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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

冬至

2011-12-22 | 日記
今日は冬至
1年で昼間が一番短い日、と子どもの頃から認識しているわけだが、寒さはこれから更に厳しくなる、やっぱり寒いなぁ~。

明日から今月の「歩き遍路」が始まる予定。108ケ寺のうち数えてみると残すところ6ケ寺となった。お仕舞で舞台に立ったことがある『屋島』故に、今回の屋島寺を楽しみにしていたはず、謡曲『海人』ゆかりの志度寺にも思い入れがあったのであるが・・・・・
昨年冬のお遍路での風邪ひきにすっかり参ってしまっている私、年の瀬に寝込むわけにはいかず自信の無さに参加を諦めた。お仲間のご無事を祈りながら待とう。そして春が来て温かくなったら「歩き」でなくても1人旅をして穴埋めをしようと思う。

迷いから覚めてきっぱりと思い開き、今日の冬至に頭を切り替えた。
そうだ!かぼちゃを食べるんだったっけ。ゆず湯に浸かるんだったっけ。冬至にかぼちゃを食べると風邪をひかないという日本文化のおまじない、今年も「いとこ煮」を作ることにした。
買い置きの“かぼちゃ”と“ゆで小豆”の缶詰を取出し、レシピを繰った。かぼちゃ大好きの私、やっぱりホクホクしたかぼちゃ、日本産のがいいなぁ。
鍋に3cm角位に切ったかぼちゃと水を入れて少し煮て柔らかくしてから、ゆで小豆と極少しのお醤油を加えてしばらくすると出来上がり!簡単!甘くて美味しいね。

ゆず風呂の話で友人が言っていた。鬼ゆずを入れたんだけど、体がヒリヒリして痛くて痛くて、長く浸かるのは良くないねぇ、と。。。
“鬼ゆず”と言えば、愛媛県を歩いていた時に見てびっくりした事があった。赤ちゃんの顔ほど否もっと大きいのも有った。あれを半分に切って入れたと言うから(笑)
普通のゆず3個ばかり、丸のままでは確かに物足りないが、切り目を入れると楽しめるよ。昔、京都の奥の「ゆずの里」でヒノキ風呂に10個ほどぽかぽかと浮かせたゆず風呂に入った時は本当にいい具合にいつまでも身体がホカホカとして癒されたのを思い出す。

ゆず風呂は彼女の話で楽しませてもらい、私は今年、ミカン風呂にすることにした。安心のミカンの皮を干しているのである。エコを楽しむ喜び、コレも悪くはなさそうだよ。
それでは今夜はミカン風呂に浸かって寒さを解消してお布団に入ることにしよう。そして、年の瀬も元気に過ごして、にこにこ顔で大家族になるお正月を迎えよう。





伊勢神宮125社めぐり:その3

2011-12-15 | 日記
伊勢神宮125社めぐり」第3回に参加。
やや寒かったがお天気は良く、歩くにはいい日和。
今回は田丸・小俣(おばた)・機殿(はたどの)24社めぐりであった。
松坂駅に集合して、最初は神服織機殿神社(域内・神服織機殿神社末社八所)へ参拝。
読むことすら実に難しい!これは「かんはとりはたどのじんじゃ」と読み、内宮・皇大神宮所管社、そしてその域内にあるこの神社の末社八所を含み、1ケ所で9つの神社参拝となるらしい。こちらは下御糸(しもみいと)とも言われ、神御衣祭(かんみそさい)〔夏:5月と冬:10月の14日〕に神宮に納める絹布を織る所だそうだ。

ちなみに、このお祭りは内宮の御正宮と荒祭宮に和妙(にぎたえ)と言われる絹織物と荒妙(あらたえ)と言われる麻織物を、神様の御衣としてお供えする儀式で、布は松阪地元の織子さんが織られるとのこと。

参道を進むと左手にある建物、下段写真左端は神宮神職が来られた時に泊まられるところで、写真2番目、真正面の萱(かや)葺き建物が御機殿、左が神服織機殿鎮守神を祭る社である。玉垣の中には小さな社が2つ両脇にあって、白い石が敷き詰められた広い神域の左側に2社、右側に4社があって合計八末社となるわけである。
                    (画像はクリックすると拡大する) 


伊勢神宮の鳥居の特徴についてミニ知識を得た。
1つ:鳥居は反っていない、1つ:傘木(上部の横木)の木口が五角形である、1つ:島木(傘木の下に沿う横木)がない、1つ:貫(ぬき)は柱を突き出ない、1つ:額束(中央に額を掛けるところ)がない。橿原神宮・三輪神宮etc.機会があればいろいろ見てみようと思う。

全く同じ造りの上御糸(かみみいと)と言われる神麻続機殿神社(域内・神麻続機殿神社末社八所)は「かんおみはたどのじんじゃ」と読み、麻布を織るところだそうだ。
大きななぎの木があった。この常緑高木の葉には中央の葉脈が無く細い筋が葉全体に平行に走っていて、確かに引き千切るにはかなりの力が要るようで強かった。それで“縁結びのお守り”になったり、苦難をなぎ倒す意味で“旅のお守り”にもなるそうである。
この神社の鳥居をくぐると参道の両側に榊(さかき)が多く植えられているのも印象的であった。
鳥居をくぐると神域という事で榊は境木とも書いて境目を表すというお話も聞いたよ。。。。。
観光気分のお参りを諭された気持ち・・・・・


斎王宮跡には斎王の宮殿や斎宮寮のあった位置をミニチュアで再現していて、当時を偲ぶことが出来た。想像をはるかに超える広大な敷地であったことに驚いた。
いつきのみや歴史体験館では十二単の試着体験や機織り体験など楽しんだ。斉宮歴史博物館では斎王の旅立ち:平安京から勢多、甲賀、垂水、鈴鹿の峠を越えて、内宮に至る「群行路」再現ビデオを見せてもらったり出土品etc.の見学も出来てなかなか良かった。
         

田んぼ道をかなり歩いた。村の人からは「雨のみや」と親しまれ、雨乞祈願をしたという小社神社(おごそじんじゃ)に来た。
ここで教えてもらった話を書いておこう。
屋根の側面の真ん中にある柱を棟持柱(むなもちばしら)と言って、式年遷宮で解体された柱は再利用されるそうだ。
内宮正殿の棟持柱は宇治橋神宮側鳥居となり、さらに関の東の追分の鳥居となり、外宮正殿のそれは宇治橋おはらい町側鳥居となり、さらに桑名の七里の渡しの鳥居になると決まっているとか。へぇ~。。。。。
博物館で見た掘立柱を思い出した。確かに地中に埋まっている白木は朽ちるが、地上部分はまだまだ大丈夫なんだよナ。
               
                                     小社神社                宇須乃野神社

それから棟持柱の近くに見える4本+4本の棒のような物、
これは伊勢神宮のように神馬の居る神社に見られるもので、ムチカケ(鞭懸)と言うらしい。先には金属が被せられていた。
又、千木に穴が空いているのが解る。風の通る風穴で、小社神社は2つ半。千木の先が水平に切られている場合とか。
どこかで2つ穴を見たいと思っていたら、あった。宇須乃野神社(うすののじんじゃ)、上段写真右端、風穴2つで千木の先は垂直に切られている。

折角だからもう1つ、バスの中で教えてもらった話「神棚」について復習しておこう。
神棚にお供えする物は?の質問に参加者全員の常識が集まって正解にたどり着けたが、榊の木とお酒とお米とお水とお塩だそうだ。そして伊勢神宮のどの神社も南向きに建っているように、神棚も北を背にして人がその下を通らない高い所に設けるそうだ。フゥ~ン・・・・・

常識の足りない私、今回もいろいろ勉強させてもらった。
もう頭の中がバラバラで忘れたこともいっぱいあるが、最後に思い出した。
甚大な費用を掛けて建て替える式年遷宮の意義の1つに、神様は「常に新たに清浄」がお好きということ。
神道の精神を学んで、日常生活いつもきれいであったら気持ちいいだろうなぁ。そして「常若」の精神も持つべきかナ。

←左は昼食の斎王御膳「斎王べんとう」。
平安時代の材料に近い食材で調理されているそうでお酒が欲しくなるようなお料理、美味しかったね。
明和町観光協会の「いつき茶屋」さんの説明では、7世紀後期から約660年間続いた斎王制度、その時代の斎王の食事を復元しているとの事。