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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

熊野古道伊勢路ー三浦峠

2014-05-21 | 日記
朝から“庭いじり”をしていると「からすうり」や「むかご」の芽を発見。今年はコレで「むかごご飯」が炊けるかな?しっかり育てよう。「シシトウ」2本も楽しみ!ままごと遊び程度の野菜作りもなかなか難しいよナ。
ゴソゴソうろうろしていると熊野古道「三浦峠」を歩いてから2日過ぎてしまって、早くPCの前に座らなければ記憶が抜けるよと自分に言って聞かせて取り掛かる。

  5月18日(日)
お天気快晴、奈良近鉄午前8時出発。今日のツアー参加は42名とか。最初の休憩・名阪上野ドライブインに9時15分到着まで一寝入り、彼に笑われて、歩く為の準備だと言い訳をしながら内心自分でも笑ったよ。
午前11時、道の駅「紀伊長島マンボウ」(熊野灘臨海公園内)に着いて昼食のお弁当が配られた。広い芝生の向こうにある水辺(方上池)を見ながら木の根っこに座って食べた。周囲は青葉盛りの緑でとても静かな気持ちのいい所だったので少々まずいお弁当でもそれなりに胃の中へ。。。。。
道の駅店内には特産品マンボウの串焼き等が売られていた。マンボウは水族館で見るものと思っていて美味しいとは知らなかったのだが、次の機会には是非買ってみようと思う。やっぱり寝る事と食べる事だけが楽しみの私なんだよな。(笑)
        (画像はクリックすると拡大する)

スタート地点の広場に建てられた「古里温泉」の看板、「こり」ではなく「ふるさと」と読むらしい。民家数軒を通り抜け古里海水浴場の堤防に出ると、海面に浮かぶ小さい島々が見渡せた。始神峠の頂上から眺めたあの『紀伊の松島』と言われる景色の一部のようだ。
それからまもなく国道42号線の「古里トンネル」を目の前に見た。トンネル左横には大正6年(1917)」に造られたという「旧 海野隧道」(きゅう かいのずいどう)があって、古里歩道トンネルとして現在も利用されているらしい。海野から道瀬(どうぜ)を繋ぐ長さ208m、幅3.2mの煉瓦造り、案内板に「赤煉瓦によるイギリス様式のポータル(坑門)は縁取りの楯状の迫り石とともに優美な造形美を示している。」とあるように、成程大正時代にしてはモダンな様相であったに違いない。風情を感じる赤煉瓦、左上部は昔の面影が残っていて解るよな。ふぅ~ん、楯状の石が並んでいる部分を迫り石(せまりいし)と言うのか・・・・・
トンネルに気を取られアングルを下手してしまったが、私達はその隧道の左に在る「佐甫道」と呼ばれる道を上って「若宮神社」を経て道瀬海岸沿いの道を通って、三浦峠登り口まで迂回するのだ。が、古里トンネルを使うとソコまで簡単に行けるらしい。
                     

さて、山歩きが始まってすぐ「サボ鼻展望台」が在り、先程の古里海水浴場や熊野灘まで広がる海の景色を楽しむ事ができた。

シダの多い道を進んで行くと案内人さんが「ウラジロ」の話をして下さった。ウラジロはお正月のお飾りに使うので誰もがよく知っているわけだが、私は葉の裏側が白い事以外に何も知らなかった。
ウラジロは茎の先端にあの2枚の葉を毎年付ける多年草だそうだ。そういえば長く伸びた1本の茎の下部は枯れているのに、二岐に分かれた緑の葉が段々に付いている。普通の植物のように1年で何段にも伸びてあのような全形になるのだと思っていた。3枚100円余りのウラジロが、成長する葉の先端部分だけ摘まれている貴重な物なのだと初めて知った。
紙飛行機のように飛ばす事が出来ると聞いて、むやみに摘んではいけないと思いながら1つもらって飛ばしてみた。上へ投げ飛ばすのではなく低い谷の方へそっと手放すのがうまくいくようである。優雅な舞いを見せてもらってウラジロにありがとう!
さぁ~、道草をしてないで早く前の人に追い付かなきゃ。。。。。急げ!
                               

ひっそりと静かに鎮座する若宮八幡神社を過ぎ、赤い橋を渡ると道瀬海岸の堤防に出た。
そして先程の古里トンネルのあるR42線に合流する所に「三浦峠」登り口が在った。いよいよ世界遺産「熊谷道を歩く事になる。石標の建つこの地点から世界遺産となるそうだ。
峠の頂上(標高113m)まで少々急な登りが15分程続いたが、ヒノキとシダの緑いっぱいの山の空気が元気をくれた。ヒノキ花粉の飛ぶ時期も終わり、森林浴とはこのような歩きの事らしい。
登り口からココ迄で480mひと息いれて下り始めると、マントのように山肌を包むシダの極めて美しい群落が続いていた。そして30分程で世界遺産の終点「熊ケ谷橋」(くまがやばし)に着いた。
                      
熊谷橋の案内板を読むと、以前から架けられていたのが1944年頃流失したそうで、2005年5月3日に世界遺産指定を受けて復元されたそうである。「両岸に残っていた立派な石積基礎台を生かし、日本古来の橋梁工法である両杖式支柱を持つ、長さ14m、幅2.3mの総檜作り」だそうだ。支柱部分はなんと樹齢1500年を超える直径80cmの巨木が使われているそうでスゴイよね。木は切られてからも同じ年数生きると聞いたことがあるけれど、正に世界遺産の格式を備えたようだ。総工事費は2200万円だったとか。
「両杖式支柱」なるものを見たさに橋の下を覗き込んでみると、一部を見て全体を推し測るしかなかったが、頑丈な支柱が両側から斜めに橋を支えていた。
               


再び歩き始めてふと見ると「万両」かと思う赤い実を見た。先程案内人さんが見せて下さった5枚の赤い実の成る植物の写真を思い出した。その中に「蟻通し」があって、「始神峠」を下りる途中で教えてもらっていた植物の名前である。
「万両」・「千両」はお馴染みだが、「百両」と「十両」と「一両」もあるとは知らなかった。そして「十両」が「ヤブコウジ」で「一両」が「蟻通し」ならば折角なので前回に撮り置いていた「蟻通し」の画像を取り出し拡大して見ると、名前のとおり蟻でも突き通す鋭い細い針のようなトゲ、怖いなぁ~。
案内人さん曰く、「万両・千両を持っているなら一両も揃えてこそ『千両・万両有り通し』になる」そうで、庭に千両と十両だけしか持たない私はやっぱり貧乏人なんだよナ。(笑)

そんな事を思っている間に午後2時30分、JR「三野瀬駅」に着いた。無人駅で、時刻表を見ると列車は2時間に1本しか走っていないようだった。
今日は距離にして約6km、所要時間2時間30分、五月の爽やかな空気を吸って疲れも少なく、とても気持ちの良いウォ-キングであった。

しまなみ海道ーその2

2014-05-05 | 日記
スーパーのお買い物カレンダー5月2日に「八十八夜」と有った。♪夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは 茶摘みじゃないか ~♪、脳裏の奥の方でフッと思い浮かんだ「茶摘」の歌詞に改めて新緑の綺麗さを感じるこの季節。
立春から数えて88日目のこの日は私には歌の文句に過ぎない八十八夜だが、農家さんにとっては田植えの苗作りの準備を始めたり畑に野菜の種まきをしたり、とスイッチの切り替わる大切な日のようだ。遊びのお誘いを断わられた事があって、よく覚えている。(笑)

ゴールデンウイーク2日目の昨日、しまなみ海道歩きの2回目にして来島海峡大橋(くるしまかいきょうおおはし)を渡るツアーに参加してきた。
このツアーは大三島にある大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)と藤棚鑑賞が含まれていて、私の望みが一日で叶うわけで、家の片づけを後回しにして参加を決めたのである。
やはり懸念していた渋滞はそれ以上で、帰りはとんだ結末に。。。。。でも大いに満足出来て、しまなみ海道歩き全行程踏破の気持ちは何処かへ消え去って、どうやらこれで納まりそうだ。
                  (画像はクリックすると拡大する)   

   5月4日(土)
午前7時、近鉄西大寺駅で全員揃ったようで46名一向は、歩きスタート地点である愛媛県今治市の「糸山公園」に向かった。バスは明石海峡大橋と大鳴門橋を渡って四国に入り、徳島自動車道と松山自動車道を走り、午後1時50分目的地に着いた。
順を追って画像と共に整理しておこう。     
                    
来島海峡大橋」は大島と今治を結ぶ長さ4105mの橋で世界初の三連吊橋だそうだ。流れる様なリズム感と女王様のような優美さを備えた見るからに美しい素晴らしい橋であった。公園で背伸びして撮った写真をはるかに勝る素晴らしい景観を記憶に残したい。

さて歩きは午後2時5分スタート。糸山トンネルを抜け、橋桁から覗き見上げて望む橋の曲線美にも感動しながら“橋のたもと”へと上っていく。眼下に今治造船所を見て、サイクリングの人達が気持ち良さそうに下ってくる爽快な姿を目で追い、遠くに展望台を見て間もなく「来島海峡第三大橋」(1570m)最後の橋塔の足元に来た。そびえ立つ鉄柱の高さと太さがすごい!実に巨大!
吊り橋と言えば、奈良県の谷瀬の吊橋や徳島県の祖谷(いや)のかずら橋のイメージが強いので、こんなにスケールの桁外れの“でっかい”吊り橋はまるで巨人の国の巨人が歩いて渡る橋かの如き錯覚が起きてしまう。前方だけを見ていると大都会の真ん中を貫く普通の道路と変わりない感覚だ。
橋塔の高さ比較で添乗員さんが教えてくれた。高さに於いては明石海峡大橋の橋塔の方が更に高いようで、東京タワーが333m、アベノハルカスが300m、こちらが297mらしい。明石海峡大橋には歩道がないのでそれを体感することは出来ないよナ。
               

   
橋の下はブルーの世界、やっぱりここは海の上なんだと意識修正をする。島と島の合間に浮かぶ船があちこちに点在し、のどかな景色にうっとりしていると、猛烈な速さで走って来るのがあった。綺麗な白い曲線が描かれていく様は壮観でつい見とれてしまったが、思わず我に返って大急ぎでシャッターを切る。等々潮風を受けながらの歩きはいろいろな楽しみがあった。
1515mの第二大橋も過ぎ、960mの第一大橋も過ぎた所に、尾道まで65kmの標識があった。尾道まで69kmの標識を見てから4km、来島海峡大橋の長さを実感してちょっとした感動した。
そうか・・・この橋が完成したのは平成11年5月だったのか。15年前になるんだなぁ。。。。。。。

           
                   第一大橋の袂から一般道へ下って行く途中の景色もなかなか素敵でいい眺めを楽しむ事ができた。

ゴールの大島「よしうみいきいき館」に到着、午後3時40分、私達2人は予定の時間丁度に間にあってホッとする。
ココでは、吉海の来島海峡で取れたピチピチの魚介類を買ったその場で七輪バーベキューができる場所があり、沢山の人達で賑わっていた。もちろん歩きの我々にその時間は無い。「お写真撮らせてもらって良いですか?」「ええ 良いですよ。お肉ばかりですけど!」若い2人は気遣ってくれた。それではこちら様の網の上だけお借りしてみると、なんと大きなエビや貝!館の中の水槽に入れられていた魚やタコも確かにビックリする程大きかった。
来島海峡は日本三大急潮の1つだそうで、荒波で育った魚は大きくて身も引き締まって美味しいのかなぁ。ちなみに三大急潮とは「玄海」「鳴門」「薩摩の黒乃瀬戸」の3ケ所だそうだ。
         

全員が揃ってバスは4時10分に出発。「伯方・大島大橋」を渡り大島から伯方島に入り、さらに「大三島橋」を渡って大三島に来た。大山祇神社はこの島の西側に在るので自動車道R317号線から外れて宮浦に行くことになる。
大三島ICを過ぎる瞬間に、あの雨の日にはハッキリ見る事が出来なかった多々羅大橋の一部分が見えた。このような良いお天気の日に橋の全景を見たかったなぁ~。。。。。

私が「大山祇神社」に来たかった理由は、お四国88ケ所巡礼の際、第55番札所・南光坊が大山祇神社の別宮だと知ったからである。
南光坊のご本尊・大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)は元々大山祇神社で御本地仏としてお祀りされていたのが明治の神仏分離令によって遷されたと聞いている。
大山祇神社は愛媛県・伊予国の「一の宮」であり、全国の山祇神社、三島神社の総本山として山の神、海の神、戦いの神様として古代から人々の信仰の篤い神社だそうだ。宝物館には源氏や平家の武将が奉納したという鎧・兜・刀剣等の武具類が国宝や重文の指定を受けて保存されているらしい。

神輿庫の在る境内の入り口から入った。立派な神門をくぐると立派な拝殿が在り本殿はその奥にあって、天照大御神の兄神・大山積神がご祭神として祀られているだそうだ。(山祇と山積、字は異なるようだ・・・・・)
神門前の石段を下りると目の前に天然記念物の御神木・大きな楠の木があって、樹齢二六〇〇年「小知命御手植の楠」と書かれていた。小知命(おちのみこと)とは大山積神の子孫らしい。少し離れた所にもう1本大きな空洞のある大楠が在って、こちらには樹齢三〇〇〇年「能因法師 雨乞いの楠」と書かれていた。祈雨の伝説があるようだ。
広い境内には大小いろんな社があって、大山祇神社の社格の高さが伺える。
              
               *拝殿左側のすかし窓から覗かせてもらうと本殿と左側に在るのが下津社で、反対側には上津社が在るようだ。

急ぎ足であったが参拝を済ませ私の気持ちは落ち着いた。集合時間午後5時30分に遅れないよう残すは藤棚へ移動した。「大三島藤公園」と言う名の公園だったそうで道の駅「御島」のすぐ前にあった。
折しも満開!丁度見頃で大変美しく藤の香りに包まれ幸せいっぱいの気分になって満足満足!藤娘ならぬ藤婆もポーズをとってカメラに納まったよ。(笑)

すべてが終了、一路帰路につくのだが早々に車は前進不可能。はるか前方まで車の列が続いている。予定表では各地到着7時~7時30分頃となっていたが、西大寺駅に着いたのは真夜中午前1時であった。数少ないタクシーを偶々拾うことが出来て帰宅した次第。
運転手さんのお気持ちを察すると頭が下がる。無事に帰れた事に感謝。お疲れ様でした。