昨日の朝は庭の水鉢に厚さ7mm程の氷が張っていて驚いた。そして今朝はなんと13mmの氷だ。それもそのはずで我が県の最低気温が24日は-2℃、今日は-5℃らしい。四十年ぶりの強烈寒波襲来とかのニュースが流れている。奄美大島では115年ぶりの雪とかで日本列島のみならずニューヨークや中国大陸においても最強の寒さだという。。。。。
ところで雪国って何県のこと?新潟県に限らず福井県・石川県・富山県も含めていいのかな・・・・・
一昨日、富山県の五箇山で地元の人から「やっと『根雪』になりました。」と言う話を聞いてなにかしら雪国に住む人達の気持ちに触れたような気がした。雪は毎年12月の中頃から降り始めるそうだが、今年は遅く今月18日から降り出し、4・5日でやっと根雪になったというのである。雪解けの季節までの暮らしが始まって平常心を取り戻された様な落ちついた響きがあった。
茅葺の里・五箇山を訪れたのは何年前の何の季節だったのかはっきりとは思い出せないのだが、雪の五箇山の風景を見たいという思いがずっと心の隅にあった。「花嫁のれん」ツアーでそれが実現したのである。
1月22日(金)
午前7時10分大阪発の「サンダーバード」に京都から乗った。この特急列車の名前には夢があって私は最高速度260kmとかの新幹線に乗るより嬉しかった。(笑)。京都から金沢まで2時間8分、金沢で「花嫁のれん」列車に乗換えて金沢・和倉温泉駅まで行くのである。途中に「羽咋(はくい)」という駅があって停車の間に彼はシャッターをきっていたが、なんでも松本清張の小説『ゼロの焦点』に出てくる舞台「ヤセの断崖」が在る所だそうだ。小説を読んでいない私は駅名よりも目の前に出されたケーキとコーヒに関心があった。(笑)知る人ぞ知る世界的に活躍パティシエ・辻口氏のオリジナルセレクトスイーツが味わえるのが楽しみだったのである。
そうそう、この「花嫁のれん」号というのは昨年(2015)の10月3日より運行されたJR西日本七尾線(金沢駅~和倉温泉駅)を走る観光列車の愛称である。
ホームに入ると綺麗な”花のれん”が掛けられていて、「うわっ きれい!」と目を見張る。くぐって少し待っていると、小雪舞い散るなか赤い列車がホームに静かに滑り込んできて和服姿の添乗員さんがお出迎えをしてくれた。赤い車体には石川の伝統工芸・輪島塗の図柄や金沢金箔、加賀友禅をあしらった豪華な装飾が施されていて、見るだけでも幸せ気分になれる。車内の雰囲気もまるでレストラン風で皆んな大喜びしていた。
私達の席は2シートの菊の間であった。
(画像はクリックすると拡大する)
ちなみにこの「花嫁のれん」は嫁ぐ娘に生家の紋を染めて嫁入り道具の一つとして持たせたという実に綺麗な花柄ののれんで、娘の幸せを願う親の気持ちが込められたものだそうだ。幕末から明治にかけての北陸地方の風習だったようである。
金沢10時15分発で和倉温泉駅に11時37分着。改札に立つ駅員さんもにこやかなお顔で「ようこそ!」と言葉をかけて下さり更に気分は上昇する。
駅舎の前に大きなキリコ看板が立っていた。そうか・・・ここが噂に聞いたことのある有名な石崎奉燈祭が行われるところなんだと知った。ツアーはここからバス移動となって、先ず「食祭市場」で昼食、そして「高岡大仏」の見学になっていた。
「高岡大仏」は銅造の阿弥陀如来坐像で大輪形の光背があり、総高15.85mだそうだ。添乗員さんの説明「歌人の与謝野晶子が『鎌倉大仏より一段と美男だ』と評したそうです。」の通り、すっきりしたお顔だちであった。そのモダンなお顔は見慣れた奈良の大仏さまとはかけ離れ、鎌倉の大仏さまとは違う美男ぶりで、見上げた瞬間私には少し違和感があったなぁ~。(笑)2014年12月4日のブログ日記を今開いて鎌倉大仏の写真を見直してしまったよ。
参道入り口両脇に立つ銅製の仁王像も立派で、さすが富山県高岡市は日本一の銅器製品の産地といわれるだけに誇りが有るのだろう。台座の下は回廊になっていて、1900年に火災に遭ったという先代の木製大仏さまの頭部が置かれていた。
次に訪れた「富岩運河環水公園」(ふがんうんが かんすいこうえん)の散策時間内にJR富山駅を見ようと行ってみたが北側の旧駅で、北陸新幹線の富山駅とは反対側のようだった。時間的にタイムアウトとなり、情報不足が口惜しかった。
夕食は富山湾鮨&地酒「立山」を楽しんだよ。そして泊まりの「砺波(となみ)ホテル」の露天風呂、植え込みに雪が冠る岩風呂の天然温泉は最高に気持ち良かった。 おやすみなさい。
1月23日(土)
午前8時30分にホテルを出発。五箇山に近づくに連れ雪の深さが増してきた。
更に奥に行くと相倉集落(あいのくらしゅうらく)が在るそうだが、雪が深くて今日訪れたのは「菅沼集落」(すがぬましゅうらく)の方だった。真っ白な銀世界!バスから降りて雪を踏む。そして雪かき作業のおじさんの姿を一枚。「えつ? モデル料2000円では駄目ですよ。もっともらわなくては。わっはっは!」とほっこり冗談を楽しみ、展望台から雪道を歩いて村に向かった。ルンルン気分で気がゆるみ油断すると滑って転がりそうになったが、こんな大雪は久しぶりの体験で嬉しくてたまらない。かがんで雪を抱え込んで桜の花びらを散らす様に放り上げてみた。彼も既に遠くでやっていた。「まるで子供だよ、止めときな。」と後ろから来た人が笑っていた。そうだね、指がちぎれそうに冷たかったよ。
「白川郷・五箇山合掌造り集落」は1995年に世界遺産の文化遺産に登録されたらしい。こちらの菅沼集落は山あいを流れる庄川の河岸に九棟の合掌造りの家が残っていて、江戸時代末期に建てられたものが二棟、明治時代に建てられたものが六棟と大正時代(1925年)に建てられたものだそうだ。私の頭の中に残っている景色とは異なっていたので、以前私は相倉集落に行っていたようだ。
冬の豪雪に耐え昔は養蚕や塩硝(煙硝)の製造がこの集落の産業だったそうである。塩硝とは火薬の原料となる煙硝のことらしい。彼は「塩硝の館」に興味を持っていたが、私は「塩」に訳が解らなかった。金沢のお殿様・加賀藩は「煙」ではなく「塩」の字を使っていたのだそうだ。
菅沼集落は藩直轄の秘密の製造地で当時は床下で塩硝を造り、土間で和紙を漉き、屋根裏で養蚕をしていたという。4・5年かけて出来上がった塩硝は秘密の「塩硝の道」を通って運ばれ藩に納められたという。藩の貴重な財源となる塩硝故に村の人達は手厚い保護を受けていたという。
行燈に貼り替える和紙を買いたいと思っていたが、こちらでは手に入らず、香紫米とかぶら漬けを買い、甘酒を飲んで思い出にした。かぶら漬けは素朴でしっかり地の味がしてとても美味しかった。雪景色の写真をいっぱい並べたが、ちょっと並べ過ぎかなぁ~(笑)
10時30分バスは「新湊きっときと市場」に向かい各自自由昼食となったので、富山湾で獲れたての新鮮なお刺身とここでも又握り鮨と立山を飲んだよ。好きな物をお腹いっぱ食べてツアーの皆さん全員いいお顔!しあわせ しあわせ。
それから金沢三大茶屋街の一つらしい「ひがし茶屋街」を歩いたが、小京都とも言えそうな街並みで出格子の建物が並んでいた。和服姿の女性がしっくりとくる雰囲気があった。城下町風情を残す重要伝統的建造物群保存地区に指定されているらしい。色んなお店があって、人気の観光地になっているのだろう。
「箔座本店」では厚さ1/10000mmの金箔4万枚を使って豊臣秀吉の黄金の茶室を再現したという金箔で覆われた茶室の見学があったし、金箔を薄く伸ばす箔打ちの実演も見せてもらった。ひがしの茶屋街で見た「黄金の蔵」と共に職人さんの技量に溜息がでるばかり。
金箔は手の指では扱えないのを絵の分野で体験済みの私、貝合わせの蛤の内側に溶した膠を塗って金箔を貼って絵を描くのであるが、お手上げだった。画家先生が長い竹のピンセットでスッと剥がしてスッーと貼って下さったのを覚えている。息をのんで見ていたのを思い出す。それ以外に金箔の魅力にはあまり関心が無く、箔を使った色んな工芸品やなんと美容金箔・金箔エステもあると聞いて驚きだ。ただお酒や飴やお茶に入っている食用金箔はいいよな。(笑)
金沢駅で「鼓門」(つづみもん)を見た。北陸新幹線の開通に伴い造られたそうだが、らせん状の柱と格子の屋根で鼓をイメージした芸術的な堂々たる構えだ。ガラス張りの天井アーチも素晴らしい。これは「もてなしドーム」とか言われ、雨や雪の多い金沢で確かに傘替わりともなる空間だ。昨年(2015年)5月の開業時はテレビの報道で何回も何回も目にも耳にも印象が強かった。ちなみにリニュウアルされたこの金沢駅は”美しい駅”として世界的にも認められているとか。
16寺56分金沢発「サンダーバード」て帰路につく。忙しいと言えば忙しいが、マイカーを手放した今となってはツアーのお陰で色んな所いろんな物を手軽に見聞き出来、合掌造りの冬景色を見る長年の望みも叶って大満足。それに日程がもう1日遅かったら大雪に埋もれていたかも知れないし、最近頓に多いバスの転落事故を考えると、無事に帰れて感謝感謝。 おつかれさま。
ところで雪国って何県のこと?新潟県に限らず福井県・石川県・富山県も含めていいのかな・・・・・
一昨日、富山県の五箇山で地元の人から「やっと『根雪』になりました。」と言う話を聞いてなにかしら雪国に住む人達の気持ちに触れたような気がした。雪は毎年12月の中頃から降り始めるそうだが、今年は遅く今月18日から降り出し、4・5日でやっと根雪になったというのである。雪解けの季節までの暮らしが始まって平常心を取り戻された様な落ちついた響きがあった。
茅葺の里・五箇山を訪れたのは何年前の何の季節だったのかはっきりとは思い出せないのだが、雪の五箇山の風景を見たいという思いがずっと心の隅にあった。「花嫁のれん」ツアーでそれが実現したのである。
1月22日(金)
午前7時10分大阪発の「サンダーバード」に京都から乗った。この特急列車の名前には夢があって私は最高速度260kmとかの新幹線に乗るより嬉しかった。(笑)。京都から金沢まで2時間8分、金沢で「花嫁のれん」列車に乗換えて金沢・和倉温泉駅まで行くのである。途中に「羽咋(はくい)」という駅があって停車の間に彼はシャッターをきっていたが、なんでも松本清張の小説『ゼロの焦点』に出てくる舞台「ヤセの断崖」が在る所だそうだ。小説を読んでいない私は駅名よりも目の前に出されたケーキとコーヒに関心があった。(笑)知る人ぞ知る世界的に活躍パティシエ・辻口氏のオリジナルセレクトスイーツが味わえるのが楽しみだったのである。
そうそう、この「花嫁のれん」号というのは昨年(2015)の10月3日より運行されたJR西日本七尾線(金沢駅~和倉温泉駅)を走る観光列車の愛称である。
ホームに入ると綺麗な”花のれん”が掛けられていて、「うわっ きれい!」と目を見張る。くぐって少し待っていると、小雪舞い散るなか赤い列車がホームに静かに滑り込んできて和服姿の添乗員さんがお出迎えをしてくれた。赤い車体には石川の伝統工芸・輪島塗の図柄や金沢金箔、加賀友禅をあしらった豪華な装飾が施されていて、見るだけでも幸せ気分になれる。車内の雰囲気もまるでレストラン風で皆んな大喜びしていた。
私達の席は2シートの菊の間であった。
(画像はクリックすると拡大する)
ちなみにこの「花嫁のれん」は嫁ぐ娘に生家の紋を染めて嫁入り道具の一つとして持たせたという実に綺麗な花柄ののれんで、娘の幸せを願う親の気持ちが込められたものだそうだ。幕末から明治にかけての北陸地方の風習だったようである。
金沢10時15分発で和倉温泉駅に11時37分着。改札に立つ駅員さんもにこやかなお顔で「ようこそ!」と言葉をかけて下さり更に気分は上昇する。
駅舎の前に大きなキリコ看板が立っていた。そうか・・・ここが噂に聞いたことのある有名な石崎奉燈祭が行われるところなんだと知った。ツアーはここからバス移動となって、先ず「食祭市場」で昼食、そして「高岡大仏」の見学になっていた。
「高岡大仏」は銅造の阿弥陀如来坐像で大輪形の光背があり、総高15.85mだそうだ。添乗員さんの説明「歌人の与謝野晶子が『鎌倉大仏より一段と美男だ』と評したそうです。」の通り、すっきりしたお顔だちであった。そのモダンなお顔は見慣れた奈良の大仏さまとはかけ離れ、鎌倉の大仏さまとは違う美男ぶりで、見上げた瞬間私には少し違和感があったなぁ~。(笑)2014年12月4日のブログ日記を今開いて鎌倉大仏の写真を見直してしまったよ。
参道入り口両脇に立つ銅製の仁王像も立派で、さすが富山県高岡市は日本一の銅器製品の産地といわれるだけに誇りが有るのだろう。台座の下は回廊になっていて、1900年に火災に遭ったという先代の木製大仏さまの頭部が置かれていた。
次に訪れた「富岩運河環水公園」(ふがんうんが かんすいこうえん)の散策時間内にJR富山駅を見ようと行ってみたが北側の旧駅で、北陸新幹線の富山駅とは反対側のようだった。時間的にタイムアウトとなり、情報不足が口惜しかった。
夕食は富山湾鮨&地酒「立山」を楽しんだよ。そして泊まりの「砺波(となみ)ホテル」の露天風呂、植え込みに雪が冠る岩風呂の天然温泉は最高に気持ち良かった。 おやすみなさい。
1月23日(土)
午前8時30分にホテルを出発。五箇山に近づくに連れ雪の深さが増してきた。
更に奥に行くと相倉集落(あいのくらしゅうらく)が在るそうだが、雪が深くて今日訪れたのは「菅沼集落」(すがぬましゅうらく)の方だった。真っ白な銀世界!バスから降りて雪を踏む。そして雪かき作業のおじさんの姿を一枚。「えつ? モデル料2000円では駄目ですよ。もっともらわなくては。わっはっは!」とほっこり冗談を楽しみ、展望台から雪道を歩いて村に向かった。ルンルン気分で気がゆるみ油断すると滑って転がりそうになったが、こんな大雪は久しぶりの体験で嬉しくてたまらない。かがんで雪を抱え込んで桜の花びらを散らす様に放り上げてみた。彼も既に遠くでやっていた。「まるで子供だよ、止めときな。」と後ろから来た人が笑っていた。そうだね、指がちぎれそうに冷たかったよ。
「白川郷・五箇山合掌造り集落」は1995年に世界遺産の文化遺産に登録されたらしい。こちらの菅沼集落は山あいを流れる庄川の河岸に九棟の合掌造りの家が残っていて、江戸時代末期に建てられたものが二棟、明治時代に建てられたものが六棟と大正時代(1925年)に建てられたものだそうだ。私の頭の中に残っている景色とは異なっていたので、以前私は相倉集落に行っていたようだ。
冬の豪雪に耐え昔は養蚕や塩硝(煙硝)の製造がこの集落の産業だったそうである。塩硝とは火薬の原料となる煙硝のことらしい。彼は「塩硝の館」に興味を持っていたが、私は「塩」に訳が解らなかった。金沢のお殿様・加賀藩は「煙」ではなく「塩」の字を使っていたのだそうだ。
菅沼集落は藩直轄の秘密の製造地で当時は床下で塩硝を造り、土間で和紙を漉き、屋根裏で養蚕をしていたという。4・5年かけて出来上がった塩硝は秘密の「塩硝の道」を通って運ばれ藩に納められたという。藩の貴重な財源となる塩硝故に村の人達は手厚い保護を受けていたという。
行燈に貼り替える和紙を買いたいと思っていたが、こちらでは手に入らず、香紫米とかぶら漬けを買い、甘酒を飲んで思い出にした。かぶら漬けは素朴でしっかり地の味がしてとても美味しかった。雪景色の写真をいっぱい並べたが、ちょっと並べ過ぎかなぁ~(笑)
10時30分バスは「新湊きっときと市場」に向かい各自自由昼食となったので、富山湾で獲れたての新鮮なお刺身とここでも又握り鮨と立山を飲んだよ。好きな物をお腹いっぱ食べてツアーの皆さん全員いいお顔!しあわせ しあわせ。
それから金沢三大茶屋街の一つらしい「ひがし茶屋街」を歩いたが、小京都とも言えそうな街並みで出格子の建物が並んでいた。和服姿の女性がしっくりとくる雰囲気があった。城下町風情を残す重要伝統的建造物群保存地区に指定されているらしい。色んなお店があって、人気の観光地になっているのだろう。
「箔座本店」では厚さ1/10000mmの金箔4万枚を使って豊臣秀吉の黄金の茶室を再現したという金箔で覆われた茶室の見学があったし、金箔を薄く伸ばす箔打ちの実演も見せてもらった。ひがしの茶屋街で見た「黄金の蔵」と共に職人さんの技量に溜息がでるばかり。
金箔は手の指では扱えないのを絵の分野で体験済みの私、貝合わせの蛤の内側に溶した膠を塗って金箔を貼って絵を描くのであるが、お手上げだった。画家先生が長い竹のピンセットでスッと剥がしてスッーと貼って下さったのを覚えている。息をのんで見ていたのを思い出す。それ以外に金箔の魅力にはあまり関心が無く、箔を使った色んな工芸品やなんと美容金箔・金箔エステもあると聞いて驚きだ。ただお酒や飴やお茶に入っている食用金箔はいいよな。(笑)
金沢駅で「鼓門」(つづみもん)を見た。北陸新幹線の開通に伴い造られたそうだが、らせん状の柱と格子の屋根で鼓をイメージした芸術的な堂々たる構えだ。ガラス張りの天井アーチも素晴らしい。これは「もてなしドーム」とか言われ、雨や雪の多い金沢で確かに傘替わりともなる空間だ。昨年(2015年)5月の開業時はテレビの報道で何回も何回も目にも耳にも印象が強かった。ちなみにリニュウアルされたこの金沢駅は”美しい駅”として世界的にも認められているとか。
16寺56分金沢発「サンダーバード」て帰路につく。忙しいと言えば忙しいが、マイカーを手放した今となってはツアーのお陰で色んな所いろんな物を手軽に見聞き出来、合掌造りの冬景色を見る長年の望みも叶って大満足。それに日程がもう1日遅かったら大雪に埋もれていたかも知れないし、最近頓に多いバスの転落事故を考えると、無事に帰れて感謝感謝。 おつかれさま。