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式年遷宮の年に伊勢神宮へ

2013-12-21 | 日記
2013年残すところも少なくなって、ここ2・3日寒さが急に厳しくなった。遷宮後のお正宮を年内に参拝したく天気予報の寒さと小雨を覚悟しながら出かけることにした。
「伊勢本街道歩き」で大阪玉造稲荷神社から16回に分けて外宮に到達したのは昨年(2012)12月9日だった。歩き17回目にして遷宮の年に内宮へ、とこの日を待っていた私。

  12月19日(木)
本来外宮から内宮へお参りするそうだが、人混みを懸念してあえて順序を逆にして近鉄線五十鈴川駅に降りた。
石燈籠が並ぶ御幸道路を歩くと必ず神宮に行けるはずと道の下調べ無しに出かけたが、駅で頂いた「五十鈴川駅周辺図」には内宮までの道筋が簡潔に図示されていて助かった。
霧雨のなか傘をさして歩き始めたのは午前9時20分、直ぐに石燈籠の並ぶ通りに出た。

そもそも御幸道路というのは天皇陛下の御幸時の参拝路であり、外宮から内宮に通ずる5.5kmの道である。明治43(1910)年に開通、両側の石燈籠は全国の志篤き人達によって昭和25年(1953)に寄進されたものらしい。大小様々で古そうな物、新しい物が混ざり合っていた。
       (画像はクリックすると拡大する)

10分もかからず、皇大神宮別宮・月讀宮(つきよみのみや)に来た。
参拝は時間の都合でカットしたが、白い玉砂利を敷き詰めた広い境内に四つのお社が並んでいるのが思い浮かび、天照大御神の弟神である月讀尊(つきよみのみこと)と月讀尊の父神である伊弉諾尊(いさなぎのみこと)と母神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)そして月讀尊の荒御魂がそれぞれ祀られていて、辺りに漂う空気に心が引き締まったのを思い出した。
2011年10月から2012年3月にかけて参加した「伊勢神宮125社めぐり」での体験であり、その時の案内人さんから学んだ知識は多い。
皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)の他に14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社を含めて伊勢神宮という事。そして内宮を「ないぐう」ではなく正しくは「ないくう」という事もその時に初めて知ったっけ。外宮においても然りである。。。。。

更に進んで猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)に来た。交通安全の神様であるが、道路脇に建つ大きな看板に「みちひらきの大神」とあるように物事を良い方向へ導いて下さる神様のようである。今日は一礼だけで目的地の内宮へと急いだ。
神宮会館を過ぎると宇治橋はすぐ目の前。

鳥居をくぐり宇治橋を右側通行で渡り終えると神苑で、火除橋(ひよけばし)を越えると右手に手水舎がある。手と口を漱いだが、一の鳥居をくぐるとやっぱり五十鈴川でもう一度昔人に習って手を清めたくなるよね。
125社めぐりで教えてもらった通り、先ずは直ぐ近くにある皇大神宮所管社・瀧祭神(たきまつりのかみ)にお参りした。こちらで自分の住所と名前を言ってお参りに来たことを告げると、大御神様に取り次いで貰えるそうである。
社殿は無く柵の中に石神様が祀られているだけの所管社ながら別宮と同等に祀られていると聞いている。この式年遷宮に当たり、神宮の社殿初め鳥居等の建物の他御衣裳や神宝物すべてが新しくなるわけだが、こちらも新しい白木の囲いになって清々しい。
           

二の鳥居をくぐると右側に別宮・風日祈宮(かざひのみのみや)に通じる風日祈宮橋が見えたが、今回はこちらもカット。そのまま神楽殿の前を通りお正宮へ向かった。
新しい御正宮は西側即ち向かって左側の御敷地に神々しく建っていた。本殿の茅葺屋根(かやぶき)には10本の鰹木(かつおぎ)が光っていたし、先端が水平の4本の千木(ちぎ)もより一層の威厳を醸し出していた。
拝殿の茅葺屋根を見上げながら、職人さん達の技術に感服。確かに建て替えの間隔が20年以上空けば、この技法を伝承できなくなるかも知れないよなぁ・・・・・
心静かにニ拝ニ拍手一礼でこの平穏な日々に心から感謝を申し上げた。

西の御敷地石垣の角にある「籾だね石」をも再確認した。
江戸時代中期の天明年間に大飢饉があって、食べる米も無いまま人々は種籾まで食べて、五十鈴川上流に在ったこの大岩を神宮に運んで献納したという。地元の人々の信仰心がここで永遠に語り継がれていくのだろう。

次は天照大神の荒御魂を祀る別宮・荒祭宮(あらまつりのみや)に移動。お正宮では感謝を伝えるだけだが、こちらではお願い事をしてもいいそうだ。
参拝者の数は次第に増えてきたが心配していた程の混み様ではなく、落ち着いて心静かにお参りが出来、自分なりに納得のいく2013年の締めくくりが出来た。
霧雨に包まれたお正宮と人!誰の思いも純粋になる瞬間の神聖な別天地であった。
           

先ほど神苑に踏み入れた時に聞こえた「コケ コッコー!」の鳴き声の主が居た。
午前11時10分、さすがに鳴く時間ではなさそうで、一生懸命身づくろいをしていたよ。
こうして内宮を後にした。

さて、「おかげ横丁」でお腹を満たしてから外宮へ向かって歩こうと思っていた。てこね寿司も食べたいし、伊勢うどんをもと思っていると、ミニセットがあって、それに決めた。
おはらい町通り」をもう少し楽しんでおこうと、ずらりと並ぶ両脇のお店を覗きながら歩いて行くと、神宮御用達三宅酒店に来たので立ち寄って利き酒を頂くことにした。
「白鷹」(はくたか)を注いでもらった“ぐい飲み”に口を近づけた彼に「そんな飲み方変だよ。」と笑う私に、お店の方が「いえ、持ち上げるとこぼれるから最初の一口はこうして飲むんですよ。」と教えて下さった。「へぇ~ そんなら私もやってみたいわ。写真も撮ってほしいナ。」と言って一生に一度の私の恰好、是非残しておきたい一枚となった。(笑)
          「歩きながら食べると美味しいですよ。」と言われて「それでは。」とその気になって松坂肉コロッケを1つ、彼と半分こ味見を楽しんだ。(笑)
それから「お陰さま甘酒」も飲んでみたい、と人々の群れに誘われて店に入る。調子に乗ってすっかりいい気分!よくもまぁ~次から次へお腹が受け付けてくれる事!
赤福本店で赤福を買い、これで満足したよ。ささやかながら しあわせ しあわせ。

百五銀行五十鈴川郵便局の建物が昔風で、一瞬タイムスリップしたかの様な錯覚が起きた。
かつて尼寺であったという立派なお寺・「旧慶光院」(現在は神宮祭主職舎)は開かずの門で客殿が1年に1度だけ公開される国の重文らしい。人力車を引くお兄さんがお客さんに説明していたよ。

参拝が済めば、おかげ横丁は庶民の天国。道行く人々は皆んなとてもいい笑顔でこれぞ“お伊勢参さん”なんだとほっこりした。
            
             
       

今日は「内宮と外宮を歩いて繋ごう。」と家を出たはずなのに、おかげ横丁を歩いている間に何時しか二人の気が変わっていて「バス移動にしよう。」と一致した。(笑)

バスで約20分、外宮に着いた。
旧御正宮の前を通り新御正宮へ。
         

新しいお正宮にお参りしてから神馬「笑智号」に会いに行った。
優しい眼差しで物静かに迎えてくれた。以前と全く同じ服で同じ恰好で「こんにちは。ごくろうさま。又来たよ。」と声を掛けるとトントン地面を踏む音がした。えっ解ってもらえたのかな!?もう一度同じ言葉を繰り返した。すると又かすかにトントンと鳴った。偶然とは言えこのタイミングに感激!!立ち去り難かったよ・・・・・
  
徒歩7分の伊勢市駅に向かう前に観光案内所近くのお店若松屋で「飛龍頭」(ひりょうず)・油で揚げた「がんもどき」を買った。家に帰ってからの“おやつ”赤福と夕食の“おかず”飛龍頭をしっかりリュックに入れて、家路に着いた。飛龍頭のなんと美味しかった事。

大阪と奈良を結ぶ暗越峠(くらがりとうげ)を初め、大小様々な15個もの「峠越え」も今は楽しい思い出となった。二人で歩いた山粕峠(やまかすとうげ)は雷に出逢って怖かったね。短いけれど急勾配のきつさに喘いだ鞍取り峠(くらとりとうげ)、そして首切り地蔵や腰切地蔵が祀られていた飼坂峠(かいさかとうげ)も印象深い。櫃坂峠(ひっさかとうげ)の長い下り坂も疲れたけれど。。。。。

2012年3月から足かけ2年、貴重な事を沢山学びながらいろんな体験をして伊勢本街道を無事歩き繋ぐことが出来きた事に心から感謝、本当に嬉しい。

                          伊勢本街道歩き日記はこれでおしまい。