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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

宝永火口と富士樹海ハイキング

2015-07-30 | 日記
日本人は皆んな富士山が好き。標高3766mの日本一高い活火山を遠くから眺めるのも良し、登山するのも良し、楽しみ方は人様々だが、私は前者で、ご来光を拝む為に登れる人の体力が羨ましかった。もう10年ぐらい前だったかなぁ・・・友人と富士五湖を廻った時、彼女と富士山5合目まで上っただけで満足していたのだが、今回、彼の提案で山肌を歩く勇気を得てウォーキングを実現した。
猛暑の中、「富士山の宝永火口と樹海ハイキング」ツアーに参加したのだ。世界遺産に登録(2013年6月22日)された富士山は外国人にも人気で、訪れる人の数は年々増えているそうだが、その日も「富士山が好き」というような笑顔の外人さん数人を見かけた。入山料無料。

  7月27日(月)
7時30分に新大阪駅を出たツアーバスに、私達は8時20分竹田から乗り込んだ。初めて通る新名神高速と新東名高速でちょっと嬉しかった。土山SAと浜松SAと清水SAに停車して富士宮口5合目駐車場に着いたのは午後2時半、さすがに疲れた。(ついでながら山頂までの富士登山ルートは、吉田、富士宮、須走、御殿場の4つだが、この富士宮ルートが一番よく利用されるそうだ。)
今日の静岡の気温は35℃、標高2390mの富士山5合目の気温は22℃、山頂は10℃だそうだ。
山頂は仰げなかったが、青空を背景に稜線の向こうを雲がダイナミックに移動する景色は感動ものだった。うわ~スゴイなぁ~、疲れていたはずなのに身体の何処からか力が湧いてきた。
先ず6合目に在る「宝永山荘」を目指して登り始めるのだが、火山礫の感触は普通の砂利のそれとはちょっと違うのを感じながら少々めり込み滑りそうな斜面を確り踏みしめて進んだ。軽登山靴を履いてきて良かったと思った。
         (画像はクリックすると拡大する)

25分程で山荘・「雲海荘」と隣接の「宝永山荘」(標高2493m)に着く。ここから道はやや平坦になり、果てしなく伸びる道を行く人の姿のなんと小さく見える事に驚き、富士山の山肌を歩いているワクワク感に浸った。喜んでいる内にやや下りになって足元がズズッ ズズッと滑りだし、手放しでは喜んでいられなくなった。〝しりもち”をつこうものなら大変だ。
左手下方に火口の底を通って宝永山(2693m)に繋がる道が見える。この宝永火口は宝永4年(1707年)徳川綱吉の時代に起きた噴火口。そしてこの道は山頂に近い第1火口とその下方の第2火口の間に位置しているらしい。第1火口壁と第2火口のそれとは色や岩肌の様相が違うのが解る。
それに第1火口は富士山山頂の噴火口よりも大きいらしい。その大きな噴火口から噴き出した岩石が積もって宝永山が出来たのかなと思いそうだが、地下から隆起したマグマが冷えて出来たのだそうだ。
山頂が赤褐色の宝永山は足元を這う蟻の如き私達を「ここまでお出で」とエールを送ってくれているかのように見えた。馬鹿な私はここに来るまでは火口底まで歩いてみたいと思っていたのだが、それどころではない事を知った。時間が足らない。4時半には駐車場に戻らなくてはならないのだ。

せめて第3火口が見える所まで行きたかったが、集合時間に間に合わなくなりそうなので断念した。思いを下段右端の写真に託すと、既に戻ってきた人達の先に点の様に見える人がいる場所まで行きたかったのだ・・・・・
             
 
樹林帯を通って戻ることにした。
景色は一変して緑の世界、吹く風も気持ち良かった。でも木々の活力はなんとなく乏しく環境の厳しさを物語っていた。この6合目が富士山の森林限界地点になるそうで、これより上は火山砂礫で植物が根付かず植物の栄養分も少なくて育たないらしい。
ふと見ると朱色の可愛い花が風に揺れていた。クルマユリ、ツリフネソウ、タイツリオウギ、アキノキリンソウと言うそうだ。最初の登り口から山荘に続く道にも岩陰に咲く白い花を所々で見かけていたが、可愛いというよりも生命力の逞しさを感じていた。
          
駐車場には集合時間の10分前に到着。

山頂まで行かなくても色んな形で富士山を楽しむ事が出来るのを知った。
今夜は狩野川(かのがわ)沿いの「沼津リバーサイドホテル」で宿泊。2人で夜の街に出て、居酒屋「相棒」で地酒「無上盃」を飲みながら夕食タイムを過ごしたのも静岡の楽しい思い出になった。。。。。


  7月28日(火)
今日は天然記念物である2つの溶岩洞窟・「鳴沢氷穴」(なるさわひょうけつ)と「富岳風穴」(ふがくふうけつ)の見学を含む富士山の樹海・「青木が原樹海」ハイキングである。山梨県に来たわけだ。

先ずは青木が原樹海の東の入り口に在る「鳴沢氷穴」からスタート。地理的には富士五個(本栖湖、精進湖、西湖、河口湖、山中湖)の1つである西湖とその東側にある精進湖(しょうじこ)にまたがる辺りである。864年に富士山の側火山・長尾山が噴火した時にできたそうである。
「氷穴はどうしてできたの?」案内板の説明によると、噴火による溶岩流が湖に流れ込む際水蒸気がガス化し、そのガスが抜け出した後が空洞になり氷穴となったそうだ。竪穴式で地下21m、内部は案内版に有る様に環状型で全長150m、天井から落ちる水滴が凍って出来る氷の柱も自然が造る立派な芸術作品だよな。スイスで体験した凄い氷穴、勿論氷河のそれとコレは異質の物だが、氷穴として思うに、こちらは閉ざされた神秘的な空間で畏れ多かった。
          

樹海を歩く。
蚊に刺されない様にしなければという心配は全くの取り超し苦労であった。「青木が原樹海」の地面は噴火に依るマグマが固まった玄武岩と呼ばれる粘り気の少ない溶岩土なので水分を吸収し易く、雨が降っても水溜りが出来ず従ってボウフラが育たず、蚊はほとんど居ないそうだ。案内人さんの説明を聞いてほっとした。
同じ理由で木は確りと根付くこと叶わず、痩せた木々(モミ、ツガ、ブナ)が林立する中、倒木があちこちに見られた。鬱蒼と広がる樹海の写真を見て私が想像していたイメージは崩れた。個人で歩くには薄暗くやはり不気味で恐ろし気な空間であるが、ガイドさんに色んな説明をしてもらいながら団体で歩くと、恐怖感はゼロ。
苔むす凸凹した溶岩が特に多い場所の景色に、誰かが「『もののけ姫』の舞台みたいね。」と話されていたが、確かにその様な雰囲気もあった。が、モデルになったという屋久島の「白谷雲水峡」程緑深い神秘的な世界ではなかったよな。
毒キノコの綺麗な赤がさすがに気持ち悪かった。(笑)

            

海抜1000、「富岳風穴」に来た。
こちらは全長201mの横穴式。溶岩トンネルの入口天井は特に低く、頭を打たない様にかがみながら見上げていると冷たい滴が顔に落ちる。そして凍った地面で滑らないよう手すりを握っていると手が冷たくてしびれてくる。
見事な氷柱に感動して奥へ進んで行くと、縄状溶岩とか樹型溶岩とか溶岩棚etc.熱い溶岩が冷えるまでの過程で出来た壁面の説明が次々と有った。暗くてはっきり確認している余裕は余りなかったが、噴火した溶岩が流れる凄まじい光景を想像する事は出来た。
さらに奥に進むと、洞窟は正に天然の冷蔵庫になっていて、蚕の繭玉や種子(ヒノキ、アカマツ、カラマツ、モミ、スギ)が並んだ大きな棚が在った。繭玉は成虫にならないように生きたまま冷蔵保存して夏繭、秋繭として出荷していたようで、養蚕が盛んな大正初期から昭和30年頃まで、未だ冷蔵庫が無かった時代の大切な冷蔵保存庫であったそうな。
一番奥の行き止まりは人が踏み込む事が許されない場所になっていて、岩肌に白く散らばっている物、それは珪酸華になる膠状珪酸(こうじょうけいさん)と呼ばれる物でいっぱいだった。下段右端の写真、緑の奥の方に白く光るのが珪酸華らしい。バカチョンではうまく撮る事はできなかったが、不思議な光景で今も印象に残っている。
                

0℃の風穴から暑い外界へ。
売店で買ったトウモロコシソフトがとても美味しかった。ソフトクリームを手にした私の嬉しそうな顔?添乗員さんが撮ってくれた写真を見ながら、いつもこんな顔をしているといいのになぁ~と思う。(笑)

そうそう食べ物の話では帰り道で立ち寄った「道の駅朝霧高原」で買った柔らかい美味しそうな桃、水道水で洗わせてもらって彼に差し出すと指で皮をむき乍ら満足そうな顔をして食べていたなぁ~。(笑)
                       
今回のツアーのお仲間30人の皆さん全員もいい笑顔!充分に満足の富士山ハイキングであった。                                  
                                                                  おしまい                                                                          





7月21日の思い出

2015-07-25 | 日記

楽しい思い出をありがとう! 

              
                                                    (画像はクリックすると拡大する)

T君へ:勉強も大事、野球も大事、ピアノも大事・・・たいへんだね。
    前夜ママにいっぱい注意されて叱られたけれど、本番はバッチリお見事でした。さすがばあちゃんの孫だと思いましたよ!?
    えっ T君のばあちゃんってそんなに偉いの? うううんちょっと一度言ってみたかっただけ。許してね。(笑)
    『エリーゼのために』 モーツアルト

Yちゃんへ:プログラム最後の華を飾ってくれました。会場にはシーンと澄んだ空気が流れ、皆さん真剣に聞き入ってくださいましたね。
     そして演奏が終わると溜息とともに観客席から聞こえてきました。「あんな長い曲、楽譜もみないでどうして弾けるんやろね。スゴイね。」
     ばあちゃんも緊張しながらビデオ画面と檀上のYちゃんを見守りながら一生懸命でしたよ。(笑)
     『ワルツ』 デュラン

2人へ:大人になったら学校の勉強や野球やピアノ以上に大切な難しい勉強が有るんだけれど、子ども時代にいろいろ学んで体験して
    その過程で得た活力が後々2人の人生をきっと応援してくれるはず。疲れたら時々休んでいい、とにかく一生懸命、後悔のない日々を送り
    ましようね。

  ★★★ 緑の大仏様に驚き、観音様に一願し、念願の食を楽しみ、じいちゃんとばあちゃんには楽しい2日間でした。★★★

水泳大会

2015-07-12 | 日記
市の体育協会主催の水泳大会に参加した。
まったくのスポーツ音痴の私、このコンプレックスを持ったまま一生を終わる自分がちょっと可哀想な気になり出していた時、孫のYちゃんが「ばぁちゃん 今日ネ 800m泳いで来たんだよ。」とニコニコしながら話してくれた時、突然目覚めたのである。生涯スポーツと言われる水泳に、そうだコレだ!それから水泳教室に通いだして6年、いい先生に恵まれて続ける事が出来た。
『世間知らずに怖いもの無し』で、今回彼が勧めてくれた水泳大会を「冥土の土産」にしようと最初で最後の参加を決めた。

  7月12日(日
受付に行くと、「観客席はこちらです。どこでもお好きな所でどうぞ。参加される人の名前は?」と聞かれて、「・・・私なんですけど。」声は小さくなっていた。(笑)
受け取ったプログラムを見てびっくり。募集案内には小学生から70歳以上まで、と書かれていたのに、ほとんどが小・中学生である。

午前10時に開始式。
出場者以上に応援の家族人数が多かった。そしてお父さんやお母さんの方が緊張されている様子であった。
「100mの個人メドレー」から始まり、「25m平泳ぎ」は⑦番目で私は3人の小3女子と一緒に泳ぐようになっていた。彼女たちに「よろしくネ。」と言うと、ニコニコして「私 絶対に負けないわ。」と闘志満々の返事が返ってきた。スゴイ!と思いながら微笑ましかった。
笛の合図で入水し、ピストル(電子音)の合図でスタート。私は5コースで、隣コースの可愛い女の子が私をスーと追い抜いて行く姿が目に入った。うわっ抜かれたなと思いながら彼女にエールを送る一方、自分には落ち着いてフォームを崩さない様にしようと言い聞かせた。勿論私が一番遅かったように思う。でも楽しかった。そして緊張しながらも気持ち良く泳げたので嬉しかった。

プログラムは引き続いて「25mバタフライ」であったが、進行係さんのお計らいで前後入れ替えて、少し休憩を下さった。「もういけますか?」「はい 大丈夫です。」70歳代を気遣って下さり何と優しい大会かと感謝。
バタフライは小6の男の子と小4の女の子と私の3人で、私の位置は2コース、観客席の目の前である。好奇心の目が向くのを恐れて「もっと離れたコースにお願いできないでしょうか?」尋ねてみたが、「どこも皆一緒ですよ。大丈夫!」と笑顔で拒否され、仕方なく度胸を据えた。
見も知らない子達と泳ぐこの偶然に妙に感激して、スタート位置に立った。その割に落ち着いている自分を感じながら、やはりフォームを崩さない努力を意識して泳いだ。ゴールが近づいてきた時大きな拍手が聞こえてきた。水から上がるとなお更大きい拍手が聞こえて、「おつかれさまでした。」と皆さんが笑顔で迎えて下さった。「ありがとうございます。」ペコペコお辞儀をしながら自分の席に戻ろうとすると、「賞状が出ますので少し待っててて下さいね。」と声をかけて下さった。

3位まで表彰が有るらしいので、ひょっとしてビリでもそれを下さるのかな?と思っていたら、年齢別の表彰のようで、なんと平泳ぎで1位、バタフライで1位と書かれた大きな賞状を2枚頂いた。へぇ~これは年齢別なんだと解って、嬉しいような恥ずかしいような・・・・・
とにかく大きな賞状を2枚もらって、バタフライ記録48秒64を読みながら息を弾ませて会場を後にした。(笑)
これぞ私にとって素晴らしい思い出、頑張った元気賞!であり、その日が来たらきっと子どもや孫達が笑って、目を閉じた私の傍に収めてくれるだろう。
泳げるようになるまで何度諦めようかと思ったか知れないのに、その度に「きっと泳げるようになります。」と励まして下さったM先生にありがとうございました。心から感謝です。

人生色んな〝学び”が有るけれど、学ぶ年齢に早い遅いは無い事を身を以って体験した次第。

茅の輪くぐり

2015-07-01 | 日記
雨の恵みを受けてこんなにも綺麗に咲いている花と野菜に私の気分は晴れ晴れ。
                   
                  
      もろきゅうキュウリの柔らかな歯ざわり! トマトの濃い味!に感激。
   
ところで、自転車乗りも上手になってサイクリングをしてみたい程になっている私(!?)、奇祭・「砂かけ祭り」で有名な北葛城郡川合町に在る「広瀬神社」に行ってきた。〝茅の輪くぐり”を一度体験してみたかったのだ。

  6月30日(火)
朝8時半、彼と一緒に自転車で家を出た。
先日新聞で読んでいた「馬場塚」に立ち寄る。なんでも安堵町窪田と言う所に甲斐の戦国大名であった武田信玄の家臣・馬場美濃守信房の供養塔が在るという。難しい歴史は解らない私だが、何故この地に?との疑問が私の足を誘った。

新聞の切り抜きには「安堵に残る歴史ミステリー 武田信玄重臣の供養塔」と題して「田んぼの真ん中に1本の大きな木が見える。その根本に、高さ1メートル足らずの小さな塔がぽつんと.・・・それが馬場塚だ。武将武田信玄の重臣で武田二十四将の一人と言われた馬場美濃守信房(ばばみののかみのぶふさ)の供養塔といわれている。平成25年春に周辺が整備され、気楽に近くまで行くことができるようになった。」と有る。更に「信房は、信玄の父・信虎から子の勝頼まで三代にわたって武田家に仕え、多くの武功を上げてきた。最後は織田信長との長篠の戦いで戦死したと伝わる。 塔は、空・風・火・水・地の5要素からなる五輪塔で、地輪部の4面には、信房について記されており、この銘文は戦国時代に彫られたであろうといわれる。」と続いている。たしかに銘文らしきは残っている。結局のところ、疑問の解明説は3つ程有るらしいが史実が残っていないので不可能との事。

さて、大和川の堤防を走って広瀬神社に着いた。
赤い鳥居の向こうに大きな円い「茅の輪」が置かれ、その向こうに社殿が静かに佇んでいた。
そもそも〝茅の輪くぐり”とは茅(ち=かや)で作った大きな輪をくぐって罪やけがれを取り除き、身も心も清らかになるようお祈りするものらしい。そうだよな・・・人間って気付かぬ内に人の心を傷つけてしまう様な言動をして罪作りをしているかも知れないんだよな。
くぐり方には作法があるようで①茅の輪の前で礼をして、左足から入って左回りをして正面にもどる。②礼をして右足から入って右回りをして正面に戻る。③礼をして左足から入って左回りをして正面に戻る。④礼をして左足から入ってご神前に進み、二拝二拍手一礼してお詣りするそうだ。

6月に行われる〝茅の輪くぐり”は「夏越大祓」(なごしのおおはらえ)と呼ばれ、身心を清め夏の暑さを元気に乗り越えられる様お願いするそうだ。神前では人形(ひとかた)に住所と名前と年齢を書いて胸に当て祈念し息を三度吹きかけて(穢れを人形に移す)、社務所へ持参するとお祓いをして下さるそうだ。なので私も心ばかりのお初穂料(はつほりょう)を添えて持って行った。なんだか気持ちがすっきりして、夏を元気に過ごせるような気持ちになった。
〝茅の輪くぐり”は12月にもあって、「年越の祓」と言うそうで、夏を越してから半年間のけがれを祓い新年を迎えるらしい。
           (画像はクリックすると拡大する)  

こちらの広瀬神社は日本書紀にも記載のある神社で水の神様をお祀りしていて五穀豊穣を祈願する神社だそうだ。境内の左手にある池の傍に祠があってココにも「水足明神」(みずたるみょうじん)と言う龍神様をお祀りしている。毎年2月11日に行われる有名な「砂かけ祭り」の砂は雨を意味して豊作を願っているとか。砂が雨なら「目に入ったら危険なのに、なせ砂なの?」という疑問は解けた。参拝者は眼鏡をかけ合羽を着て参加するらしい。成程。

長い道のりを頑張って帰る途中の事、彼が「油掛地蔵」(あぶらかけじぞう)に廻ろうと言った。
緩い坂があって、頑張れるかな?ファイト!自分にエールを送りながら試みたら、かろうじて上りきれた!得意がっている私に彼が言った。「そんなしんどい事しなくていいじゃないか。」「それもそうだよね。」とハーハーしている私、馬鹿みたい(笑)。。。。。

田んぼの畦道に鎮座する油掛地蔵尊はこってりと油で黒光りしていて、お顔の表情など伺う事はできなかった。1523年に造られたそうだが泥田に埋もれていたのを引き上げてお祀りしているそうだ。磯城郡川西町の文化財としてあちこちで紹介されているので一般によく知られているようだし、お供えの花もきれいで、油の入ったペットボトルも数個置かれているのでお詣りの人は絶えないのだろう。
        

へとへとに疲れたが、「馬場塚」と「油掛地蔵」おまけ付の〝茅の輪くぐり”を体験出来て感動。同伴してくれた彼と案内してくれた友人Mさんにありがとう。お疲れ様。