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お月見

2017-10-05 | 日記
今年の十五夜(中秋の名月)は昨日だった。3月にオープンした大和郡山城跡の天守台で観月会が催されるというので、真ん丸お月さまを一度は展望台から眺めておきたいと思い、出かけた。”真ん丸お月さま”と言っても正確には満月は6日だそうだが、まぁ許されるだろう。(笑)

  10月4日(水)
竹林橋を渡ると”かがり火”が焚かれ、5時30分からの開始に向けていろいろ準備中であった。
少々時間があったので、柳沢文庫の勝手口の片隅に置かれている二面石仏へ廻ってみた。郡山城の天守台石垣には「さかさ地蔵」の他にも数基の地蔵様が転用石として使われているが、この二面石仏もその1つだったらしい。
説明版の文章を、今、ここにそのままを書き写してみた。
      
  
    二面(両面)石仏について
    本石仏はそもそも鎌倉時代後期(今から700年くらい昔)頃につくられたもので、
    あの世で亡者を裁く十王のひとりと地獄に堕ちた亡者の救済者である地蔵を一つ
    の石材の表裏に彫りだした珍しい石仏といわれています。戦国末期に、この石仏
    は郡山城の石垣の材として他所から持ち込まれたものと推定されます。
     花崗岩(かこうがん)の石仏の表面には地蔵菩薩立像(首より上は欠損)とその
    両脇には冥界に住むという十王の像を左右五体ずつ彫り出しています。人は亡
    くなるとこれらの王の前で順番に生前の行いを裁かれたといいます。
     裏面には、机の前に 座った十王の一人と考えられる冥官が彫られ左に鉄の棒
    を持った鬼、右に従者が刻まれています。
     本石仏は、往時の郡山城をしのばせる石材であるとともに、鎌倉時代にも遡る、
    当時の人々の信仰を物語る遺品でもあります。
         参考:山川均氏 「郡山城あれこれ」(「大和郡山城」)

人は亡くなると生前の行いを裁かれるという話は母から常々聞かされていた。昔の子どもはそれを信じていたものだ。嘘をついてはダメ、人の物を盗ってはいけません、いじめてはなりません等々。閻魔様は微笑ましい良き「戒め」であったように思う。
ついでながら二面石といえば、明日香村に在る有名な橘寺の二面石、あちらは人の心の善と悪の二相を表現しているんだよな。

展望台に登ると、内濠の向こうに見える城址会館(旧奈良県立図書館でS43年こちらに移築)が夕日に照らされて輝いていた。明治時代(M41年)の建物だそうで大そう趣があって素敵だ。ズームで撮っておこう。
間もなく東の空に白いお月さまがぽっかり浮かんできた。辺りが次第に暗くなって、お月様も次第に色濃くなってまぁ~るくハッキリと見えてくる。お供えの団子とススキ、いいなぁ~。

1969年アポロ11号が初めて月面着陸に成功したというニュース、アームストロング船長が月面に降り立った映像が流れた時から私達のロマンは消えた。いまどき「月でウサギさんがお餅つきをしているのよ。」と幼子に話しかける母親は居ないだろう。我が娘たちは十五夜にそんな話をニコニコして聞いていたんだけれどなぁ~(笑)

          
近隣の人達が大勢出てこられる頃には、私は駅に向かわねばならなかったが、位置関係のシルエットが分り、お薄も頂き、それなりにお月見の雰囲気に浸れたので満足であった。ゆっくり歩きながら夜空を見上げ、まぁ~るい十五夜お月様を楽しんで家路についた。

今日の「十六夜月」(いざよいづき)は曇り空でぼんやりしている。明日の「立待月」(たちまちづき)はどうだろう・・・・・