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万葉ウォーク

2015-10-18 | 日記
記紀・万葉ウォーク「聖徳太子の足跡をたどる」歩きで、コース「法貴寺を訪ねる」に参加した。
【今里の浜・蛇巻き(じゃまき)→鍵の蛇巻き→法貴寺(千万院)・池神社(山車展示)→津島神社(「十六市」開催中)】、観光パンフレットの案内に興味津々出かけてきた。
近鉄線石見駅(いわみえき)に下車して案内板を見ていると、昨日知ったばかりの忍生菩薩の碑・「忍生菩薩御誕生之地石碑」(にんしょうぼさつごたんじょうのちせきひ)が三宅町屏風の杵築神社近くに記載されていた。私を呼んでいるような気がしたよ。(笑)

 10月18日(日)
集合した広場から田原本のボランティアさんの案内で、9時40分スタート。
石見の「鏡作神社」はすぐ近くに在った。お祭り日で境内には子どもみこしが置かれ、はっぴ姿の大人の人達が色んな準備に忙しそうだった。
鏡作神社は磯城郡に5つもあるそうだが、神社の由来は古事記の『天の岩戸』神話にあるらしい。天照大神が天の岩戸にこもられ困った神々が相談し、天の香久山の榊の中枝に吊り下げたという八尺鏡(やたのかがみ)を造ったのが、この神社の祭神・石凝姥命(いしこりどめのみこと)であったという。へぇ~この辺りが歴史的にそんなに大切な所だったのかと新発見であった。
        (画像はクリックすると拡大する)

10分程歩くと新池の傍に比較的新しい祠が在って真新しい「おうてくれ地蔵」が祀られていた。奈良に伝わる昔話にでてくるお地蔵さまで、古像に模して平成23年に新造されたばかりのようだ。《奈良のむかしばなし第44話》
「これからは、日が暮れるまでに家に帰るか」「はい。南無阿弥陀仏」「親に心配かけないか」「はい。南無阿弥陀仏」、先日も起きたばかりの真夜中の悲惨な事件から子ども達を守るには小さい頃からこうした教訓が自然に身に付くといいなぁ~・・・と、なにかしらホッとする昔話である。
    

更に歩いて寺川に来ると案内板があった。「今里の浜」らしい。鉄道交通が発達する明治25年頃までの大阪と大和を結ぶ水運の港で、問屋町田原本の外港として栄えていたそうである。

更に進んで今里の「杵築神社」に来た。
6月の第1日曜日午後中学生以上の男子が麦わら(ハダカムギ)を束ねて、全長18mの蛇を作り、蛇頭を抱え、今里の各戸を「おめでとう」と言いながら練り歩くそうだ。巡行中「それ」と掛け声とともに、道行く人の誰彼の区別なく蛇体に巻き込んで歓声を上げて楽しむという。蛇綱に巻かれた人は一年間無病息災で居られるという。蛇は再び杵築神社に戻ると、神社の鳥居の傍にある大樹(榎)に頭を上に巻き付けられ、それが『昇り龍』となるらしい。そしてその樹の根元には、手作り絵馬や農具のミニチュアや御神水や洗米などを供えられる小さな祠(八代龍王の祠)があった。
5月の端午の節句にちなむ男の子の行事であり男子成人を祝うと共に農作物の豊作を祈って、6月の田植え期に雨が降りますようにという雨ごいのお祭りでもあるらしい。
麦わらの茎は中が空洞になっているので18mの長い蛇でも軽く、樹に巻き付けて上へ引き上げる事が可能なのだそうだ。
  
午前10時20分、北中学校の前「ハッタはん」「野神さん」と呼ばれる場所に来た.
目の前に『降り龍』を見る。鍵でも、今里と同じ日の午前中に「八坂神社」で稲わらで蛇を作り、午後からはその一年間に鍵大字内で祝い事のあった家々を蛇を担いで訪ねるそうだ。200キロ近い頭を17歳の少年と当屋(世話役)が一緒に担ぎ、後ろの綱を参加した少年達が頭の前進を阻むよう引っ張り合いながら道を進んでいくらしい。最後に、ここの大樹・榎(えのき)の根元に頭がおかれ、胴体が樹の上へと吊るされ、「降り龍」になるわけで、大きな龍の頭がどっかりと地面に置かれていた。稲わらは麦わらとは違って扱うには重いそうだ。
それにしても今里と鍵の野神行事は国指定無形文化財というから、子どもの数がどんどん減ってきた昨今、大切な農耕儀式として伝統を守り続ける為に村の大人年寄りが一生懸命協力されるそうである。。。。。

国道24号線の歩道橋の上に立つと左手前方に「唐古・鍵遺跡」が見えた。今日のコースではないので私達は直進したのだが、こちらは弥生時代の環濠集落だったそうで、銅鐸の製造地であったと考えられている。見える建物はここから出土した土器に描かれていた多層式の楼閣を復元したものらしい。
橋を渡り終えて左手に視角は変っても、刈り取りの済んだ稲田の向こうに見える楼閣の景色はなかなか良かった。

午前11時40分、「池坐朝霧黄幡比売神社」(いけにますあさぎりきはたひめじんじゃ)に来た。石の鳥居には「池坐神社」(いけにいますじんじゃ)の扁額が掛かっていた。通称「池神社」であり「法貴寺天満宮」でもあるようだ。
お祀り日で境内には5台の〝だんじり”がずらりと置かれ、元気な子ども達がドンドコ ドンドコ太鼓をたたいて私達を歓迎してくれた。
2月19日には御田植祭が行われるという。こちらの行事も来年は是非是非見に来ようと思った。
           

さて、法貴寺は仏法を起こす意味から法起寺と言われていたそうで、聖徳太子によって創立され法隆寺より古く、かつては七堂伽藍を構えた大きなお寺であったそうだが、今に残るのは山門と鐘楼そして法貴寺の塔頭の1つであった「千万院」(薬師堂)だけである。池神社の隅、法貴寺山門に向かう場所に「法貴寺」と刻んだ石碑も在った。
「池神社」の境内から気持ちを改めて山門をくぐり、千万院へ。(写真は採光の加減で千万院側から撮ったもの。)
平素は閉ざされ一般公開されていない千万院だそうだが、今日は特別に開けて下さり拝観が許され、写真撮影も許可が下りた。なんとラッキーな事!
          写真の像は、左から十一面観音菩薩立像(室町時代)、国重文 不動明王立像(平安時代)、薬師如来坐像(室町時代)、薬師如来坐像(鎌倉時代)。

賓頭盧尊座像(室町時代)と聖徳太子像(南北朝時代)と弘法大師像を含めてUPしてみようかな。
              
特に私は十二神将が薬師如来の御膝元に侍るのがとても気に入ってしまった。聖徳太子像(2歳)は右から2枚目の写真を見てほしい。
いずれの像も埃をかぶりお気の毒な気がしたが、いつかお身拭いされる日が来るまでの歴史の重みかな。

午前11時、お寺を後にした。
稲刈りの済んでいない稲田には金色の稲穂が頭を垂れて、その日を待っている様に見えた。誰かが「稲穂の匂いがするネ。」と言った。ふぅ~ん・・・これが稲穂の匂いなんだ、と胸いっぱいに吸い込み新米の美味しさを想像してお腹を膨らませてみたよ。(笑)
「田原本青垣生涯学習センター」で小休憩。ここは田原本町の公民館、ホール、図書館、唐古・鍵考古学ミュージアムだそうだ。

小一時間ほど歩いて田原本町役場まで来た。町役場に隣接の空き地に「平野氏陣屋跡」の案内板があった。なんでも賤ヶ岳の合戦七本槍の一人として軍功を収めた平野権兵衛長泰が豊臣秀吉からこの地を拝領したとかである。遺構となる物は何も残っていないが田原本の文化財の1つらしい。
すぐ近くに田原本聖救主教会があって、この教会は平成18年のNHK朝ドラ「芋たこなんきん」や平成26年NHK朝ドラ「マッサン」のロケに使われた教会だそうである。朝ドラや教会に無関心な私であるが1枚残しておこう。
     
    
いよいよゴールの「津島神社」で解散となった。。
神仏分離以前は「祇園社」と言われていたようで、毎年七月(第三金曜日~3日間)には江戸時代から続く祇園祭(ぎおんさん)が今も受け継がれているようである。

そして今日は「十六市」開催中で仮設舞台で楽団演奏があり、沢山のフリーマーケットや模擬店が並び、家族連れで大変賑わっていた。
昔、毎月16日に清照寺前で市が開かれていたのに由来し、地域活性化のイベントとして時々催されるようである。
田原本が桃太郎誕生の地としてのアピールであろう、舞台の前に桃から生まれた元気な桃太郎が居たよ。(笑)そういえば先月「大和鉄道」の歩きで通りかかった黒田駅近くの法楽寺を思い出した。
豚汁最後の1杯をご馳走になり美味しかった。あれほど大きな釜で炊き上げるのは大変な労力が要るだろうなぁ~。。。。。
  
12時半こうして3時間の歩きは終了。距離にして8.8km、五感大活躍の楽しい歩きであった。

























額安寺

2015-10-14 | 日記
先日「蛭子神社」へ行った時のこと、道を尋ねた方が「額安寺はすぐそこですが、蛭子神社は?・・・」と言われたのを思い出し、兼ねてより一度は訪れてみたかった額安寺・・・あの辺だったら、というので出かけてきた。

素敵な〝参拝の栞″を開いて最初に目にした文章が【飛鳥の御代(621年)聖徳太子はここ熊凝の地に学問道場を創建され、釈尊の祇園精舎に倣って「熊凝の精舎」と名付けられました。これが額安寺の始まりであり、山号の由来でもあります。】である。
そうそう「熊凝精舎」は「くまごりしょうじゃ」と読むそうで、お寺の正式名は「熊凝山 額安寺」(くまごりさん かくあんじ)、「額安寺」は「がくあんじ」ではなく「かくあんじ」という事も再認識しておこう。

拝観料100円に驚き、聖徳太子ゆかりのお寺である事に驚き、釈尊の祇園精舎の《釈尊の》に疑問を持った。平家物語を読んでいなくても誰もが知っている冒頭のこの部分《祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。沙羅(しゃら)双樹の花の色 盛者(しょうじゃ)必衰のことはりをあらはす・・・・・》、恥ずかしながら祇園精舎と言うのは京都祇園にある祇園寺(八坂神社)の事と思っていた私である。へぇ~インドに在って、釈尊が説法を行われた場所だなんて。。。。。。

   10月14日(水)
額安寺はなんとなく想像していた雰囲気とは異なって、すっきりとした風格漂う門構えに先ず私の気持ちは明るくなった。。受付の窓は閉じていて貼紙を読むと、国の重文「虚空蔵菩薩半跏像」(こくぞうぼさつはんかぞう)は奈良国立博物館に寄託され当寺には無いと解った。それでもご本尊の十一面観音菩薩像は拝観出来るので、ピンポンを押してお願いした。

きれいにお掃除の行き届いた境内は清々しくとても気持ち良かった。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)が三基あって、一番大きく見るからに立派なのは鎌倉時代の1260年、「文應元年十月十五日」の刻名があり、記名をもつものとして日本で3番目に古くて大変貴重な塔らしい。元はお寺の前に在る鏡池・明星池の中に在ったそうだ。
          (画像はクリックすると拡大する)

本堂の中に入らせていただくと華やかな金色の天蓋の奥に彩色の綺麗なふっくらとしたお顔のきれいなご本尊・十一面観音様(室町時代)のお姿があった。お詣りを済ませ、写真撮影禁止の張り紙がないのを確認してから写真を一枚撮らせてもらった。ありがとうございました。
お厨子には扉絵が施されていた。ご本尊の脇侍として向かって左側に吉祥天如像右側に梵天像。他、愛染明王像や不動明王像などが印象に残るお堂であった。

こちらの虚空蔵菩薩半跏像は奈良時代(757年頃)の作で額安寺開基の道慈律師が安置した日本最古のもので大変貴重な仏様らしい。奈良に行った折には是非国立博物館に立ち寄ってみたい。額安寺の根本本尊として、現在のご本尊である十一面観音と同様、御朱印はこちらのお寺で頂けるそうである。

お寺から5分程歩いて額田部北町の家並みに近づいた所に、内部を見る事は出来なかったけれど「額田部窯跡」があった。鎌倉時代の額安寺所用瓦を焼く為の窯だったらしく、1929年に国指定史跡に認定されているそうである。
そしてその近くに「額安寺五輪塔」、鎌倉~室町時代の石造五輪塔八基が並ぶ広場があった。
敷地の西側に並ぶ一番大きい(3m近くもある)五輪塔は「忍性菩薩の塔」で、「忍性さん」として知る人ぞ知るこのお坊様は1217年、現在の奈良県磯城郡三宅町屏風で生まれ、1240年に額安寺で出家し額安寺を復興された方らしい。1303年、87歳で神奈川県鎌倉市の極楽寺で逝去されたそうだが、ご遺言で遺骨は大和国竹林寺(生駒市)とこの額安寺(大和郡山市)に分骨されたそうだ。
民衆救済に生涯を奉げられた数多い偉業(貧困者への施し、井戸を掘ったり、橋を架けたり、病院を建てたりetc.)に依って1328年後醍醐天皇より忍性菩薩の尊号を与えられたという。
          

栞の最後【額安寺という寺はその建立の歴史からもわかるようにあくまでも学問所という性質を今に受け継ぐお寺であります。】とある様に、知恵と招福のお寺様であり、合格祈願に参拝する受験生が増えていくかも知れないなぁ~。。。。。
さわやかな気持ちになれた額田部散策であった。

 付記
☆★☆「思わぬ所から知った忍性菩薩であるが、「忍性さん物語」You Tubeでお声を聴ける浄土寺のご住職・藤田能宏様からは忍性菩薩の詳しいお話をいっぱい聞けるかも。。。。。
浄土寺というのは先日佐吉の狛犬を見に行った磯城郡三宅町伴堂の杵築神社からの帰り、太子道を通って立ち寄った屏風の杵築神社近くのお寺様である。☆★☆








ホウネンエビ

2015-10-06 | 日記
日々の生活が時間に追われなくなると、今までには気付かなかった草花や小動物が目についてくる。そして色んな物が愛おしくなるのは・・・・・歳の精かな?それとも秋の季節がそうさせるのかな?一日中こおろぎがコロコロ鳴いていつの間にかもう10月だもの。

  10月6日(火)
一週間ほど前のある日、たまたま庭に置いていた桶の中に彼が見つけた面白い生き物、体は半透明の白、頭部には左右に突き出たようなくっきりした黒い目玉が有って、ムカデの足のように無数の足をひらひらさせて泳ぎ回っている。それに二股に分かれた鮮やかな赤いしっぽが実にきれいだ。身体は細長く華奢で、日に日に大きくなったようで2㎝はある。    

          (画像はクリックすると拡大する)

それにしても、たった1匹、一体どこから来たのか不思議だ。桶には天から雨粒が落ちてくるだけなのに。。。。。それに名前は何だ?
ネットで検索してみると、それは水田に棲む「ホウネンエビ」という生き物らしい。ぺージには「雌では胸部の最後部に卵の入る保育のうがあり、腹部に沿って突出する。」と書いていたので、コレは雌らしい。仰向けて泳ぐというので、よくよく見ると確かにそのようである。本当に不可思議な生き物だ。
何を食べて大きくなるのだろう?・・・・・ページには懸濁物質(けんだくぶっしつ)と書いているが、益々何の事だかさっぱりわからない。綺麗に洗った白い陶器の底には極少量の砂が散らばっている程度で10cm余り溜まった雨水は透明で目には全くきれいな状況だし・・・・・

という事で、折角なので投稿しておこう。楽しませてくれた「ホウネンエビ」にありがとう。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~杜鵑草&石蕗、今年も綺麗に咲いた。
       10月13日満開で~す。
    ホトトギス       ツワブキ


平井大師山を訪ねて

2015-10-01 | 日記
気温にして24℃くらいかな、いい秋日和が続いて、昨日は彼に誘われて宇陀の菟田野(うたの)区にある平井大師山石仏群を訪ねた。

  9月30日(水)
近鉄大阪線榛原駅から平日のみの運行で1日に6本しか走っていないという東吉野行きのバスに乗った。マイカーを廃車して5ケ月あまり、バスや電車利用の旅を楽しもうとは思うものの、なかなか大変だ。
古市場にある「宇太水分神社」(うだみくまりじんじゃ)に立ち寄った。彼が初めてというので付き合ったのだが、鳥居の前に立って驚いた。佐吉の狛犬が迎えてくれたのである。「おおっ 佐吉の狛犬だわ!」思わず叫んだ私。その声に彼は「付き合ってよかっただろう。」と得意顔で笑っていた。(笑)

この水分神社は第10代崇神天皇(すじんてんのう)の勅命によって水の神様が祀られていて、3軒並ぶ本殿は鎌倉時代の建築で国宝だそうだ。右から第一殿には「天水分神(あめのみくまりのかみ)」、第二殿には「速秋津比古命(はやあきつひこのみこと)」、第三殿には「国水分神(くにのみくまりのかみ)」が祀られているらしい。本殿右に並ぶ2軒のお社は摂社だそうだ。
檜皮葺の手水舎の水が蛙の口から流れていて、珍しくて驚いたが、五穀豊穣・水の神様ならではと納得した。

          (画像はクリックすると拡大する)

境内で偶然お会いした村の世話役らしき方が、来たる10月18日のお祭りについて話して下さった。
宇陀にはもう2つの水分神社が在り、1つは榛原下井足(はいばらしもいだに)に在る「下社」と言われる宇太水分神社、もう1つは菟田野上芳野(うたのかみほうの)に在る「上社」と言われる惣社水分神社(そうじゃみくまりじんじゃ)で、お祭りの日には「上社」の女神(速秋津姫神)が鳳輦神輿(ほうれんみこし)に乗ってこちらの「中社」宇太水分神社の男神に会いに来られるそうである。屋根に鳳凰の飾りのある豪華な神輿の他、立派な太鼓台六台程が神社の境内に集まっている写真を見せて下さった。長い〝御渡り″もさぞかし見ごたえがあるに違いない。思わぬ話を聞かせてもらい、早やお祭り気分を味わって楽しかったよ。

神社を後にして、宇陀の風景を楽しみながら歩いて行くと、刈り取った稲が長い竿に干されていたり、あちこちでコスモスが風に揺れていたり、どんぐりの実が落ちていて上を見ると実が上を向いて生っているのを発見したりして時間が過ぎていった。
細い脇道に入って行くと、今は宇陀歴史上最大の謎の1つとされている、忘れられた観音霊場『宇陀西国三十三所』の第12番札所「観音寺」に着いた。彼が本を片手に道を尋ねた方は「へぇ~あれが観音寺って言うんですか。誰も行きませんで。」と、建物の存在は知っていても何であるかの認識はないようだった。
朽ちかけた建物の横手に、本に記載されている寛政10年(1798)と元文元年(1736)の風化しかけた碑を見つけて彼は感動していた。
紅葉した木の葉が落ちる境内で〝おにぎり″とお菓子を食べて休憩させてもらった。勝手気ままな歩きである。

本命の平井大師山石仏群に着いたのは12時20分、猪が檻にかかっているかどうかをみる為に犬と歩いて行かれる村の方に付いていく。そんなに山奥ではないのに、この辺の農家の方は猪や鹿や兎との闘いだと困っていられた。
標高437mの大師山には100体余りの石仏が在り、四国八十八ケ所を模した「平井八十八ケ所霊場」(1848~1859年頃に建設)となっているようだ。きれいに整備されているので、石仏巡りのハイキングコースになっている。

第1番の霊山寺には3体の石仏が並んでいて、向かって右端が本尊の釈迦如来、真ん中が弘法大師、左端が1番番外の地蔵菩薩だそうだ。3体とも佐吉の作品だという。すっかり佐吉の狛犬の虜になっている私だが、石仏に関しては一目で佐吉と分かる特徴を知らない。
順路に沿ってくねくね曲がって山を上がったり下ったりしている内、案内板を読む気力がなくなって来た。ここでは1番の3体、19番の立江寺、72番の曼陀羅寺、32番禅師峰寺の女人像、43番明石寺の千手観音、45番岩屋寺の不動明王そして87番番外の長谷式観音を投稿しておこう。

                
                                   

足はくたくたに疲れたけれど、山里の綺麗な空気を吸って暖かい人情に触れて、いい日を過ごしたよ。おつかれさま。