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井手の蛍

2018-06-17 | 日記
蛍が見たい!
田植えが終わる頃になると毎年のように思い浮かべるのだが、昔とは事情が違って見ることが出来る場所が極めて少ない。かって野迫川で見た蛍の乱舞する夢のような光景が忘れられず、≪折あらばもう一度あのような光景に出会いたい≫、その願いが叶った。先月茶摘み体験をした京都府綴喜郡井手町の南谷川である。

  6月16日(土)
JR山城加賀駅で降りた。蛍が飛翔するのは午後8時~9時頃がピークと聞く。
せっかくの井手町だから古墳にも行こうと彼の楽しみを加えた。

駅の西出口から出て先ずは乗蓮寺に立ち寄らせてもらって境内を抜けると、あの平間家住宅の屋根が見えた。今日は門が開けられていたのでご無理をお願いすると中を見せていただけた。江戸時代末期(1845)の建物で茅葺き大和棟造り、庄屋さんのお家だったそうだ。門の中、母屋の入り口の横前面にはお坊様など特別なお客様だけが出入りされたという「関善門」、瓦すべてが家紋入りの意匠を凝らした素敵な門があって美術館で感じるような衝撃を受けた。

          (画像はクリックすると拡大する)  

“へっついさん”には大きな鉄の鍋や釜が据えられていた。一瞬タイムスリップして「“おとこしさん"と呼ばれていた男性の使用人さんが食事をしていたのはココですよね。」「そうです。そうです。」
庄屋さんではなかったが、母の実家の大きな家のよく似た造りを思い出して懐かしくなった。“しもみせ”という言葉も思い出したよ。

思いがけずこんな機会を得てすっかり嬉しくなり、ますます井手町が好きになりそうだった。
それから安楽寺を経て天王山「西福寺」にも立ち寄った。こちらのお寺は先日(5月20日)訪れた高神社の神宮寺だそうで、本堂の前の銅像「せいしまるさま」を見て、勢至丸さまとは浄土宗の開祖・法然上人の幼名なる事を知った。
こちらのお寺の観音堂には十一面観音像他数体の仏様がいらっしゃるようで、幻の「中山城三十三ケ所観音霊場」の十八番札所だそうだ。

ところで、彼がネットでコピーして楽しみにしていた「茶臼塚古墳」は住宅地開墾の為に片付けられて今は無く、復元の予定だそうだ。ガックリ。
それならネットにあのような写真を載せないで欲しいと立腹しても始まらず、いやいや今日は蛍観賞がお目当てなんだからと諦めた。(笑)

「みどり農園」に着いて、予約しておいたバーベキューで暗くなるのを待った。
川遊びをする幼い子供・姉弟の姿が愛らしい。陽が沈み三日月が夜空にくっきりと照り始めると念願の瞬間がやってきた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ 出てきたぁ~!」次から次へとゆっくり点滅しながら上下左右に光の線を描いて飛んでくる無数の蛍。橋の真ん中で手を伸ばすと、手ごたえが有り、そっと握ると指の間で光って逃げた。「やぁ~ ありがとう!」と思わず叫んでいた。

今の私には三脚を据え置き飛翔する蛍を撮って合成し光の奇跡写真を仕上げる気力や根気は全く無くなっている。蛍の飛び交う光景をゆっくり楽しもう、と決めていた。     
草むらで休憩する蛍、我が胸に留まるのも居た。おばあちゃんでゴメンね。暗闇で見えないんだよね。木綿の生地が気に入ったらしい。アジサイの葉っぱの上で一匹、ひとり遊びをしている君の写真を一枚貰っていいかな、動かずにお願いね。
  
大人も子供も年寄りも皆んなこの幻想的な世界に魅せられて、夢のようなひと時を過ごした。
井手町は町ぐるみで蛍を大切に育てていられるようだ。南谷川の車道に面する側には車のライトが当たらない様に網が張り巡らされていて、保護条例看板も取り付けてあった。捕獲して持ち帰る人も居ないだろう。川を汚さずみんなで蛍を守っていこう。ずっとずっと毎夏こんな夜が来るように。。。。。

昔の野迫川程ではなかったが、充分に心を満たしてもらった。源氏蛍にありがとう!


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