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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

サンシュユ

2020-02-25 | 日記
暖冬で梅の開花が一週間も早く見事な梅花をあちこちで楽しめている。そして先日鉢植えしたグミや仙台枝垂れ桜の未だ固い芽も一雨ごとに私の目を引いている。
昨日サンシュユの木を鉢植えした。いづれも大樹になるはずの木なのに、こんな狭い植木鉢でちょっと可哀そう。  (画像はクリックすると拡大する)

昨年のこと伊藤沖中の五百羅漢で有名な黄檗宗寺院・石峰寺で見たサンシュユの大樹、今頃は蕾が膨らみ見事な黄金の花を咲かせる寸前だろうなぁ。黄金色を覗かせているまぁ~るい蕾、とても可愛い!     

今、世の中は新型コロナウイルスに依る新型肺炎が広がって日々のニュースは感染拡大報道が飛び交っている。発症源は中国の武漢だそうだ。
イギリスの豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号(3700人のツアー客を乗せられる)が横浜港に着いた。
色んな国の人が乗っていて1月25日に香港で下船した乗客が新型コロナウイルスに感染していたことがわかり、乗客は2月5日から日本の横浜港で2週間の隔離措置を受け、下船が許されたのは19日からだったかな。検査結果陰性で下船した人を介して日本の国にも広がり、未だ終息の見込みはない。韓国、イタリア、南米etc,、グローバルな時代故に人の移動で瞬く間に広がる感染の防止は難しいんだよな。恐るべし目に見えない微生物。。。。。

色んなイベントが中止され、マスクに手洗いが叫ばれているがマスクの生産が間に合わないらしい。2月24日現在ネット上でこんな図表(右上)があった。明日には数値がどっと増えるだろう。

ところで、私も外出を控え、今日は「庭のサンシュ~の木 鳴る鈴かけ~て~♪」が歌いだしの、そしてソコまでしか思い出せない歌についてもっと知りたくなった。(笑)
宮崎県の東臼杵郡(ひがしうすきぐん)・椎葉村(しいばそん)に伝わる宮崎県民謡、『ひえつき節』だそうだ。元々は、稗(ひえ)を臼(うす)に入れ杵(きね)でつくときに歌った素朴な作業歌であるそうな。
また椎葉村には平家の落人(おちうど)伝説が残されており、『ひえつき節』の歌詞にも、那須(なす)大八郎と鶴富(つるとみ)姫とのロマンスが盛り込まれているとか。
サンシュユの漢字は山茱萸で、別名はハルコガネバナ(春黄金花)とか、アキサンゴ(秋珊瑚)とか言われるそうで、秋にはグミの様な赤い実が成ると知ってビックリ!

    庭のサンシュ~の木  鳴る鈴かけてヨーホイ  鈴の鳴る時ゃ  出ておじゃれヨー。
    鈴の鳴る時ゃ  何と言うて出ましょヨーホイ  駒に水くりょと  言うて出ましょヨー 。
    何ぼついても  この稗搗けぬヨーホイ  どこのお蔵の  下積みかヨー 。おまや平家の 公達(きんだち)

 歌詞は1つとは限らないらしい。

    庭のサンシュ~の木  鳴る鈴かけてヨーホイ 鈴の鳴る時ゃ 出ておじゃれヨー
    鈴の鳴る時ゃ 何と言うて出ましょヨーホイ 駒に水くりょと 言うて出ましょヨー
    那須の大八  鶴富おいてヨーホイ 椎葉たつ時ゃ 目に涙ヨー


ネットには椎葉村の平家落人伝説についてこんな記事があった。
  平安末期1185年の壇ノ浦の戦いで平家は滅亡し、一部の平氏残党が日向国椎葉へ逃れた。
  源頼朝の命を受け、那須与一の弟・宗久(むねひさ)、通称:大八郎は、椎葉村へ平氏残党の追討に向かった。
  しかしそこでは、平氏残党は既に戦意を喪失し、実直に農耕に勤しむ農夫となって、素朴ながらも村での新たな
  暮らしを築いていた。
  自然豊かな椎葉村で農業に励む落人(おちうど)たちの健気な姿に心を打たれた大八郎は、幕府には討伐を果た
  した旨のウソの報告を行い彼らを助け、自分自身もこの椎葉村に留まる決意をした。
  大八郎は椎葉村で屋敷を構え、彼らに惜しみなく農耕技術を伝えた。さらに、平家の守り神である厳島神社を勧
  請するなどして落人達を慰めたという。
  落人達との交流を深めていくうちに、大八郎は平清盛の末孫とされる鶴富(つるとみ)姫と恋に落ち、逢瀬を重
  ねた。
  何年か経った後、大八郎は鎌倉より帰還命令を受けた。その時、鶴富姫は大八郎の子を身ごもっていた。
  大八郎は「男の子なら連れてこい、女の子ならここで育てよ」と太刀と系図を与え、鎌倉へ帰っていった。その
  後、鶴富は女子を生んだ。成人後は婿を取り、その婿が那須下野守を名乗って椎葉を治めたという。   
                              ≪ひえつき節 歌詞の意味 宮崎県民謡より≫

余談ながら、「逢瀬」は〈おうせ〉と読むのを再確認した、どんどん漢字に弱くなる私だから。(笑)

話は庭に戻って、今朝キダチアロエの花の中の花が1つ開いた。花びらとガクの区別がない筒状の小さな花※。
そしてほったらかしの昨年のヒヤシンスがこんな小さな花を咲かせた!香りも忘れずに。

             ←なんと健気なことか!     


     ←※小さな花の花弁を1枚そっと剥がすと教えてくれた。管状花と言われ、花被片6(外花被片3+内花被片3)で雌しべ 1、雄しべ 6と分かった。 花被とは花びらと萼(ガク)をまとめた呼び方らしい。
😥やれやれ難しいけれど、ちょっと感動!




湯村温泉&但馬大仏

2020-02-16 | 日記
庭のサザンカの花、込みあった枝の奥であちらを向いてひっそり咲いているのがあった。
「寂しいね。こっちにおいで。」花びらが落ちないようにハサミでそ~っと切って、テーブルに飾った。
一昨日湯村温泉から帰宅しても未だ咲いていて、しっかり留守番できたんだね。(笑)  
                            (画像はクリックすると拡大する)

  2月13日(木)
湯村温泉(兵庫県)三好屋の森林露天風呂に魅かれて旅行会社に行った。ところが、こちらは取り扱いが無くて、湯快リゾート専用の予約センターに申し込むようになっていた。
天王寺公園を出発した専用バスは鳥取砂丘に立ち寄り休憩をして、午後3時10分三好屋に着いた。
今日の鳥取砂丘は砂煙をたてることなく、大変穏やかな表情で広がっていた。砂を巻き上げていたあの日の景色が懐かしい。

三好屋から歩いて5分、先ずは「荒湯」に出かけた。
この荒湯というのは848年慈覚大師によって発見された98℃のお湯が沸き出る湯村温泉の源泉らしい。ph7.29のアルカリ泉で匂い無し、飲むとまろやかな味がした。
早速卵を買って湯壺で茹でた。卵をアミに入れ、紐に吊るして13分、ゆで卵にしては最高の黄身の茹で上がりであったが、私はも少し柔らかい半熟温泉卵にしたかった。1分早く引き上げると良かったのかなぁ~。紙に包んだ塩をもらって、湯けむりの上がる傍のベンチに坐って食べた。(他に ムカゴやブロッコリも売っていた。)
鯉が泳ぐ春来川の河川敷には足湯が設けられ、少し熱めだったが、気持ち良かった。石壁にはずらりと有名人の手形レリーフが並んでいた。

            

石段を上がって短い赤い橋を渡ると、夢千代像があった。と言っても私は夢千代を知らない。聞くところに依ると、NHKの三部作テレビドラマで第一部が1981年に放映された『夢千代日記』の主人公だそうだ。主演は吉永小百合であったらしくドラマは知らずとも当時美人の象徴であった彼女の名前を知らない人はいなかったと思う。飾られていた手形レリーフに思わず左手を合わせて見たよ。(笑)

それから、川の向かい側に在る正福寺に行き、戻って八幡神社に行った。共に石段がきつくてハーハー吐息、お参りの気持ちが足りなかった様な気がするなぁ~。
それに、荒湯の湯時計の仕組みの確認を忘れたのが残念。4つの皿から落ちてくる湯が20分毎にブロンズの慈覚大使像の杖を上下させるらしい。。。。。


  2月14日(金)
タクシーをお願いして、旅館から但馬大仏(長楽寺)まで行った。とても優しい運転手さんで長い道も楽しかった。それに雪が解けずに残っている箇所があちこちに有ってそれも嬉しかった。
長楽寺大門の銅瓦の屋根にはあまり馴染みはなかったが、色鮮やかな猛々しい阿吽の仁王像を見上げると、思わず姿を真似てみたくなった。(笑)
台湾檜材の寄木造りらしい。巨大な大仏殿に安置されている3体の大仏さまも材質は同じで、製作は中国の仏師によるらしい。

            

3体の仏像の中央が釈迦如来(15.8m)、向かって右が薬師如来(15.2m)、左が阿弥陀如来(15.2m)で、奈良東大寺の大仏様(14.98m)よりも大きい事になる。ふと思い浮かぶ露座の鎌倉大仏(高徳院)の座高は11.39mで高岡大仏は7.43mとか。
奈良の大仏・廬舎那仏が大好きな私には少々残念だが、更に大きい越前大仏(清大寺)は17mもあり日本一らしい。

長楽寺は天平年間(729年ごろ)行基菩薩の開創で、本堂の薬師堂ご本尊・薬師瑠璃光如来は秘仏、7年毎にご開帳とのこと。
頑張って高さ70mの五重塔に登った。各階には数体の大理石の仏様が祀られ、最上階には釈迦如来・大日如来・阿弥陀如来が祀られていた。
外を見ると向こうの山々が一望できて、大自然の清々しい開放感に大満足出来た。

      

巨大な大仏様の穏やかなお顔の表情にホッとし、雄大な自然の景色に癒され、境内の雪を握って遊び、休憩所では持参の食料でお腹を満たし、帰りはゆっくり山を下って、春来川沿いを歩き春来トンネルを抜け、峠口からバスに乗って湯村温泉に帰ってきた。
時間に余裕があったので、薬師湯にも浸かって三好屋に到着。湯快リゾート専用バスは午後3時40分三好屋を出発して、7時半に天王寺公園に到着。
湯快リゾート利用の良さ発見で、もう一度利用して何処かへ行こうかな。

       曇天で画像は冴えないが、これで良し。傘を差すほどの雨でなく良かった良かった。雪国の冬をちょっと体験。 







 

節分

2020-02-04 | 日記
 2月4日(火)
今日は『立春』、ブログ日記ご無沙汰の日が続いている。
先月28日には大坂で104年ぶりに1月の最高気温の記録が更新したという19.1℃にはビックリだった。原因は「フェーン現象」によるらしいが、原理はともかく現象だけは私にも分かるよな。(笑)
その日我が町では10.2℃、やはり真冬にしては温かく「今日は温かいですね。」がご近所さんとの挨拶言葉になっていた。
我が庭のオキザリスも元気よく立ち並んでいた。

昨日3日は『節分』。フェーン現象の原理の理解が頭からぬけてしまったと同様、節分本来の意義についてもあまり自信がない。豆まきをして鬼を払い、恵方(今年は西南西)を向いて巻きずしの丸かぶりをして、無病息災を願う日になっている。
昼間に集まっていたお仲間の一人に「節分のお寿司は?」と聞かれ、「帰りに買うつもり。」と答えた迄はその積りであったが、気が変わった。
家を出る時彼に「イワシはどうする?」と聞くと、「やっぱり食べておこうか。」との返事だったが、さほど好きではない魚を5時に帰宅して焼く手間が面倒に思えて止めにした。さりとて焼いた魚を買う気はしない。ならば、Kさんから頂いた炭で庭で煙を立てて焼いて焼きたてを食べようと思った。炭を熾す作業は落ち着いてやると案外楽しいものだ。

というわけで、我が家の節分は一日遅れの今日になった。
昨日はイワシの代わりに彼の好きなエビの天ぷらを買って帰っていたので、彼のご機嫌は損ねなかったようである。(笑)
今日は美味しく焼けたイワシに2人とも満足できた。が、豆まきをする彼の声は近所に恰好が悪くてか・・・例年より小さかった。(笑)
巻きずしの丸かぶりも何時しか難しくなってきて一口大に切るのが常になっている。豆まきの後、散った豆の後始末も面倒になってきた私・・・
でもこんな無精ではやっぱり気持ちがスッキリせず、来年はきちんとやって健康管理意識を更に高めようと思う。。。。。
昨年は大安寺に行って大きな福を頂いたお陰で体調は確かに良くなってきているよな。

そうそう昨日の新聞記事をもう一度読み返して、『節分』の由来を確かめておこう。
    ≪農耕を営むには、月を基準とする太陰暦は不便だったため、季節の変化を表す二十四節気が
     あみだされた。
     立春の前日である節分は農事を始める時期と重なるため、とりわけ行事が発展したという≫  と書いていた。

ホームセンターを覗くと、なんと懐かしいグミの苗木が並んでいた。迷わず買って持ち帰り、大きな植木鉢に植えこんだ。農事ではなく偶然だが立春の日に新しい苗木を植えた事で私なりに節分の意義を感じて何だか嬉しい気がするなぁ~。(笑)
実が成るかどうかは?だが花が咲いて1つでも赤い実が顔を見せてくれれば今年はそれだけで満足出来そう。。。。。
先ずは緑の芽が吹くのが楽しみだ。


7日(金)に追記
   朝、庭の水鉢に氷が張っていて今冬はじめて見る光景だ。寒いのは苦手だが、コレでこそ春には綺麗な花が見れるんだよな・・・ホッとした。