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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

奈良を歩いた2日間

2019-10-28 | 日記
  10月26日(土)

今年の天平大菊人形展は10月19日(土)から始まっていて27日(日)迄だった。私は菊人形が好きで一昨日ぶらりと見に出かけた。会場が今年4月にオープンした奈良公園バスターミナルの屋上広場と言う事で、奈良県が45億円もかけて整備したのに利用は少なく頭を痛めているという駐車場にも関心があった。
確かに市内は観光バスがいっぱい行き交っている割には空きスペースが目立っていたなぁ~。

屋上広場に上がると大仏殿の屋根がすぐ目の前に、そして興福寺の五重塔や若草山も菊人形にカメラを向けると一端を担っていた。ベンチに腰かけると、前日の雨に洗われた緑の美しい青垣に癒され、古都の雰囲気たっぷりの素晴らしい場所だった。
菊人形は鳥毛立女屏風、立女の顔も作られていた。それに前年度に加えて聖武天皇や光明皇后そして唐の玄宗皇帝もあった。
使われている色とりどりの大小様々な菊の数は4万5千本とか、下草を混ぜれば100万本以上になるらしい。平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)・螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんのごげんびわ)は昨年に優るとも劣らない美しさだった。( 菊人形:阿倍仲麻呂、玄奘、吉備真備、玄宗皇帝、聖武天皇、光明皇后 )

            
                                     (画像はクリックすると拡大する)

「来年も楽しみにしています。」と言って、会場を去り、本日から開催の第71回目の正倉院展を観るべく国立博物館に向かった。何という奇遇か待ち時間なしで入館できた。
ちなみに今年は天皇陛下の御即位を記念して東京に於いても10月14日(月)~11月24日(日)まで開催されるらしい。

私の気持ちを正倉院展に向かわせたのは、聖武天皇の愛用調度品であったという「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」(「樹下美人図」)が20年ぶりに6扇そろって出陳とのことで是非観たかったのである。6扇には唐の風俗を反映したという髪を結いあげた天平美人が樹の下でふくよかな姿で立っていた。かつては日本産ヤマドリの羽毛が貼られていたらしいが今は剥がれ、プロの眼がかろうじて分かる程度に残っているだけらしい。
出陳されている41件の宝物の中で、同じく20年ぶりの綺麗な金銀飾りの琴・金銀平文琴(きんぎんひょうもんきん)・紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえこうろ)が私には印象的であった。1300年昔の繊細な工芸技術力に驚かない人は居ないだろう。

聖武天皇や光明皇后の礼服御冠の残欠に鳳凰を象った繊細な金具の飾りがあった。しかも翼を広げた華やかな鳳凰で、へぇ~・・・当時の人々の美的感覚に触れた気がした。
今年も心満たされて帰る途中、明日は久しぶりにもう一度正倉院へ行こう、と思った。勿論見学は校倉造の高床式建物の外構だけしか出来ないが。。。。。


  10月27日(日)
どうやら雨は降らないようで、出かける元気が湧いてきた。
昨日正倉院展で色んな宝物を観た後ゆえに今日見る正倉院には気持ちが入っていた。扉が3つあって北倉(ほくそう)、中倉(ちゅうそう)、南倉(なんそう)の3区画に分かれているのを初めて意識した次第。(笑)
又、高床の校倉造(あぜくらづくり)倉庫は薬師寺の経蔵を見慣れているので、今回この大きさに改めて感動した。全長33m、高さ14m、奥行き9.4mの巨大なそして何とすっきりしたデザインの素晴らしい建造物であることよ!

      

710年都が平城京に遷り724年に聖武天皇が即位し、752年に東大寺の大仏が完成し、756年に聖武天皇が亡くなり、756年に光明皇后が天皇の遺愛の品々を大仏に献納して正倉院宝物が誕生したそうだ。元は東大寺の倉庫であったという正倉院は平成9年に国宝になり、翌年には世界遺産に登録されたという。現在、宝物はすべて傍らに建っている新しい鉄筋の建物の中に保管されていて、庫の中は空だそうだ。
事務所に寄ってみると皇室カレンダーが1000円で販売されていた。成程ココは国が管理している所だからこのカレンダーが置かれているんだと分かった。

東大寺戒壇堂に立ち寄り、大仏池の鹿と遊び、県庁前に戻ってきた。
この時期、県庁前は「にぎわい回廊」と称して色んな出店や催し物が並んでいて、ふと声を掛けられ、折り紙で鹿を折った。奈良公園と鹿、なかなかいいお土産が出来て嬉しく大事に持ち帰ったよ。(笑)

      

この後平城宮跡の東院庭園へ行こうと思っていたが近鉄駅の観光案内所に寄ってみると、今、復原整備工事中の大極殿院南門の特別公開中だと聞いて、先ずはそちらへと気が向いた。“ぐるっとバス”で朱雀門広場で下車。先ず朱雀門に向かう。門の向こうに南門の素屋根が見えた。
ところが朱雀門を抜けて大極殿までは近鉄線路を越え、かなり距離があった。歩いてビックリ!である。

       

南門素屋根の中1階2階3階へ上がって見学する。
実際の木材加工現場で宮大工さんが槍鉋(やりがんな)とかいう道具で1尺8寸の太い柱をスルスルと削られるのを見て感動した。南門の設計図等のパネル展示も沢山並び、建設途中の構造が各部材の説明付きでいろいろ見学出来た。難しい事はいっさい解らなくとも感動する。2・3質問すると丁寧に答えて下さった。
専用のゴーグルを付けてVR体験もした。人工現実感が得られるVR( Virtual Reality )は、仁徳天皇陵で体験して2回目、科学の進歩に驚く。
来年の秋の完成が楽しみだなぁ~。

            

時計を見ると、午後3時25分、東院庭園へ行くのは諦め、大極殿に入った。
先日10月22日にテレビで見た令和の「即位礼正殿の儀」で見た高御座を思い出し、大極殿の中にある復元された古代の高御座を改めて見たくなったのである。ホント物好きだよな。(笑)
御帳台(みちょうだい)は無く、高御座の周りに有る6本の幡に注目、太陽、月、青龍、朱雀、白虎、玄武が描かれているのを知った。以前に見た時は幡の絵には興味がなかったよ。年齢が変わると見方の変わる面白さ!(笑)

      
  
色々な発見にドキドキし、南門見学で頂いた欅の鉋屑をお風呂の湯に浮かせてみようかな等と思いつつ大満足で家路についた。疲れた!  (おしまい)
















明神山

2019-10-23 | 日記
5月に年号が変わって半年、新しい天皇陛下の「即位礼正殿(せいでん)の儀」が昨日2019年10月22日(火)行われた。
186ケ国、国外の元首や祝賀使節が1999人参列されたらしい。私達国民もお祝いする意味合いで今年に限り休日となった。〔 天皇皇后両陛下のパレード・「祝賀御列(おんれつ)の儀」はこの度の台風19号によって犠牲になった人々や家族への配慮から11月10日に延期 ]
高御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)にそれぞれ昇られた徳仁天皇と雅子妃殿下のお姿がテレビ画面に綺麗に映し出されて感動した。儀式装束の何と奥ゆかしく素晴らしいこと!
天皇陛下の装束は「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と言うらしい。皇后陛下は十二単、一番上の唐衣の下の薄紫色の表着(うわぎ)には雅子皇后さまのお印「ハマナス」の紋が入っているとか。ハマナスの花ってどんな花なんだろう。

平成に変わる時は「正殿の儀」よりもパレードでの美智子妃殿下ばかりに注目しながらテレビ画面を見ていたのを思い出す。令和の今回は陛下の「お言葉」(国民の幸せと世界平和)にも注目、内閣総理大臣の祝辞である「寿詞」(よごと)の読み上げも万歳三唱をも確り見たよ。(笑)

  10月22日(火)
青空が見えたので兼ねてより登りたいと思っていた北葛城郡王寺町にある明神山(標高273.6m)に出かけた。
JR王寺駅からバスに乗って明神4丁目で下車。赤い大きな鳥居から坂が始まっていたが頂上迄の道は歩き易く整備されていた。1.87kmの距離も「頂上まで〇〇m」の表示があり元気が持続出来た。かつては大和と河内を結ぶ「送迎(ひるめ)道」があったとか。
途中視界が開けた所で丁度前方に、昭和6年頃に地滑りが頻繁に起きた「亀の瀬」が、そして信貴山やその右手向こうにアンテナが並ぶ生駒山が眺望出来た。

          (画像はクリックすると拡大する)

山を下りてこられる人達の何と清々しいお顔!360度の見晴らしに大満足されてきたのだろう。
空を見上げると少し雲が出てきたようで。急ごう!と一生懸命の私に「頑張ってください!」と笑顔で声を掛けてもらい、赤い鳥居の先が見えた瞬間はとても嬉しかった。水の神様を祀る水神社の鳥居である。
頂上にはこの神社と悠久の鐘と展望台があって、展望台には大型の風景地図が置かれていてとても解り易かった。

          

奈良県側北の方向を見ると先ほど見た信貴山や生駒山が確認できた。北東に彼は若草山を見たそうだが、私は霞みがかって見られず残念。若草山が見えると、興福寺の五重塔や二月堂の屋根それに大仏殿の屋根も見えるはず。彼のカメラにかろうじて写っている画像をもらっておこう。
望遠鏡で法隆寺の五重塔を確認できて気持ちは慰められた。(笑)

      

違う展望台から望んだ奈良県側の南東方向には大和三山が右から畝山・香具山・耳成山が見えた。和歌山県方向には二上山の男岳がはっきりと、そしてその向こうに葛城山と金剛山が薄く続いて見えた。
西側大坂方向にはあべのアルカスも見えたので大満足!快晴で空気が澄んでいれば、明石海峡大橋も見えるとか。。。。。
いずれの写真も霞んでバカチョンカメラで冴えないが、私の記憶には大丈夫。
  
        

若草山と明石海峡大橋と一生懸命捜したが見当たらなかった三角点に未練を残しながら下山。でも持参したお弁当を日の当たる気持ちの良い場所で食べ、これ(360度見える沢山の景色の内自分が是非確認したい箇所)だけの景色を肉眼で見れたのだから、来て良かった!と思えた。





題名のない日記

2019-10-20 | 日記
  2019年10月20日(日)
秋が深まってきたのを感じる今日この頃、やっぱり台風がやって来た。我が県では平穏な日常生活が送れていて有難い。
9月5日小笠原諸島に発生したと天気予報で聞いた台風15号は千葉県を襲い、2000本もの電柱をなぎ倒して大規模停電で人々の生活を脅かした。続いて台風19号が10月12日から13日未明、東海から関東そして東北地方を通過した。堤防が決壊・氾濫して町を飲み込んだという沢山の川に千曲川や多摩川の名を聞いて身近に感じた。幸いかな娘家族は無事との事でホッとしたが、家は流され、家族を失った人達の思いは如何ばかりかと・・・・・
昨日石垣を案内した埼玉県のご夫婦には被害がなかったようで良かった。

荒れ狂う自然災害に日本人皆んなが暗い気持ちになっている一方、10月10日明るい喜ばしいニュースも有った。リチュウムイオン電池の開発で、吉野彰氏がノーベル化学賞を受賞された。難しい事は解らず名前だけ知っていた電池だが、これはスマホやノートパソコンそれに今話題の電気自動車などに利用されている電池で、軽量且つ高出力で充電して繰り返し使えるものだそうだ。
「研究者は頭が柔らかくないといけない。真逆だが、執着心、あきらめないことも必要だ。」と、テレビ画面でにこやかに話された氏のお言葉は研究者のみならず夢に向かって頑張る若者全てに伝わって欲しい気がするなぁ~。

世界中あちこちに飛び交う様々なニュースに一喜一憂の瞬間もあるが、片隅で生きる私は些細なことに感動しながら日々を大切にしたい。
カメラに貯まっている画像を消去する前にその瞬間を思い出しながら取り出しておこう。

      散歩で見つけたバッタとカタクリの花  

      植木鉢で育ったムカゴと綿の実

      初めて見た生のバジルとミョウガの花

      金魚さん見て頂戴、私 編み物に挑戦よ!

      炭火を起こしてお餅を焼く。Kさんにありがとう。  




粟津温泉へ

2019-10-01 | 日記

2019年10月1日、今日から消費税が10%に引き上げられた。5%から8%に上がった2014年4月以来17年ぶりだが、この度は「軽減税率」とやらの導入で生活必需品の税率は今までの8%に据え置かれる。
対象となるのは・飲食料品(お酒・外食を除く)・新聞(定期購読契約の週2回以上発行されるもの)だそうだが、ややこしいなぁ~
考えても仕方がない事は考えず、3日前に買った小さい可愛い花でも見て楽しもうかな。蕾いっぱいで嬉しいなぁ。

  2019年9月29日(日)~30日(月)
北陸最古の温泉と言われる粟津温泉「法師」にチェックインしたのは午後2時35分。夕食を6時半に予約して、近辺の散策に出かけた。
玄関を出ると目の前、道路の真ん中に「黄門杉」という名の樹齢約400年の大杉があり、説明板に【 加賀藩三代藩主前田利常(としつね)公が那谷寺(なたでら)参拝の途中、この地に立ち寄られ、お手植えになったもの 】と書かれていた。
豊臣政権の五大老の一人、加賀100万石の大名として前田利家の名は浮かんでも、利常については何も思い出せない私だった。そして黄門とは中納言に使われる言葉だそうで、良く分からないまま私は水戸光圀公の『水戸黄門』のテレビドラマを思い出し、「黄門」を頭の中でひとり探っていた。(苦笑)

        (画像はクリックすると拡大する)

交流広場から石段を上り杉木立の中で不動明王を拝し更に石段を上がると大王寺本堂があった。約1300年前の養老二年(718年)に泰澄大師(たいちょうだいし)によって開かれた「高野山真言宗」の寺院らしい。
ご本尊は 一寸八分の掛仏「薬師瑠璃光如来」で等身大の「聖観世音菩薩」の光背中央に掛けられていて秘仏との事。
お堂の中は薄暗かったが、じっとこちらを見つめていられる大きな薬師如来坐像(桧の木造)を拝することが出来た。
お堂の横には、石碑「粟津温泉の開祖 泰澄大師」が立ち、石段を上がると大師の巨大な石像が有った。

              

そしてその横に白山神社があり、神仏習合時代の風習が今も残る土地柄に何かしら郷愁を感じた。
珠玉を抱えた立派な獅子像を左手に見て更に長い石段を上って行くと、神殿の前に静かに佇む狛犬とほっそりした神馬像そして奉納された石像が数基置かれていた。
祭神は伊弉諾尊(イサナギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)、菊理媛命(ククリヒメのミコト)らしい。
菊理媛命は白山信仰の祭神・白山比咩大神(シラヤマヒメノカミ)と同一で日本書紀にも登場する女神様らしい。伊弉諾尊と伊弉冉尊の夫婦喧嘩の仲裁をしたという事で、縁結びの神様とされているとか。
それで納得したのが、この後歩いた「祈りの小径」の先には恋人の聖地として「平和の鐘」や湯宿の使用人お末と竹松の恋物語にまつわる「おっしょべ滝」や「おっしょべ公園」などが設えてあった。白山麓になんとまぁ~ほっこりする事よ。(笑)

            

さてさて、私は「祈りの小径」が大変気に入った。西国33ケ所の石仏が配され、所々に白い彼岸花が咲き、小鳥のさえずりが聞こえる林道を木漏れ日を浴びながら歩くのである。
逆方向から一人の女性が来られ聞くと、歩く速さに後れを取って団体さんから取り残されたようだった。私も団体さんだったら同じ様になるだろうなぁ~、林道で年寄り一人は少々寂しいし、2人でゆっくり歩くのがいいんだよな。
街の足湯では地元の人とおしゃべりを楽しみ、この散策にすっかり癒されて旅館に戻り、温泉に浸かり美味しい夕食を頂いて就寝。

          
                    
     

  翌 9月30日(月)
朝食前に少しだけ散策した。お陰でお気に入りの九谷お茶碗が見つかり大満足!私は贅沢を知らず、お茶碗一個、お箸一膳新しいのに出会うと喜ぶお金の掛からない女である。(笑)

旅館の送迎バスで那谷寺まで乗せてもらった。
那谷寺は開創から1300年。717年に泰澄大師によって霊峰白山が開かれ、同時に開創されたお寺だそうだ。山門をくぐって左、金堂華王殿(けおうでん)に入る。平成2年に再建されたその新しい殿には新しい大きな十一面千手観世音菩薩が祀られていた。(撮影禁止)

受付で特別拝観もお願いしていたので、琉美園(りゅうび園)に進んで、「三尊石」(さんぞんせき)を見た。自然石の岩面が3つに別れていることから名づけられたそうだ。
奈良県の宇陀、大野寺の弥勒摩崖仏を思い出した。あちらは造形感性の優れた腕利きの仏師の手によって像高11.5mの弥勒仏立像を線刻したものであるが、遠目には一見よく似ているよな。
利常公が使った書院も特別拝観出来た。
      

岩山を貫く普門閣隧道を抜けて宝物館に入る。利常公の肖像画や平安時代の両界曼陀図(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼陀羅)他いろいろ観た。那谷寺は南北朝の争いで多くを焼失したが利常公によって復興されたそうで、粟津の人達には利常公を敬愛する心がずっと引き継がれているのを感じた。  
                 

木々の茂る参道を進んで行くと、幾つもの洞窟が口を開けている奇岩の不思議な光景が目に飛び込んできた。
それから本堂の大悲閣に向かうと、また驚いた。本堂は岩山につながり、その前面にある拝殿は、京都の清水寺と同じ懸造(かけづくり)になっている。
一昨年2017年に行われた白山開山一千三百年神式大祭では、ご本尊、十一面千手観世音菩薩を安置している岩屋の中の厨子の扉が開かれ、33年に一度のご開帳があったそうだ。

              

本殿入り口で、花山院法王と十一面千手観世音菩薩を祀る洞窟の中を歩く「いわや胎内くぐり」をすると、< ウマレキヨマル >を体感出来るという。《 この世の罪を洗い流し、再び母の胎内より新しい自分に白く清く魂が生まれ変わり、出直すことを祈る 》、そう思って巡ると本当に清められた思いがしたなぁ~・・・・・

次に三重塔(1642年)を観る。比較的小さい塔(塔高11.6m)だが、とても装飾性に富み全体が芸術的だった。外壁には唐獅子や牡丹の浮き彫りが施されていた。中に大日如来様が祀られていた。

赤い「風月橋」を渡り下ると芭蕉の句碑「石山の 石より白し 秋の風」があった。芭蕉は元禄2年(1689)に訪れていたようである。

          

お寺の建物ほとんどが国の重文で鐘楼や護摩堂も観たかったが加賀周遊バスの時刻があり、パスしてお寺を後に「ゆのくにの森」へ行った。
ここは加賀伝統工芸村で、九谷焼の館や金箔の館、輪島塗の館、山中塗の館他色々な伝統工芸の体験が出来る館があった。
そばが美味しいと聞いていたので先ず昼食にした。
一周して印象に残ったのは友禅流しを見た事、友禅の館前に設えた谷から落ちる川に、色鮮やかな五彩の友禅流しが実演されていてとても綺麗だった。
        

「あわづ温泉って湯だけよ。」と、他の楽しみが無いように聞いていたが、私は歴史の重みにすっかり感動して充分満足できた。
2月26~27日の山中温泉から始まって、北陸の温泉旅行にはまりそう・・・(笑)