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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

ヤマトタマムシ

2011-07-31 | 日記
今日は家でゆっくり。思いついてトコロテンを作ることにした。
レシピを見ながら頑張っていると、突然聞こえてきた。
  「取れた取れた タマムシ!」テンションの上がった声である。
「タマムシって?・・・・・」「だんご虫のこと?・・・・・」「まさか・・・・・ひょっとして」「でもこんな所で・・・・・」
「ほれ!」と開いた彼の手の中で、綺麗な羽が光っていた。

一体またどうして獲れたのか?不思議であった。
今日は晴天。青空高くから、勢いよくスーと彼のところに降りてきたという。。。。。
偶々庭で手にしていた勺で捕獲と相成り、彼自信も驚いたそうだ。虫かごに入れる前に大急ぎでカメラを取りに走った私。(笑)
一瞬の衝撃で少し元気がなかったタマムシだが、籠の中でごそごそ動きだしたのでホッとした。

餌をあげなければとネットに「タマムシの餌」と入力してみると、「エノキ」や「ケヤキ」や「サクラ」の葉とあった。
エノキとはどんな木なんだろう?ケヤキは無いし・・・もしかして香りのある木を好むのかなぁ~。庭の槙の小枝を入れてみた。そしてティシュを水で湿らせたのも入れてみた。彼は“きびさとう水”をティシュに含ませて入れた。二人はそれぞれに良かれと思うことをせっせっとやっていた。。。。。
日が暮れて暗くなったが、近くの桜並木に出かけて枝の先を持ち帰り、「コレ、いける?」と気休めに差し入れながら、明日には放してあげようと、二人で話し合った。

太陽の光にいろいろな輝きをみせるタマムシの綺麗な羽!
法隆寺の国宝・玉虫厨子は、この羽を使った工芸品だよな・・・・・
飛鳥時代、聖徳太子が推古天皇の念持仏をお祀りする為に作ったのだと思い込んでいる私だが、どうなのか???
3年ほど前に、新しい玉虫厨子が奉納されたと聞いて観に行ったことがある。岐阜県の人が作った復元版だそうだ。薄暗い蔵の中で本来の厨子のタマムシの輝きはかすかに見えるだけだが、新しい厨子ではそれはそれは綺麗に見えた。改めて「コレが本当に昆虫の羽?」と思ったものだ。
タマムシの羽は死んでも輝きはそのままなんだ。 (画像はクリックすると拡大する)

昔、姉が着ていた玉虫色の洋服を、きれいだなぁ・・・と見ていたが、これぞ本物。光の当たる加減で緑や紫や青や黄etc.と微妙に変化するその輝きには飽く事無く見入ってしまう。

突然のお客様!「ヤマトタマムシ」と言うのだそうだ。
楽しませてくれてありがとう。明日には飛べるからね。この夏にやりたい事を確りやって精一杯生きるんだよ・・・・・


アナログ放送終了

2011-07-24 | 日記
今日の正午でテレビアナログ放送が終了となった。
終了の瞬間を見たいと思い、急がない我が部屋のテレビだけ残していた。
年齢の話が出るとかろうじて「戦後生まれ」を意識する自分であるが、時代の変遷をいろいろたどることが出来る。
扇風機や洗濯機や冷蔵庫や掃除機、それに電話やラジオやテレビ、車にエアコンetc.これらが出現する前の時代を知っているから。。。。。

ラジオを聴きながら扇風機をかけて身体を休めていた父の姿を思い出す。舟形のままかじりついていた真っ赤なスイカは母が井戸で冷やした物だった。お商売をしていた親戚の家には、壁に取り付けられた面白い形の黒い電話機があったっけ。洗濯機以前は洗濯板なるものが活躍していたよな。カラーテレビ以前は白黒テレビだったなぁ~。

指折り数えるとあれは1953年4月10日、今の天皇陛下の結婚式が白黒テレビ画面で報道された時だ。馬車に揺られて微笑んでいらっしゃる美智子妃殿下の綺麗なお姿に子どもながら胸をワクワクさせて画面に見入っていたのが忘れられない。。。。。
1964年10月10日、東京オリンピックの中継は既にカラーだったのかなぁ・・・・・


アナログ放送が何波か難しいことは解からないが、今、地デジ放送と言うことで新しい時代が来た。
カウントダウンの後は2011年7月24日に完全終了と映る地上アナログ放送終了告知画面になり、24時には砂嵐となった。(それでもDVD再生は可能なようだ。)歴史的な日ということで思い出に投稿しておこう。
        まもなく我が地デジテレビも到着予定。長いお付き合いのブラウン管テレビにさようなら。ちょっと寂しいなぁ。

歴史的な日といえば先日、7月18日中国上海で行われた女子サッカーW杯試合で「なでしこJAPAN」が世界一位を獲得した。日本国のみならず世界中が熱くなった。喜びの感動覚めやらず、今もどのチャンネルにおいても関連画面をよく見かける。記念に投稿しておこう。「なでしこJAPAN」におめでとう!
                          (画像はクリックすると拡大する)

2011年という年、東日本大震災をも併せ、重大な年になりそう・・・・・

蓮の花

2011-07-20 | 日記
一昨日発生した大型で強い台風・台風6号が来るというので、空港のダイア、新幹線のダイア、いろんな予定がキャンセルされた。
速度は遅いとの報道。昨日は高知県足摺岬、今日の午後には和歌山県潮岬、その後は静岡県辺りに大雨を降らせて、東の海上に進むとのこと。

こちらはありがたい事に朝から涼しい風が吹き、雨も降らず、まるで5月のようなさわやかさである。手放しでは喜んでいられないものの、暑い日が続いた後なので過ごし易くてホッとする。

今日の散歩は昨日とは反対方向に向かった。桜並木で蝉の鳴き声を聞いた。ミーンミンミンミンミンミーン、待っていた声だけに少しも暑苦しくなく嬉しくて、「ようこそ!」と心の中でつぶやいた。通りかかったハスの田んぼには今年も花が咲き始めていた。

何年か前三室戸寺で楽しませてもらった蓮酒。竹筒に入ったお酒を蓮の葉に注いて貰って茎から飲むのである。
葉の中心に空けられた穴と中空に成っている茎とが繋がり、注がれたお酒は蓮の香りを運んでくるのだろう。とても美味しく感じたような気がする。
その後、家でも蓮の葉に穴を開けてやってみたが、あの極楽浄土のような綺麗なハス園で飲む感動とは少し異なっていたなぁ~。(笑)

この季節、お寺に行くとハス池やハス鉢に咲く花を大抵のお寺で見ることができるが、中でも奈良喜光寺唐招提寺が印象に残っている。
唐招提寺の静かなたたずまいの境内に、鑑真和尚が中国から持ち帰ったという唐招提寺蓮や古代のハス・大賀蓮が閑に咲いていたのを思い出す。喜光寺の境内には様々な沢山の蓮が華やかに咲いていた。きっと今年も今頃は沢山の人でいっぱいのことだろう。

お釈迦様が蓮華に鎮座されていることから、子どもの頃から、特別視してきた蓮の花。
お盆が来ると母は蓮の大きな葉にいろいろなお供え物を盛っていた。私はお盆が済んだ後、蓮の花や葉や実の形をしたお菓子「ハクセンコウ」を食べれるのが楽しみであった。
花を見ながら田んぼをぐるりと廻っているとお盆行事のあれこれや母との会話のあれこれが蘇って、心が和らいだ。。。。。
                
   (画像はクリックすると拡大する)

2011-07-17 | 日記
朝5時半に目が覚めた。
ココ2ケ月間、夏場の「歩き遍路」はお休みなので、少しは家で歩いておかなかったら9月に歩けないだろうと思い、毎日散歩することにした。

青田を縫うように流れている小川沿いを朝露を踏みながら歩いた。川の中を覗いてみると居る居る!小さなめだかが輪を描いて沢山沢山泳いでいた。流れる水に水草もさらさら揺れてとても気持ちの良い場所であった。アメンボもすーいすーいと泳いでいた。ちょろちょろと走るのはハゲッショとか言う魚かな。

畔道にさしかかると、足元が俄かにせわしくなった。ぴょんぴょんぴょんぴょんぴょん。次から次へと2センチ前後の小さな蛙が田んぼの中に我先にと飛び込んでいった。数にして数百匹。。。。。
びっくりして引き返すべきか進むべきか一瞬迷ったが、好奇心が頭をもたげてきた。
思わずしゃがんでよく見ると、苗の間におたまじゃくしやら、足が生えたのやら、足も手も生えているが未だ尻尾が残っているのやら、いろいろ居た。蛙の世界に迷い込んだような不思議な感じがした。こんな光景を見たのは初めてで、気持ち悪いというよりは蛙の生態を目の前にしてむしろ感動であった。
飛び込んだ蛙は足をピーンと伸ばしてあちらへこちらへと泳ぎまわり、突然の侵入者に危険を覚えてか慌てていた。勢い良く飛び込む先輩の水音に驚き、足の生えたおたまじゃくしも跳びあがろうとしたが、水面に顔を出すことなくポチャンとひっくり返って沈んでしまった。残念そうで気の毒だったが、面白かった。「大丈夫だよ、私何にもしないよ。見てるだ~け。」
敵ではないと知った蛙は又畔に戻ってきて不審そうな顔で私の顔を見上げた。あどけないその顔はどこか可愛いかったよ。 ホント!

蛙といえば、これは普通の茶色い蛙だが、緑色したアマガエルのおたまじゃくしってどんな色なんだろう?・・・ それに10年程前だったかな。ミズバショウの季節、尾瀬ケ原を歩いていた時のこと、広大な草原のど真ん中にあった綺麗な水溜りで見た黒いおたまじゃくし、あれはどんな蛙になったんだろう。そして京都大原三千院のすぐ近くにある勝林寺の庭池の側で木の枝の上に見たモリアオガエルの卵、おたまじゃくしは一体どんななんだろう・・・・・
結局のところ解からないが、今は調べる元気はない。いつかの暇つぶしにまわすことにしよう。

今日の散歩は歩きの訓練にはならなかったけれど、思いもよらず蛙との出会いで、それなりに楽しかった。
ついでながら平泳ぎと蛙泳ぎの違いが知りたくて、しばらく手の動きを追ってみたがどの蛙もあまりに素早い動きでとうとう確認できなかったなぁ。(笑)



土用干し

2011-07-15 | 日記
「土用の入り」は何日だったかな?暦を見た。土用の入りは20日で、23日が大暑となっている。

落ち着いて考えると、スズムシの鳴き声を楽しんで5日目ながら今年は未だ蝉の声を聞いていない。
野菜・果物・花それに女性のファッションにしても季節はなくなってきた昨今、寒かったり暑かったりの気候は私の季節感をも狂わせているようだ。

土用を待たず、昨日は梅ぼしを干した。
孫の「ばあちゃんの梅干しは美味しいよ!」の言葉に負けた。やっぱり「太志君の喜んでくれる顔が見たいなぁ・・・」と梅10キロを、去る6月22日・夏至の日に仕込んでいた私。

5キロと10キロの思い違いで塩の計算を間違えていた。5日目にして気がついて二つの容器に慌てて塩を足したが、そのボケが原因になったか、小さなカビが発生!又しても慌てた。即、主婦満点のSさんに尋ねた。「これだけ暑い日が続くので土用を待たずとも天気の良い日に干せばいい」と教わった。梅ぼしを一つ一つチェックしながら、どうか美味しい梅干しが作れますようにと祈る思いでザルに並べた。
運よく昨日は彼が在宅というので夕立を気にせず出かけることができた。ありがたや・・・

昔、母が作っていた梅干し樽には塩がいっぱい有ったように記憶している。減塩故の苦労とはいえ梅干し作りは大変だ。完熟の梅を使うべしというが、今年はあの酔いしれるようないい香りが無かった。完熟度合いの判断にも私のミスがあったかもしれない。アク抜きの為1晩水に漬けておくところ4時間くらいにして、自分の都合を優先していた等、諸々の良くない事情が重なっていたよな。反省。

そうそう可愛い孫からの手紙が来ていたっけ。
よしよし梅は大丈夫だよ。太陽がきっと美味しくしてくれるよ。待っててね。
太陽にはカビ菌撃退はおろか、今や、太陽光パネルというもので発電できるすごい力があるんだからね。将来原発に代わる発電手段の一つとしてもっと広がる日がやって来そうな気もするよ。    (クリックすると拡大する)
東日本大震災の後、東電の事故の収束ままならず、世界の国々は原発廃止に賛否両論、考え方は2つに分かれているようだし、日本の原発廃止の見通しはるか遠いどうなるか全く解からない話だけれど。。。。。