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「番条のお大師さん」

2018-04-22 | 日記
お四国巡礼を済ませて早や8年、108ケ寺(88+20)の歩き遍路の体験は実に大きい。今思えば、よくぞ頑張ってくれたこの脚が愛おしい。
大和郡山市の番条町に『番条のお大師さん』という行事が年に一度弘法大師の命日4月21日に行われるのを昨年知って、この日を待っていた。
そう呼ばれる番条八十八カ所参りは幕末の文政13年(1830年)、コレラが流行り、丁度八十八軒あった村の人達が申し合わせて弘法大師を信仰するようになったのが始まりだそうである。
こちらに実家があるOさんが下さった資料にこんなエピソードが書かれていた。
【昔、ある家が荷車で引っ越しをしようと村を出る橋のたもとまで来たが、いくら牛の尻をたたいても動かなくなった。荷車に積んでいたお大師さんの厨子を降ろすと、途端に牛が歩き始めたという話が、村人の間に伝えられている。それ以来、村を離れる時には必ずお大師さんを隣近所や親戚に、またお寺に預けるようになったという。今に至るまで八八のお大師さんが1つも欠けずに残っているのである】   

  4月21日(土)
藪大師の祠に着いたのは午前8時40分、手押し車のお年寄りが「ようこそ、気を付けてゆっくりお参りください。」と、にこやかに迎えてくださった。
「どこからお参りすればいいのでしょうか?」と尋ねると、「どこからでもいいですよ。南の方すぐソコには88番があります。」「大窪寺ですね。」こんな会話をした後、私は先ず藪大師から始め、村の中に入ると最初のお家は81番白峯寺であった。観音開きのお逗子に向かって右の扉に札所の番号と寺名を、左側にはその札所のご詠歌が朱記されていた。ご詠歌は達筆過ぎて私には読めなかった。

           (画像はクリックすると拡大する)

彼がコピーしてくれた寺名に〇印をつけて廻りながら、気持ちの何処かで1番を探している私だった。(笑)
お参りを済ませたお宅で「1番札所は何処でしょうか?」と尋ねると、「ずっと向こうの北垣内ですわ。」と言われた。北と南の2つの大師溝があるらしい。
結果的に番条集落の今は88軒ではなく、阿弥陀堂に6ケ寺が預けられ、2ケ寺をお祀りされている家もあった。

10軒余り済ませ少し疲れを感じていたところ、阿弥陀院でお茶の接待を受けた。「どうぞお上りになってお茶でもどうぞ。」優しいお声がかかり靴を脱いでお堂に上がらせてもらった。平成15年に建て替えられたというお堂は法隆寺の宮大工・西岡棟梁のお弟子・小川さんにお願いしたのだと、ご住職は満足気にお話しされ、いろいろ聞かせて下さった。
ご本尊は大日如来像。一つ記憶に残したのは、大日如来様に向かって左が金剛界、右を胎蔵界と言って、左右に並ぶ仏様にも決まりがあり、曼陀羅にも二種類あるそうである。へぇ~・・・直ぐ忘れるだろうが、メモっておこう。

              

さて、民家で大師像を祀っている祠は88軒が同時スタートで何処も同じ形式の物であった。納められている大師像のお顔は違っていて、微笑んでいられるお顔や瞑想されている様なお顔もあり、手にしておられる三鈷やお数珠にも少しの違いがあった。
そして綺麗に飾られた祭壇にはお花やお膳やお餅が供えられお膳には高野豆腐や椎茸etc.の煮物、小豆ご飯、お澄ましそれにお浸し等であるが、皮つきの筍にはアクセントがあり、ビックリした。面白いなぁ~。
ろうそく・線香それに香炉や鈴(リン)も置かれていて、お参りに来た人はその線香を使っていいらしい。

お賽銭を入れ、お線香をあげ、お数珠をかけて合掌。現在の健康と日常に感謝の気持ちを8年ぶりに伝えると、とても素直な気持ちになれた。
お供えのお餅はお接待の意味合いで1つ頂いてもいいらしい。植木鉢に見事な牡丹の花を咲かせていらっしゃるお家で、「苺もどうぞ食べて下さい。」とご夫婦がニコニコ顔で勧めてくださった。お二人の仲の良さと家族の円満さがにじみ出ていて、一粒の苺は特別に美味しく、嬉しかった。

          
   
11時半、開放されている公民館で持参したおにぎりとおやつをお腹に入れた。
気温25度以上、皆さん「暑い 暑い」と言いながら汗をぬぐって休憩していられた。再び歩き始めると、徳島県22番札所・平等寺のお坊様が数人の参拝者と共に来ておられた。お声をかけると気さくに笑顔で応じて下さったのも今日の思い出の一つ。
それから一人の男性が私に「四国参り20回したんだよ。」と話しかけて来られ、ご朱印でページが真っ赤になった帳面を見せられた。「高野山ではご朱印帳を見る時は合掌するんです。」と言われ勉強させられた。この人、私に何を言わせたかったのだろう・・・不思議な人に会ったなぁ~。
更にそれから近年は年賀状だけになっていた40年来の友人にも会った。笑顔を見てお互いに再会を喜んだのだが、こういうのをお大師さまのお引き合わせと言うのかな。。。。。

あっ そうそう、熊野神社で一服をしていた時である。
外村の人らしき一人の男性が「コレ懐紙やねん。お接待用にと思ってお供えに持って来たんやけど、もろといて。」と言って封筒を差し出して下さった。大阪の会社名が書かれている。そういえば大師堂でもお供えを差し出していたお年寄りの参拝者がいられた。村の方達からお接待を受けるばかりのお参りではなく、お供えをする参拝者も居られるのを知った。
    
1番札所も参拝した。暫くこの土地を離れていられたそうだが、お寺に預けていたお逗子を引き取りお祀りしているとの事、頻繁に高野山参りをされていたお母さんの思い出話等聞いた。
午後2時、そろそろ体力の限界を感じてきたので最後に88番札所を参拝して終わる事にした。「全部廻る積もりです!」と張り切っておられた二人連れの人達はどうされたかな?夕方まで歩けば完歩できたかも知れないなぁ~。
見知らぬ人に「来年また会いましょう。」と、暑さで変形しかけたチョコレートを頂き、残りわずかになった水筒の水を飲んで村を後にした。

          

1つの村全戸が弘法大師像を祀り、村を一周すれば四国88ケ所参りができるなんて!(2018−1830)年続いたこの村の風習がこれからもずっと続きます様に、来年は今年の残した分を頑張って、88ケ所を是非完歩したいと思う。

そして残った課題がもう1つ。とあるお屋敷の一角で見た猿像、烏帽子を被り陣羽織を着て手には日の丸扇を持っている、なかなか威厳な表情の猿である。来年はココのお家の人に是非尋ねてみたいと思っている。      
自分なりに一生懸命歩き、お接待を受けたお餅を楽しみに帰宅。冷コーを作って餡子の入った柔らかい大福餅を頬張ると、今日一日が幸せな尊い日であった様に思えた。合掌



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