知恩院へ
2022-04-29 | 日記
4月28日(木)
お天気良し。母を背負って彼と一緒に浄土宗総本山知恩院(正式名称は「華頂山知恩教院大谷寺」)へ、午前7時30分に家を出た。
2年余りのコロナ自粛、体力減退を切実に感しながら頑張って歩いた。巨大な山門の石段を見上げて思わず大きなため息が出た。体にグッと力を込め、杖を頼りにゆっくりゆっくり一歩ずつ上がった。本堂に続く更に急な石段はさすがに諦めて右側のやや緩やかな石段を利用。(笑)これらは男坂、女坂と言うらしい。
江戸時代、浄土宗に帰依した徳川家康公が京都の菩提所と定めたことから寺領が拡大し、現在の大伽藍が築かれたそうだ。山門(1621年、徳川二代将軍秀忠公によって建立された2重門)と御影堂は国宝である。
父を抱いた母と一緒に来た日を思い出しながら手続きを済ませ、母が来た事を告げに父の所へ行った。そして心の中でいっぱいお喋りをした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0b/0a/10410262d9a2a47cc5c6cbf10912677b_s.jpg)
(画像はクリックすると拡大する)
法要儀式が終わり心が落ち着いてから、案内板に沿って先ずは「左甚五郎の忘れ傘」を見上げ、鴬張りの廊下を渡って、大方丈(おおほうじょう)・小方丈(こほうじょう)・方丈庭園の拝観をした。
傘は残念ながら私の眼には見えなかったが、撮りおいた写真を今拡大すると見えた!この傘の伝説を初めて聞いたのは父からであった。このお寺に眠る父はきっと知恩院が好きだったのだろう・・・・・
大方丈から小方丈に続く鴬張りの廊下は江戸時代1641年(徳川三代将軍家光の治世)に造られたもの。この歳になってもキュキュの音には嬉しくなるよな。(笑)
←いつの日か又見たくなる時の為に目印の位置をこの写真残しておこう。(笑)
展示されている 「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(早来迎 はやらいごう)の図を確り再確認した。(国宝本物は京都博物館)
《 阿弥陀如来の本願を信じ「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰もが救われる 》は浄土宗を開いた法然上人(1133~1212)のみ教えであるが、そう言えば臨終の時に「南無阿弥陀仏」を唱えると阿弥陀如来と二十五菩薩が飛雲に乗って迎えに来て下さる、という話を母から聞いた記憶がある。
襖絵の「抜け雀」(雀があまりにも上手く描かれているので、命を宿して何処かへ飛び去ってしまった。)、そして 狩野信政筆の「三方正面真向の猫」(三方どこから見ても見る人を正面からにらんでいる。)をも再確認した。
堂内撮影禁止で物は撮れないので張り紙etc.より集める。
←三葉葵紋 賽銭箱
上段右端から3つ目は大方丈扉に見た「落とし金」蝉と同じ装飾。他に亀と河童があるそうだが全て知恩院火伏せの願いが込められているという。蝉がどうして?の疑問に「蝉しぐれ」の「しぐれ」とかけて「時雨」が水と繋がるのだと説明を受けた。傘も確かに・・・と納得した。上段右端から2番目の御影堂 大扉の写真を拡大すると、落とし金の河童が確認できた。
昔の工芸家の発想に感心した次第。
心字池の有る方丈庭園は新緑の緑がとても綺麗だった。秋には紅葉してどんなにか美しいに違いない。
最後に権現堂(徳川家康、秀忠、家光の廟宇)の参拝で、脚はもう限界、お腹はペコペコ。
←権現堂
食事処を探す元気は無くて、和順会館でチーズカレーを食べた。チーズカレーは初めて食べたよ。(笑)
母から貰ったお駄賃の井筒八つ橋お菓子色々を手に、父母の笑顔を思い出しながら家路についた。
★知恩院の七不思議:「忘れ傘」・「鴬張りの廊下」・「抜け雀 」・「三方正面真向の猫」・「白木の棺」・「大杓子」・「瓜生石」、最後の3つは次回のお楽しみにしたい。
そうそう今回見残した、1636年造営の大鐘楼(除夜の鐘は僧侶17人がかりという高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70tの巨大釣鐘)も必見だよな。ついでながら東大寺の梵鐘は総高3.86m、口径2.71m、重さ26.3t で、方広寺のは総高4.12m、口径2.227m、厚さ27cm、重さ82.7tらしい。
お天気良し。母を背負って彼と一緒に浄土宗総本山知恩院(正式名称は「華頂山知恩教院大谷寺」)へ、午前7時30分に家を出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/29/21/c2271c1aee8bd9c63d3a6ff9a946379f_s.jpg)
江戸時代、浄土宗に帰依した徳川家康公が京都の菩提所と定めたことから寺領が拡大し、現在の大伽藍が築かれたそうだ。山門(1621年、徳川二代将軍秀忠公によって建立された2重門)と御影堂は国宝である。
父を抱いた母と一緒に来た日を思い出しながら手続きを済ませ、母が来た事を告げに父の所へ行った。そして心の中でいっぱいお喋りをした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/65/b7/5abec4a7ae0341388c0fcb390efc78d0_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/a8/99c5927bc2ff8c8114ccdc42880e62a4_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/29/91/54da5892ddb8db6c37438f18032b6080_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3d/f3/f99a5b9e3f94f010cc726ff64c7f5369_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0b/0a/10410262d9a2a47cc5c6cbf10912677b_s.jpg)
(画像はクリックすると拡大する)
法要儀式が終わり心が落ち着いてから、案内板に沿って先ずは「左甚五郎の忘れ傘」を見上げ、鴬張りの廊下を渡って、大方丈(おおほうじょう)・小方丈(こほうじょう)・方丈庭園の拝観をした。
傘は残念ながら私の眼には見えなかったが、撮りおいた写真を今拡大すると見えた!この傘の伝説を初めて聞いたのは父からであった。このお寺に眠る父はきっと知恩院が好きだったのだろう・・・・・
大方丈から小方丈に続く鴬張りの廊下は江戸時代1641年(徳川三代将軍家光の治世)に造られたもの。この歳になってもキュキュの音には嬉しくなるよな。(笑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/53/98/86466050cd1e7945f2ceaed3f6469e88_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/2c/a7844738076a2359828ed56d1191cf90_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/81/249a5e7e3a70d1c1865f9e521a96c3bd_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/07/cd/0741f11f909a6db792f07b99372475db_s.jpg)
展示されている 「阿弥陀二十五菩薩来迎図」(早来迎 はやらいごう)の図を確り再確認した。(国宝本物は京都博物館)
《 阿弥陀如来の本願を信じ「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰もが救われる 》は浄土宗を開いた法然上人(1133~1212)のみ教えであるが、そう言えば臨終の時に「南無阿弥陀仏」を唱えると阿弥陀如来と二十五菩薩が飛雲に乗って迎えに来て下さる、という話を母から聞いた記憶がある。
襖絵の「抜け雀」(雀があまりにも上手く描かれているので、命を宿して何処かへ飛び去ってしまった。)、そして 狩野信政筆の「三方正面真向の猫」(三方どこから見ても見る人を正面からにらんでいる。)をも再確認した。
堂内撮影禁止で物は撮れないので張り紙etc.より集める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/6e/c4e418c12fce6f7f014a3a435009198d_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/ed/0ef919ef0a031a37d6efbc8cd1bd3e62_s.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/12/ba/1711070e6b436272b1f6a3e6d8f59504_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/b7/bf0b17c2791033db48419f831161d350_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4e/2b/e1ef5d29998839437c2c50bcfcd1d5ec_s.jpg)
上段右端から3つ目は大方丈扉に見た「落とし金」蝉と同じ装飾。他に亀と河童があるそうだが全て知恩院火伏せの願いが込められているという。蝉がどうして?の疑問に「蝉しぐれ」の「しぐれ」とかけて「時雨」が水と繋がるのだと説明を受けた。傘も確かに・・・と納得した。上段右端から2番目の御影堂 大扉の写真を拡大すると、落とし金の河童が確認できた。
昔の工芸家の発想に感心した次第。
心字池の有る方丈庭園は新緑の緑がとても綺麗だった。秋には紅葉してどんなにか美しいに違いない。
最後に権現堂(徳川家康、秀忠、家光の廟宇)の参拝で、脚はもう限界、お腹はペコペコ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3a/db/35d352b9abf444e357476a71527934f4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3f/b7/c8a80659a5491d067a910daea8229d0f_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0e/79/d4a0e49f30a6bdf5e49cca4232390be9_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/a0/d69372b34e6a005a97e0288fca3d6b01_s.jpg)
食事処を探す元気は無くて、和順会館でチーズカレーを食べた。チーズカレーは初めて食べたよ。(笑)
母から貰ったお駄賃の井筒八つ橋お菓子色々を手に、父母の笑顔を思い出しながら家路についた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/29/ed/81a7009f341aa23d33258e121bd2f628_s.jpg)
★知恩院の七不思議:「忘れ傘」・「鴬張りの廊下」・「抜け雀 」・「三方正面真向の猫」・「白木の棺」・「大杓子」・「瓜生石」、最後の3つは次回のお楽しみにしたい。
そうそう今回見残した、1636年造営の大鐘楼(除夜の鐘は僧侶17人がかりという高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70tの巨大釣鐘)も必見だよな。ついでながら東大寺の梵鐘は総高3.86m、口径2.71m、重さ26.3t で、方広寺のは総高4.12m、口径2.227m、厚さ27cm、重さ82.7tらしい。