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伊勢神宮125社めぐり:その5

2012-02-22 | 日記
今日は「五十鈴川・35社めぐり」に参加。
一日で35社とは随分な数!宇治山田駅10時集合で17時頃解散、徒歩約2,5キロ(宮域は含まず)の案内チラシを持って出かけた。

ツアーバスは御幸通りを抜けてR23号線を走り、伊勢市鹿海町(かのみちょう)にある皇大神宮末社の1つ、加努弥神社(かぬみじんじゃに来た。
田んぼの中にある小さい神社で、社殿は無く玉垣の中の石畳の上に石神さまが祀られていた。昔の信仰がそのまま残されているのだ。それでも神域としての雰囲気はただよっていた。五穀の守護神だそうだが、今回は祭神の名は逐一明記しないで書き進めようと思う。書くのにも読むのにも疲れる私。(笑)
        (画像はクリックすると拡大する)

鏡宮神社に行く途中、宮川の川岸の一角に「木場」と書いた立札があった。説明にあるように遷宮用の貯木場があった所だそうだ。200~300年かけて育った選び抜かれた木が水路を利用してここへ運ばれてきたのだナ。

鏡宮神社(かがみのみやじんじゃの森は他で見るような鬱蒼としたものではなく、顔を上げると青空が見える明るい境内であった。宮川と朝熊川の合流する三角洲にあって、海水が混じり木が育たないそうである。
お社の裏手に回ると木柵で囲まれた岩があり、昔ココに2面の神鏡が祀られていたそうで、こちらの祭神は岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)という。境内を出て左手に進むと朝熊神社に通じる橋があって橋の袂から見るこの辺りの景色はなかなか素敵であった。

            

朝熊神社(あさくまじんじゃ、風情のある階段が入り口から社殿まで続いていて、木の扉の立派な社殿が2つ並んでいた。皇大神宮第1の摂社として位の高い神社だ。向かって左側の朝熊御前神社は朝熊神社を本社とする御前にある付属の神社となるそうであるが、こちらも同じく摂社であった。
余談ながら、観光案内人さんが教えてくださった木の話。先の鏡宮神社では「うばめがし」という木(備長炭の木)、そしてこちらの神社の裏手には梨の原種があって、その小さい茶色の実は確かに梨の皮であった。

走るバスの左手に神宮神田(じんぐうしんでんが見えてきた。丸太の鳥居が立っている。
五十鈴川の水を引いて神宮で用いられる祭典用のお米が作られているそうだ。 とにかく広い!神田中央には祭場があって、神田祭(下種祭・御田植初・抜穂祭)が行われるそうである。見せていただいた伊勢新聞でその古式ゆかしい行事の雰囲気に驚いた。 
             


また大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃの境内で珍しい木を知った。「カゴノキ(鹿子の木)」と言って太鼓や鼓の外枠に使われるそうだが、樹皮が丸い斑点状に白く剥げていて、奈良公園で見る鹿の子どものような模様になっていた。面白いなぁ~。
ついでながら後程内宮で教えてもらった木・「バクチノキ(博打の木)」を並べておこう。斑点状に剥がれた部分が赤いのでその違いが判るそうである。
         

        8社の参拝が済んだところで、神宮会館にて昼食タイム。    

午後の参拝は、大きな楠がある大水神社(おおみずじんじゃから始まった。この巨木は神社をまるで確り支えているかのように見える。御同座に川相神社(かわあいじんじゃ熊淵神社(くまぶちじんじゃ、があり、1ケ所で3つの神様の参拝が済むことになる。
楠の向こうに見える白壁塀の中は神宮の学問所・国指定史跡の旧林崎文庫で、あの本居信長ら学者達がここで学問を教えたそうである。
        下段の写真は饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ。饗土とは内宮の宮域四方の境に悪しきものが入って来ないように見守っている所という意味で橋姫とは橋を見守る神様という意味なのだそうだ。社殿正面の鳥居からまっすぐに見通すと宇治橋の両端にある2つの宇治橋鳥居がきれいに視界に入る。感動である!
             
  
この後津長神社(つながじんじゃと御同座の新川神社(にいかわじんじゃ石井神社(いわいじんじゃの参拝を済ませ、五十鈴川に架かる宇治橋(長さ101.8m、巾8.4m)を渡って内宮に入った。俗界から聖界へ踏み込んだことになるのかな。
広い神苑(しんえん)の中、大正天皇御手植松を見て五十鈴川御手洗(いすずがわ みたらし)で清めをして、滝祭神(たきまつりのかみに参拝。鳥居もお社も無い石神さまが祀られている。別宮に準じて祭典が奉仕される特殊な神様だそうだ。この滝祭神も含め、内宮内には皇大神宮はじめ13のお社があるらしい。

             

御正宮の参拝を終えて下りてくると石垣の角に「籾だね石」(もみだねいし)という巨大な岩がある。江戸時代に地元の人達が五十鈴川の川上から長い年月をかけて運んできて献納したものだそうだ。その間に飢饉がおきて、人々は種籾まで食べ尽くしたという話がその名の謂れになっているそうだ。知る人ぞ知る話である・・・・・

それから私の関心を引いたのは荒祭宮(あらまつりのみやに行く途中にあるすっきりした倉・御稲御倉(みしねのみくら。神宮神田から収穫した抜穂(ぬいほ)の稲が納められている倉だそうだ。鰹木の下に菊の御紋があるのは教えてもらって初めて気づく発見である!
そしてもう1つ、外幣殿(げへいでん、これは古神宝類が納められているそうだが。。。。。
            
    籾だね石       御稲御倉          外幣殿           荒祭宮

五十鈴川に架かるもう1つの橋・風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)は別宮の風日祈宮(かざひのみのみやに通じる。
橋の擬宝珠には1497年、(明応年間と言うよりも室町時代と聞いた方が解りやすいかな?)の銘が入ったものや嘉永6年(1853年 江戸時代)の銘入っているのが読み取れた。
この擬宝珠の作者・御鑄物師の銘も入っていたなぁ。
20年に1度の造り替えの折にも擬宝珠はそのまま使われ続けていくんだ。すごいなぁ・・・・・
                     

御厩(みうまや)に来た。この時間、神馬・『空勇号』(そらいさむ号)の姿はなかった。いつか外宮で見た神馬と重ね合わせて白いきれいな馬を想像した。18歳の空勇号、皇居では皇太子妃・雅子さまが乗られていたそうだ。昨年9月に神馬としてこちらに来て、残る生涯大切な役目を担っていくんだね・・・・・

皇大神宮所管社の子安神社(こやすじんじゃも印象に残っているので書き残しておこう。
あまりにも綺麗な名前だけに私の頭の片隅にあった神様・木華開耶姫命(このはなさくやひめのみことは猛火の中で無事に出産されたという謂れがあって、安産の神様、子宝の神様としてここに祀られているのだと初めて知った。ふぅ~ん。そうだったのか。日本書紀に載っているのかな?
そういえば今年は古事記1300年祭であるが、日本神話にそれ程の興味が無かった悲しさ、耳からの情報だけの私。
是非という人は社務所で奉納用の鳥居を買ってきて願い事を書いてお参りするようである。沢山の鳥居が奉納されていたよ。
奥にある大山祗神社(おおやまつみじんじゃは開耶姫の父神・大山祗神を祭る神社である。

疲れてきたなぁ。。。。。
丁度「おかげ横丁」の散策となり、幸いかな!休憩タイム。
大正年間全国数ある酒蔵の中から神宮御料酒として唯一選ばれたという『白鷹』純米吟醸を扱うお店・三宅酒店に来た。一人1合2杯まで!という利き酒が許されるそうである。お伊勢参りの行きに1杯帰りに1杯とはなんと楽しいお伊勢さんなることよ!すでに神宮内で白磁に入ったお神酒を手に持っていた私達、ここでは“みたらし団子”を食べて赤福を買っただけ。問題を起こした赤福さん。まさかここでは製造年月日の偽装はないはずと信じて。。。。。


白い石が樽に入れて置いている所があった。立札は読んでの通り、来年・2013年の式年遷宮の折、新宮の敷地に敷き詰めるお白石持行事(おしらいしもちぎょうじ)用の石なのかな?子どものこぶし程度の大きさの川石に限り、一般の人もこの石を持参するとこの行事に参加できて御正殿を見ることができるという。条件に適合する綺麗な川石を3万個以上集めることの大変さはどうなんだろう・・・・・

さて本日の35社も残すところ5社となった。
小雨が降り出してきた。皆んな傘をさして皇大神宮末社葭原神社(あしはらじんじゃへ急ぎ足。境内の苔が美しい神社であったなぁ~。
そしていよいよ最後に月読宮四宮、長い参道を進んでいくと4社が並んでいた。向かって右から2番目が月読宮(つきよみのみやで最初に参拝する御宮。天照大御神の弟の神様・月読命が祀られているそうだ。
右端は月読荒魂宮(つきよみのあらみたまのみやで月読命の荒御霊が祀られている。
伊佐奈岐宮(いざなぎのみや伊佐奈弥宮(いさなみのみやはそれぞれ天照大御神の父神と母神であることはもう解るようになってきたよ。(笑)
           


お疲れ様。今日の「35社めぐり」は無事に終わった。
「熊野詣で極楽浄土を祈願し、伊勢神宮で生きる喜びを感謝する」のだと何処かで聞いたことがあったっけ。私のようにカメラ片手では正式なお参りにはならない事を恥じながらも感謝。本当によかった。  








  




  
  
  
   
  

    

玉造温泉

2012-02-12 | 日記
“かにを食べる”には、寒くてもこの季節ならではの旅の歌い文句。私は玉造温泉には行ったことがなかったし、彼は出雲大社に行ったことがなかった、という事で決まった。こんなポピュラーな観光地を知らず、人の行かない地図の端っこを敢えて選んできた彼に、狭い日本の良さを認識してもらわなければならない。
 
 2月10日(金)
新幹線を乗り換えて岡山から「特急やくも」で2時間38分、ローカル線列車は少し揺れながら玉造温泉駅に到着した。
途中車窓から見た雪景色に私のテンションは上がり、雪の玉造温泉を期待していたが、雪はちらつく程度であった。

温泉の湯は身体を髄から温めてくれた。食事はそれなりかな。
食事に隣席した80歳近くのお年寄りのお顔がとても印象に残っている。そのお顔は一生懸命働いて人生成すべき事を成し悔いなき今を過ごしておられる笑顔であった。娘さんとの旅だとのこと。在りし日の母を思い出し私にもこんな時があったっけ・・・・・

2月11日(土)
観光バスで出雲大社(いずもおおやしろに来た。
60年に一度の遷宮工事中で今は御仮殿での参拝であったが、平成25年5月10日に完成だそうだ。
今日は2月11日、建国記念日。国旗掲揚台のなんと高いこと!びっくりして見上げた。風は無く はためく日の丸は見れなかったが、旗竿は47mで日章旗は畳75枚分に相当するという。そして神楽殿の“しめ縄”も実に大きい!長さ13m、重さ5トンだそうだ。人がまるで小さいよね。
沢山の人のお参りであった。「建国記念の日」をお祝いしましょうと境内で紅白のお餅を頂いた。
縁結びの神様・出雲大社に来て紅白のお餅を頂いて突然思い出した。彼と初めて会ったのは45年前の今日雪の降る日だった事を。人生いろいろな時期が有ったけれど、拝殿の前に立つと取敢えず改めて月日の流れに感謝することになった・・・・・
こちらの参拝作法は二拝四拍手一拝だそうで皆さんに習ってそうした。

国造り・国譲りの神話が『日本書紀』(720年)に「國始馭天下之天皇は神武天皇と申し、云々」とあるそうで、国造りをされた大国主命が天照大御神に国譲りをされたのが2672年前の2月11日だったと知った。
  皇后陛下の御歌
    国譲り 祀られましし 大神の
         奇しき御業を 偲びて止まず   
(平成十五年十月三日)
を何回も読み返し日本国の象徴として続いてきた天皇制に染まってきた何かしらの国民性を自分の中に改めて感じた。

         (画像はクリックすると拡大する)
     神楽殿            大国主命          日御碕神社

【上段右端の写真は日御碕灯台へ行く途中、山あいに見えた朱の神殿・日御碕神社で、大国主命の祖神・須佐之男命(すさのおのみこと)が祀られているそうだ。】


さて、玉造温泉も出雲大社も二人の望みは叶った。ところが旅には“おまけ”があって、日本一高い石造りの美しい灯台・日御碕(ひのみさき)灯台にも行けたのである。島根半島最西端に建つこの灯台、光達距離は39キロに及び平均水面から灯火までの高さは63mということで、その距離を置き換えてみると規模の大きさが想像できる。
急な螺旋階段160段あまり、息を切らしながら登った。
巨大なレンズを見上げて犬吠埼灯台(99段)より大きいはずのレンズに感心したり、展望台で受ける寒風の凄さに悲鳴を上げながらも、ウミネコが飛び交う360℃の景観に登ってよかったと満足した!
余談ながら、2つの灯台、「碕」と「埼」の違いに気付くかな?
売店の前で(下段写真右端)こんな怪物に遭遇! 私「ひぇ~。これ 何?」 彼「エイの干物だよ。」ホントかなぁ~・・・
                      
昼食の後は「島根ワイナリー」でいろんなワインの試飲を楽しみ、外国産でなくてもいいんじゃない?という気になって、友人にお土産の一本を選んだ。

松江市に来て大根島の「由志園」では未だ寒牡丹が咲いているというので入園した。
奈良県の石光寺ではお正月前後と記憶している私、菰をかぶったあの可愛い姿に出会えてよかった。

最後は境港市に来て「水木しげるロード」散策である。
マンガ「ゲゲゲの鬼太郎」のファンには魅力のある所だろう。否それでなくてもココを訪れる人は年間すごい数らしい。境港は水木氏の出身地だそうだ。ロードの両側には鬼太郎とお仲間達の妖怪ブロンズ像(139体)が並び、いろんな鬼太郎グッズや鬼太郎まんじゅうやパン等、それに妖怪神社もあったよ。そういえば「特急やくも」が停車した米子駅で見かけた「鬼太郎列車」は境港と米子間を走っているらしい。
境港大漁市場の入り口には7.7mの巨大な鬼太郎の石像があったりで。すごい すごい!
        
  

市場の中で「ゆがきたて1枚12000円」を買うゆとりは無くて写真だけ。

米子市では「お菓子の壽城」でのお買い物タイム。
いろんなお菓子の試食の後は品選び、やっぱり私もこの歳になって、すっかりツアー客になってしまったのかな。(笑)
二日間たっぷり楽しめてよかった よかった。