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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

島の山古墳

2016-10-22 | 日記
我が家の鈴虫君はついに2匹となった。朝の6時ごろ夕方の7時ごろ耳を澄ますと応えてくれる。ありがとう。頑張って!毎日まるで家族のような気がするよなぁ~   
ここ数日ずっとお天気の良い日が続いて「行楽の秋」が楽しめる。色んな秋が有るけれど、この歳になって体力や視力に自信がなくなると「食欲の秋」が一番嬉しい。普段のシメジご飯の他に銀杏ご飯、落花生ご飯、枝豆ご飯、サツマイモご飯に里芋ご飯と、この頃は2合炊きの土鍋ご飯が大活躍の日々である。私はなんと「安上がりの女」だこと(笑)

  10月20日(木)
先日のサイクリングに味を占めて、季節の良い今のうちにもう一度遠出をしたくなった。もちろん一人ではダメで、彼の都合の良い今日は磯城郡川西町に在る『島の山古墳』に向かった。唐院の街並みに石標『島の山』があった。

周濠にはたっぷりと水が貯えられ、南向きの大きな(全長200m)前方後円墳で、4世紀末~5世紀初めに造られた竪穴式のものだそうだ。被葬者は女性とも考えられているそうだが、盗掘され荒らされていたり朽ちていたりで確かな事は解らないらしい。
昔はこの濠で魚釣りができ、中の竹藪へ入ることもできたそうだが、平成6年(1995)に発掘調査が始まり夥しい数の腕輪形石製品etc.が出てきて、今では国の史跡に指定され、濠の外周から眺めるしかなかった。出土した埋葬品は何処に保管されているのだろう?
        (画像はクリックすると拡大する)  

古墳の西側に比売久波神社(ひめくわじんじゃ)があった。延喜式神名帳に記載のある由緒ある神社だそうだ。本殿は春日大社摂社の若宮本殿(江戸時代の建造物)が移築されたそうで、私の大好きな春日造り檜皮葺の一間社であった。
本殿左にあると案内板に書かれている校倉づくりの宝庫は無かったよ。??? 現在は下段写真右から3番目のようになっている。頼りにしているんだから、もう少し親切で正確な案内板であってほしいなぁ・・・・・
拝殿と本殿の間に置かれている大きな石は島の山古墳石室の天井石と聞いている。
               

時間は前後するが、帰りに再び唐院に戻った。西国十九番立江寺のお地蔵様が何故か街の一角に祀られていると聞いて是非拝顔したかったのだ。台座には確かに「阿波立江寺」「西國第十九番」と刻まれていた。不思議だな、どんな経緯があったのだろう。知りたいなぁ~
私達が初めて徳島の立江寺を訪れたのはもう11年も前のこと、DVD編集に凝っていた時に作った『こころの故郷 徳島編』を開いてみると2005年7月13日だった。お土産に〝延命地蔵せんべい”を買って帰ったのを思い出す。
                                              

次に、飛鳥と斑鳩の里を結ぶ『太子道』に在る白山神社に立ち寄った。
太子が従者調子麿を従え愛馬の黒駒に乗っている像が在った。太子を忍んで昭和5年に建てられたという「黒駒に乗る太子銅像」は、大東亜戦争中に兵器製造の為金属類が全国から集められることになり取り外されたという。残っている大きな台座から思うにその銅像はかなり大きかったに違いない。下段左端の写真を拡大すると右奥に見えるのがそれである。(本殿は左奥に見える瑞垣の中、伊邪那美命が祭られているそうだ。)
太子が座して休憩されたと言う「腰掛石」もあった。よく見ると見える、その石に刻まれた「六」は一体何を意味するのだろう・・・・・
それから案内板に書いている「駒つなぎの柳」、黒駒を繋いだと言われる柳の木は別の木に代わっていてちょっとがっかり。やっぱり来訪者のロマンを大切にして欲しいよなぁ~
             


また、道路を隔てて向かい側の杵築神社(須佐男命を祀る)には拝殿左手に「屏風の清水」(井戸枠)が在って、傍らに『矢尻ノ井』と刻まれた石標が立っている。これは太子が従者の弓で地を打ち掘られたところ冷水がこんこんと涌き出たと言い伝えられているらしい。
拝殿には村人の温かい気持ちが伝わってくる様な「太子接待の絵馬」が掛かっていた。「屏風」というココの地名は村人が太子をもてなす時に屏風をたてて風を防いだことから来ているそうである。
ついでながら、拝殿正面に掛かっている「おかげ踊り絵馬」は奈良県の有形民俗文化財に指定されていて有名だ。太神宮の旗を持つ人、御幣を持つ人、扇子両手に踊る人、三味線を弾く人、太鼓を叩く人など伊勢神宮にお参りする沢山の人達が描かれている大きな絵馬である。人生に一度は伊勢神宮にお参りするのが人々の大きな夢で、特に江戸時代後期には大流行したという。慶応四年(1868)に奉納されたらしいが、綺麗に残っていた。
更に余談ながら、今は須佐男命を祀る杵築神社であるが、かつては牛頭(ゴズ)天皇を祀る牛頭天皇社であったらしく、境内に立つ昔からの古い常夜灯には「牛頭天皇宮」とか「牛頭天皇社」と刻まれていた。牛頭天皇と須佐男命は同じ神様なのかなぁ~
                                          
  
  
今日のもう1つの目的は忍性上人(1217~1303年)の記念碑を見ることだった。杵築神社から200m程南へ行くと、道の左側、川の傍に在った。言うまでもないが、慈善救済事業に生涯を奉げたこのお坊様はこの地で生まれられたそうである。87歳で生涯を閉じられた鎌倉の極楽寺と他3ケ寺から平成13年に「忍性菩薩生誕記念碑」が寄贈されたのを「忍性菩薩顕彰奉賛会」によってココに建てられたらしい。

色んな情報を下さった裕明君のお母様にありがとうございました。色んな発見に感動の一日でした。

法起寺へ

2016-10-13 | 日記
  10月13日(木)


お天気良し、斑鳩の里の法起寺へサイクリングを楽しむ気持ちでゆっくり時間をかけて行った。
法起寺前バス停の辻を入ると見えてきたコスモス畑が少々淋しかったのは、台風14号の影響らしい。いま一生懸命起き上がってきたところだそうだ。
斑鳩町大字岡本に在る法起寺(ほっきじ)は岡本寺とか池後寺(いけじりでら)とも呼ばれているそうだが、1993年法隆寺が世界遺産に登録されてから正式名は「ほうきじ」と言うらしい。
お寺の前身に岡本宮(おかもとのみや)という宮殿があって、かつて聖徳太子が法華経の講説(講義して説明すること)をされた場所だとか。。。。。

聖徳太子の御遺命によって宮殿がお寺に改められるにあたり、金堂や講堂が建ち706年には三重塔が完成し、伽藍が整えられたという。その後盛衰を繰り返しながら江戸時代には塔のみになっていたそうたが、篤いお坊様の努力で浄財が集められ建物の修復が成されて今に至っているらしい。

入り口の西門を入ると、受付には世界遺産登録証のコピーが額縁に入れられて掲げられていた。初めて目る世界遺産の登録証というもの、コピーであってもいい、へぇ~ コレが・・・と胸がドキドキした。証のコピーは左側で、右側のは日本語訳が添えられた物だ。
境内、池の向こうに国宝の三重塔が見えた。現存する我が国最古の三重塔らしい。一重の石檀上に立ち、三間四方で高さ23.9メートル、安定感のあるすっきりした塔で美しい。
        (画像はクリックすると拡大する)

塔だけ、と思っていたのに南大門や聖天堂(江戸時代1863年に建立)や講堂(江戸時代1694年に再建)や収蔵庫が在ってビックリした。そして収蔵庫には3m50cmもあるという大きな十一面観音菩薩立像(重文)が安置されていた。像の幹部は杉の一材から彫り出された10世紀後半(平安時代)の作だそうだ。余談ながら、同じく重文の像高20cmばかりの銅造菩薩立像が有って、こちらは奈良国立博物館に出陳中だそうである。
                      
拝観を終え、南大門の表側に廻ってみると、嬉しいことに畦道から綺麗なコスモス畑と三重塔が一緒に見えた。
                                                  
                                                                                                      
彼の希望で更に『藤ノ木古墳』まで足を延ばすことになった。
草に覆われた小山、勿論入り口は閉じられていたが、人の姿を感知するセンサーによって内部が点灯し、鉄扉にはめ込まれたガラス越しに石棺をかすかに見通せる様になっていた。
この古墳は崇峻天皇(すしゅんてんのう)の陵と考えられていた時期もあったそうだが、そうではないらしく昭和60年(1985)から63年にかけて3回行われた発掘調査によってその全容が明らかになったそうである。

6世紀後半に造られた直径48m、高さ9mの横穴式の円墳で、未盗掘だった故に2人の被葬者の他に見事な埋蔵品が沢山出てきたという。石標の説明を読んでも脳裡に伝わりにくかったが、近くに在った文化財センターでDVDの映写を見せてもらい、説明を受けながら埋葬品のレプリカを見て回ったので非常によく解った。
本物は橿原考古学博物館に保管されているらしいが、こちらのセンターで充分納得でき、大きな感動を覚えた。
                   
家型をした朱塗りの石棺の中に溜まっていたという水が抜き取られた時点の様子がそのまま再現されていたり、出土した馬具や大帯(おおおび)や太刀や剣、鎧や鉄製の鏃(やじり)や土器、靴や冠、ガラス玉etc.全て本物を思わせる見事なレプリカである。金属製品に施されている模様は素晴らしく学術的にも非常に価値の高い貴重なものらしい。
藤ノ木古墳に足を運ぶなら是非ともこちらのセンターに立ち寄るべきである。無料が有難い。
古墳石室特別一般公開が年に2回行われていて、次回は10月31日と11月1日らしい。


法起寺三重塔、コスモス畑、『藤ノ木古墳』に大満足のサイクリングであった。農家さんで枝豆や柿をゲットし古墳の日陰のベンチでおにぎりを食べたのも、ずっと記憶に残りそう。。。。。。。

太鼓台巡行

2016-10-09 | 日記
♪リーン リーン リィリィリ~ン♪ 近頃この声に張りがなくなり、か細くなってきた。ちょっと淋しい・・・朝起きて先ず耳を澄まして「あぁ 鳴いてる 鳴いてる。」と命を確認してから一日が始まるのである。
早朝散歩の帰りには柔らかい草をちぎって持ち帰えり、虫たちの側に置いて草の小山を作るのが私の役目。次の瞬間♪リーン リーン リーン♪はなんだか喜んでいるように聞こえるのは、勝手な自己満足と知りながらやっぱり嬉しい。(笑)
   一方、庭でお茶していると時々こんなお客様が来る、ピョンピョンこちらはまだまだ元気かな。


  10月9日(日)
さて、今日は斑鳩の「秋まつり」らしい。法起寺の国宝・三重塔や周辺の美しいと聞くコスモス畑を是非見たいと数日前から斑鳩の里に関心が向いているところである。小雨模様で太鼓台の運行があるかどうかは分からなかったが、とりあえず行く事にした。

雨は降りそうで降らずで、あら嬉しやな!「ドン ドン ドンデンドン ドッデンドン」太鼓の音が聞こえてきた。巨大な手旗を支える人、提灯を持つ後ろ歩きの人に続いて「エッサ エッサ」「ヨッサ ヨッサ」威勢のいい掛け声とともに若衆の担ぐこれまた巨大な布団太鼓が、黄金色に実る稲穂の波の向こうからやって来た。音を聞きつけ沢山の人々が集まってきた。

「太鼓打ち」さんも格好いいが、先導役の「舵取り」さんの何と元気な身振りはお見事!素晴らしい演技だった。「担ぎ手」さん達の重荷に耐える顔は様々ながら心は一つ、皆さんとても いいお顔で斜め斜交いの姿勢を保ちながら身体を上下に揺って前進、頑張っていられた。
しんどいやろなぁ。肩 痛いだろうなぁ・・・そう思うとなんだか自分も力んで楽しんでいるのに気付いた(笑)
        (画像はクリックすると拡大する)


午後は竜田神社の前を通る奈良街道・「竜田道」で、太鼓台四台に子ども神輿や獅子舞いやお稚児さんのお練りが続いた。壮観である。
各家の玄関先ではご祝儀が手渡され、掛け声は「もろたで もろたで!」「おおきに おおきに!」となり、大人子供皆んなのお腹の底から出る声は空に響き渡り、微笑ましい光景であった。私もそのリズミカルな調子に乗せられシャッターを切るのを忘れて、気持ちは一緒に掛け声をかけていた。(笑)
                 
               
                              

雨は降らず本当に良かった。遠路来た甲斐有り、来年も又来たいと思いながら大満足でバスに乗った。