参りは幕末の文政13年(1830年)、コレラが流行り、丁度八十八軒あった村の人達が申し合わせて弘法大師を信仰するようになったのが始まりだそうである。
こちらに実家があるOさんが下さった資料にこんなエピソードが書かれていた。
【昔、ある家が荷車で引っ越しをしようと村を出る橋のたもとまで来たが、いくら牛の尻をたたいても動かなくなった。荷車に積んでいたお大師さんの厨子を降ろすと、途端に牛が歩き始めたという話が、村人の間に伝えられている。それ以来、村を離れる時には必ずお大師さんを隣近所や親戚に、またお寺に預けるようになったという。今に至るまで八八のお大師さんが1つも欠けずに残っているのである】   

  4月21日(土)
藪大師の祠に着いたのは午前8時40分、手押し車のお年寄りが「ようこそ、気を付けてゆっくりお参りください。」と、にこやかに迎えてくださった。
「どこからお参りすればいいのでしょうか?」と尋ねると、「どこからでもいいですよ。南の方すぐソコには88番があります。」「大窪寺ですね。」こんな会話をした後、私は先ず藪大師から始め、村の中に入ると最初のお家は81番白峯寺であった。観音開きのお逗子に向かって右の扉に札所の番号と寺名を、左側にはその札所のご詠歌が朱記されていた。ご詠歌は達筆過ぎて私には読めなかった。

           (画像はクリックすると拡大する)

彼がコピーしてくれた寺名に〇印をつけて廻りながら、気持ちの何処かで1番を探している私だった。(笑)
お参りを済ませたお宅で「1番札所は何処でしょうか?」と尋ねると、「ずっと向こうの北垣内ですわ。」と言われた。北と南の2つの大師溝があるらしい。
結果的に番条集落の今は88軒ではなく、阿弥陀堂に6ケ寺が預けられ、2ケ寺をお祀りされている家もあった。

10軒余り済ませ少し疲れを感じていたところ、阿弥陀院でお茶の接待を受けた。「どうぞお上りになってお茶でもどうぞ。」優しいお声がかかり靴を脱いでお堂に上がらせてもらった。平成15年に建て替えられたというお堂は法隆寺の宮大工・西岡棟梁のお弟子・小川さんにお願いしたのだと、ご住職は満足気にお話しされ、いろいろ聞かせて下さった。
ご本尊は大日如来像。一つ記憶に残したのは、大日如来様に向かって左が金剛界、右を胎蔵界と言って、左右に並ぶ仏様にも決まりがあり、曼陀羅にも二種類あるそうである。へぇ~・・・直ぐ忘れるだろうが、メモっておこう。

              

さて、民家で大師像を祀っている祠は88軒が同時スタートで何処も同じ形式の物であった。納められている大師像のお顔は違っていて、微笑んでいられるお顔や瞑想されている様なお顔もあり、手にしておられる三鈷やお数珠にも少しの違いがあった。
そして綺麗に飾られた祭壇にはお花やお膳やお餅が供えられお膳には高野豆腐や椎茸etc.の煮物、小豆ご飯、お澄ましそれにお浸し等であるが、皮つきの筍にはアクセントがあり、ビックリした。面白いなぁ~。
ろうそく・線香それに香炉や鈴(リン)も置かれていて、お参りに来た人はその線香を使っていいらしい。

お賽銭を入れ、お線香をあげ、お数珠をかけて合掌。現在の健康と日常に感謝の気持ちを8年ぶりに伝えると、とても素直な気持ちになれた。
お供えのお餅はお接待の意味合いで1つ頂いてもいいらしい。植木鉢に見事な牡丹の花を咲かせていらっしゃるお家で、「苺もどうぞ食べて下さい。」とご夫婦がニコニコ顔で勧めてくださった。お二人の仲の良さと家族の円満さがにじみ出ていて、一粒の苺は特別に美味しく、嬉しかった。

          
   
11時半、開放されている公民館で持参したおにぎりとおやつをお腹に入れた。
気温25度以上、皆さん「暑い 暑い」と言いながら汗をぬぐって休憩していられた。再び歩き始めると、徳島県22番札所・平等寺のお坊様が数人の参拝者と共に来ておられた。お声をかけると気さくに笑顔で応じて下さったのも今日の思い出の一つ。
それから一人の男性が私に「四国参り20回したんだよ。」と話しかけて来られ、ご朱印でページが真っ赤になった帳面を見せられた。「高野山ではご朱印帳を見る時は合掌するんです。」と言われ勉強させられた。この人、私に何を言わせたかったのだろう・・・不思議な人に会ったなぁ~。
更にそれから近年は年賀状だけになっていた40年来の友人にも会った。笑顔を見てお互いに再会を喜んだのだが、こういうのをお大師さまのお引き合わせと言うのかな。。。。。

あっ そうそう、熊野神社で一服をしていた時である。
外村の人らしき一人の男性が「コレ懐紙やねん。お接待用にと思ってお供えに持って来たんやけど、もろといて。」と言って封筒を差し出して下さった。大阪の会社名が書かれている。そういえば大師堂でもお供えを差し出していたお年寄りの参拝者がいられた。村の方達からお接待を受けるばかりのお参りではなく、お供えをする参拝者も居られるのを知った。
    
1番札所も参拝した。暫くこの土地を離れていられたそうだが、お寺に預けていたお逗子を引き取りお祀りしているとの事、頻繁に高野山参りをされていたお母さんの思い出話等聞いた。
午後2時、そろそろ体力の限界を感じてきたので最後に88番札所を参拝して終わる事にした。「全部廻る積もりです!」と張り切っておられた二人連れの人達はどうされたかな?夕方まで歩けば完歩できたかも知れないなぁ~。
見知らぬ人に「来年また会いましょう。」と、暑さで変形しかけたチョコレートを頂き、残りわずかになった水筒の水を飲んで村を後にした。

          

1つの村全戸が弘法大師像を祀り、村を一周すれば四国88ケ所参りができるなんて!(2018−1830)年続いたこの村の風習がこれからもずっと続きます様に、来年は今年の残した分を頑張って、88ケ所を是非完歩したいと思う。

そして残った課題がもう1つ。とあるお屋敷の一角で見た猿像、烏帽子を被り陣羽織を着て手には日の丸扇を持っている、なかなか威厳な表情の猿である。来年はココのお家の人に是非尋ねてみたいと思っている。      
自分なりに一生懸命歩き、お接待を受けたお餅を楽しみに帰宅。冷コーを作って餡子の入った柔らかい大福餅を頬張ると、今日一日が幸せな尊い日であった様に思えた。合掌




高見の桜

2018-04-16 | 日記
葉桜の季節を迎える時期になってきたが、私には気になっていた郷がある。東吉野村の「天空の庭 高見の郷」である。東吉野村の大自然の中に人工の庭が作られ1000本の枝垂れ桜が植えられているという。是非見てみたいと思いながら、車でしか行けないと聞いていたので運転免許を返上した今はどうにもならなかったのである。
近鉄線竹田駅発のツアーに参加した。

  4月14日(土)
桜の季節が終わり近くなって、果たして花を見られるかどうか不安を抱えながらの37名ツアーであった。仏隆寺の桜は終わっているとの事で、11時30分、駐車場となった「高井の驛」でメンバーの皆さんを見送り私達2人は行かなかった。
仏隆寺の桜は実に見事で、過去に数回見たし、秋の彼岸花の季節にも訪れている。聞くところによると、彼岸花は鹿や猪に食べられて壊滅状態らしい。球根を植えなおしておられるそうであるが、あの見事な階段風景を早く取り戻してほしいと思う。

さて居残った私は「高井の驛」で売られている地元の野菜を買い、すぐ近くに在る「伊豆神社」に行った。
新鮮な蕨・こごみ・芹・たらの芽や手作り柚子味噌・ブルーベリージャムetc.それにカヤランが嬉しい。最後の売れ残りらしいカラカラになっているカヤランを手に取ってちょっと迷ったが、何かしらの出逢いを感じて決心した。瀕死のこのランを我が家の桧に着生して元気になってもらおう・・・と。
そうそう綿クヌギと言う珍しい木の太い丸太で組まれている「高井の驛」の建物はシンプルでそれでいて素敵で、山里に似つかわしい「驛」にマッチしていたなぁ~。

伊豆神社は国道369号に出て右折すると直ぐである。社殿に向かって左側にある杉の巨木に驚いた。ご神木ではなかろうか・・・と思ったが、しめ縄が掛かっていないので失礼して写真を撮らせてもらった。幹囲6mは確実だろうし、高さは40mくらいかな?巨木が大好きな私、この偶然の発見にとても感動したし、境内に咲く満開の枝垂れ桜の下で、ツアーから配られた柿の葉寿司弁当と持参のおやつを食べて、良い時間を過ごした。メンバーの皆さんも桜の花は見れなくても山里の緑を満喫しながら2kmのウォーキングを楽しまれ、仏隆寺の桜の木の下でお弁当を楽しまれた様子。集合時間午後1時30分に合流した。

           (画像はクリックすると拡大する)

高見の里までは約40分で到着。深緑の山の一部に山肌の白い所が1000本しだれ桜の高見の郷である。散った桜もあったが、充分『見頃』の範疇にあって、観光客もいっぱいだった。
駐車場から「天空の庭」まで桜を見ながら歩くつもりで来たが、階段約700段と聞けば、脚をかばってシャトルバスを利用した。「天空の庭」から「千年の丘」(展望台)まではバスは無く、杖と一緒にゆっくりゆっくり登った。足元が気になって、桜を見ながらというわけにはいかなかったが、歩いては止まり桜を見て歩いては止まり見て、納得のペースで登った。

          

山一面に薄紅のしだれ桜が枝を垂れ、確かに今までに見た事のない景色だった。ただ山肌が白く見えるのは砂や小石が顔を出しているからで、桜にとっては心もとない居場所ではなかろうかと、桜の気持ちを想像した。
オープンしたのは2009年というから桜も随分成長したはず、雪柳やレンギョウも桜の引き立て役として一生懸命頑張っているようで何かしら健気さを感じた。(笑)

杉やヒノキの個人の持ち山がこんなに大きな変身を遂げるとは! 桜の山となってバスが走っているのである。
桜の見事さのみならず、細い急勾配の坂道を21人乗せて走るシャトルバスの運転手さんの力量も凄かった。カーブでハンドルをきる様子を真横から見ているとちょっと怖かった。バスの中に歓声が上がり、私も心の中で拍手した。
             

上段写真左端の展望台・「千年の丘」の標高は700mらしい。桜の庭は遠く深緑の連山を背景にして、不思議な空間であった。
階段を踏みしめゆっくり下りて「天空の庭」で一休み、ソフトクリームとみたらし団子が美味しかった(笑)
今日は花も団子も両方楽しんだお桜見で、明日は蕨ご飯と山菜の天ぷらを作ろう、楽しみだなぁ~。。。。。

マイカーで行っても駐車料金は無料(入山料大人1000円也)だそうだが、交通手段のバスの便がたくさん欲しい所だよな。   

史蹟高取城阯

2018-04-06 | 日記
今年は随分早い桜の開花であったが晴天続きでお天気に恵まれ、誰もがお桜見には満足出来たにちがいない。私も一人で近くをうろうろ彼方此方で、孫らと兵庫県夙川でそして昨日は彼と高取城跡へ行って、残り桜の丁度満開を見た。平地より少し遅めの吉野の桜は今からシーズンで、近鉄橿原神宮駅から吉野行の電車は満員だった。

  4月5日(金)
暑くもなく寒くもなく歩きには絶好の日和、にわかに思い立ち、兼ねてより念願の高取城跡行きを実行した。脚をかばって、壺阪山駅から水車小屋までタクシーを利用する。

奈良県高市郡にあり、今は石垣のみ残すだけだがその規模は日本一広大な山城で、日本三大山城(岐阜県 美濃岩村城・奈良県 大和高取城・岡山県 備中松山城)の1つだという。豊臣秀長が築いた大和郡山城の支城の一つで、山城でありながら石垣、天守、櫓、門、殿舎まで築かれていたそうだ。日本100名城の1つでもある。(大和郡山城は昨年続日本100名城に認定された。)

余談ながら、高取の地を知ったのは若かりし頃、秋の「たかとり城まつり」の催し物で大道芸「玉すだれ」に参加したのが初めてであった。その時、会場のすぐ近くに植村邸(家老屋敷長屋門)を見て城下町を意識したのであるが、それ以上関心は深まらなかった。でも綺麗な“なまこ壁”は印象深く記憶に残っている。
沢山の武将姿の人達の行列も有ったよな。その立派な鎧兜の衣装は段ボールで作られているのだと聞いてビックリ仰天したものだ。

その後土佐街道の街並みにお雛祭りが催される(3月1日~31日)ようになり、県外の友人をよく連れて歩いた。“屋形雛”に興味を持ったのもそれからである。今では大和郡山市の「大和な雛祭り」で葉本家の立派なの(昭和10年頃らしい)を見せて頂けて、旧家のお道具は大したものだなぁ~とつくづく思う。

さて、水車小屋の前の上子島沢砂防公園(かみこしま・さわ・さぼうこうえん)はとても素敵な場所だった。桜はほぼ散ってしまって道路は薄ピンクに染まり、傍らに積もった花びらがピンクの長い長い弧を描いていた。お桜見はダメでも雪柳etc.が見事に咲き誇り、お花見は充分に楽しめた。鴬の声に元気をもらい、美味しい空気と川のせせらぎに心が癒された。
           
                               (画像はクリックすると拡大する)
  
杉・桧林の中、緩やかな山道を500mばかり行くと、「黒門跡」と書かれた小さな立札があった。
ココが高取城の「一ノ門跡」で、いよいよ城郭に踏み込んだ事になるらしい。
タクシー会社で頂いたパンフの絵地図を見ながら実際に見たいろいろな立札と照らし合わせながら、今からもう一度歩いてみようと思う。

近くに宗泉寺(そうせんじ)が在った。高取藩主・植村氏の菩提寺だったそうだ。
起源説にはいろいろ有るようだが、高取城は南北朝時代(1336年~1392年)に南朝方の越智氏によって築かれ、天正13年(1585年)に豊臣秀長の家臣であった本多氏と寛永17年(1640年)に城主となった植村氏によって大改修されたという。
高取町観光ガイドで読んだ一部をコピーさせてもらうと、〔高取藩は、江戸時代になってからは藩主は植村家で終始しました。14代続き、8代目家長は老中になっています。初代家政は、徳川家康を支えた16人の武将(16神将)の一人であり、槍一筋の家柄です。〕

大手道登城案内板が随所に建てられていて、解り易くて楽しく、黒門跡から本丸まで1836m、高低差約350mもゆっくり登れば疲れは随分軽減された。大手道というのは城下町から城へ登る道を古くは「大手道」と呼んだそうで、往時は今より道幅は広く、馬や駕籠が行き交っていたそうだ。
くねくね曲がりくねった「七曲り」や長い直線の「一升坂」は難所である。一升坂の名称は築城の際この急坂を石材を運ぶ人夫に米一升を加増した事によるらしい。この道を辿って高取山の頂上標高583.6mにお城が完成するまでにはどれ程の労働力が注がれたか想像に絶する。
  
無事「七曲り」と「一升坂」を上り詰めた所に、「岩屋不動120m」の立札を見た。コースから逸れた所に在るわけで、彼が「どうする。行くか?」と尋ねた。私は透かさず「行く!」と答えた。(笑)
ソコは岩屋神社跡らしい。不動明王と文殊菩薩と役の小角(えんのおづの)の3つの石像、そしてお百度石が在った。ちょっと感動して、頑張って良かったと思った。

                  

「あっ 石垣だ!」、あちこちに石塁が見えてきて何かしら胸がときめき始めた。石垣から木が生えて崩れかけているのもたくさん有って歴史を感じる。
間もなく「猿石」に到着。想像していた以上に見応えがあって嬉しくなった。高さ85cm、幅75cm、厚さ65cmらしい。丸い顔に丸い目と丸い鼻、面白い顔つきである。
私はこの猿を見るなり思い出した猿がある。20年ほど前の事、友人のNさんと明日香村をサイクリングで廻った時である。吉備姫王(きびひめのみこ)の墓の柵の内側に不思議な4体の猿の石像が置かれていたのである。この猿は元禄年間に明日香村で発見されココに運ばれたというから、ひょっとしてあの猿達のお仲間の1つだったかも知れないよなぁ・・・・・
(ココで道は二手に分かれ、明日香村栢森(かやのもり)にも行けるらしい。)

       

「猿石」から歩く事2分、「二ノ門跡」の立札と石垣造りの水堀があった。たっぷりと水が溜まり蛙か何かがポチャンと水音と渦を残して消えていった。茂る木々に囲まれ辺りは薄暗く一人だったらちょっと不気味かもしれないが、こんな山中で大昔から今なお枯れずに在る池に何かしら神秘的な力を感じたよ。大和川の支流高取川の源流になるらしい。
こちらの大手道案内板には、本丸まで872mと書かれていた。

更に進んで15分、「国見櫓跡」の立札に誘われ横道に入っていくと、目の前に青空が広がってきた。眼下に二上山・葛城山・金剛山そして生駒山や大和三山他青垣の山々が見渡せた。お天気の良い日には遠く六甲山や大阪市内のビル群それに比叡山も見渡せるという、正にその名の通りの国見の場所だった。二層造りの櫓が建っていたそうである。
12時40分、絶景を見下ろしそよ風を感じながらおにぎり弁当とおやつを食べ、すっかり幸せ気分になれた。(笑)案内板には本丸まで763mとある。

       ←大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)を確認  

歩いて歩いて「矢場門跡」、「松の門跡」、「宇陀門跡」「千早門跡」を越えてきた。。
本丸が近くなるにつれ累々と連なる石垣はだんだん立派になっていく。苔むした巨大な石垣を見上げると息を呑んでしまう程の感動が押し寄せて来る。

           ←千早門跡

                

そして来た来た大手門(本丸まで289m)、「大手門跡」に踏み込むと更に緊張が走った。「十三間多聞跡」、を通って二の丸の広い平地部分に来ると桜の木が数本、今日が満開の様子で小枝を揺らせていた。綺麗だった。「十五間多聞跡」を通って太鼓櫓跡に登って見下すと又趣が違って素敵だった。この日の良きタイミング!高取城跡で見た桜としていつまでも心に残りそう。。。。。
                                
                           

本丸に向かうと大きな一刀彫の熊さんが案内板を持って迎えてくれる。なんとも愛嬌があって微笑ましい。横にはやはり一刀彫のお城が建っている。ノミ跡に触れてみると、一体どんな人がどんな思いで造ったのかな、と思わず製作中の姿を想像してみたよ。(笑)
本丸の念の入った桝形虎口を抜けて天守台に登ると高取山の三角点があった。ここぞ高取山の頂上である。大天守と小天守が在ったらしい。本当に凄い山城だったんだ。。。。。
特に高さ約12mという本丸天守台の石垣には圧倒される。大手門から本丸の凄さはここに投稿したわずかな小さい写真では到底伝わらないのが残念であるが、瞼に確かり焼き付いたよ。私のこの足では二度と来れない場所だが、一生忘れないと思う。

            

言葉では表現出来ない大きな感動を胸に気分はとても爽やかで、帰りは「大手門跡」を出てから壷阪寺方面に進み「壺阪口中門跡」、「壺阪口門跡」を通って山を下りた。そして午後2時20分、五百羅漢を観るべく「壷阪寺大淀古道」に踏み込んだ。一苦労の道であったが、訪れること2回目の彼なので安心して付いて行けた。
午後2時56分、阿羅漢像群の一角が見えた時は「おおぉ!」と声が漏れた。かなり広範囲の岩肌にいろんな仏様が無数に彫り込まれていて、見事であった。風化が進んではっきりしない部分も多かったが、見るからに仏様の世界を連想できた。ふと見ると赤い落ち椿が花を添えていた。 

             
 
ヘトヘト感の疲れも吹っ飛ぶこの感動、いい日一日ありがとう!
壷阪寺からタクシーを拾う予定だったのに、丁度発車寸前のバスがあって乗車。
最後に壺阪寺の境内入り口に咲いていた花がとても綺麗だったので、2・3枚残しておこう。

           おわり